34Leftで

チャリオで20分
羽田空港が子供の頃からの秘密基地
ハンバーガーとモンブランが大好きで時々オリーブも

昨晩は一打ち 二打ち 三流れで

2022年12月15日 | まち歩き

物心ついた頃から必ず家族全員でお参りに行ってる泉岳寺の義士祭
昨日 仕事帰りチャリオ🚲で・・・
嘘です

赤い稲妻の京急で行ってきやした

山門を抜け沿道に沿って進めばお線香の煙が
波状攻撃のように襲ってくる
刻まれた各々の名に線香を手向け
本堂へ戻る途中

墓所の手前沿道横にひっそりとある水盆
義士祭の提灯が水面に映る

四十七士の引き上げ行列を表しているんだ。
坂の壁に隠れているのと
あまり知られていないせいか
誰も居ない。
周りの喧騒から逃れ、一人 一人の立ち位置を確認して おいとま。

山門を出て左に少し行くと
宗教法人の建物がある。
10数年前までホテル高輪があった場所なんだ。
45年前 高校の担任から出来の悪い おいらに
単位と引き換えに 誰も立候補しなかったユネスコ協会の欧州研修団に送り込まれ
出発前日 このホテルで壮行会みたいなのをしてくれたんだ。
遣唐使か遣隋使?
担任が、決して身売りじゃないから見聞を広めてこい!
まだ成田空港が開港していない時代
旧羽田空港からスカンジナビアン航空北回り線でアンカレッジでトランジット
コペンハーゲンでスイス航空にトランスファーしてジュネーブへ
40時間位かかったかなぁ

あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる
浮世の月にかかる雲なし

山門横の酒屋で

この時期限定の忠臣蔵初しぼりを購入

帰宅しオリーブ(女房殿)と杯を酌み交わす

身体にお線香の匂いが染み付いたみたい

・・・夢を見ていました

「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる
浮世の月に かかる雲なし」

その全てにご馳走さんです😋


ps今朝の羽田空港は

出勤途中
チャリオ🚲をとめて空港の大鳥居を
ココは初日の出のメッカ

1タミのデッキは
寒ぃ〜


本日も御安全に🍀





ヒグラシの鳴き声が聴きたくて またココへきちまった

2022年08月30日 | まち歩き
昔は お大師さん周辺でも聴くことができたヒグラシの鳴き声
今では川崎市北部か横浜西部に行かなきゃ
聴くことができなくなった。
昨日 ふと思い立ち 県立四季の森公園へダメ元で行ってみた。

自宅から京急で東神奈川駅まで行って
JR横浜線に乗り換え中山駅で下車
約1キロ歩く

地元鎮守 杉山神社に御低頭

そしてその先にあるのが
1年ぶりに来た四季の森公園

もう学校が始まったせいか子供達の歓声が聞こえない

小川のせせらぎに癒される

去年もくぐったトンネル

ココに立つと
千と千尋の神隠しの あのシーンを思い出すんだ
ヒヤッとした風が抜ける

去年と その前の年はこの場所でヒグラシの鳴き声を聴いたんだけんど
聴こえない😢

渓谷沿いを下に伸びる階段を降りてゆく

いつもの蝉の鳴き声しか聴こえない

おいらがニキニキニキニキ!と声をかけながら
歩きすすむと、微かにニキニキ・・・・と?

すかさずスマホを録音モードにして進む
おいらが またニキニキニキニキ🎶と叫ぶと
今度は大きくニキニキニキニキ🎶と答えてくれる

一匹が鳴くと次々に他のヒグラシもあとに続く
誰も居ない森の中 静かに佇み聴きいる。
帽子を脱いで
みんなぁ ありがとう!と
森にお礼を言うと 一瞬 鳴き止み
間を置いて再び合唱が始まる

縁台に横たわる猫が
ヒグラシの鳴き声に反応して尻尾をぷりぷり振って🐱

季節は確実に夏から秋へ
夏の最後にヒグラシの鳴き声を聴けやした
これで おいらの夏が終わる。

昨晩の晩メシは
娘の希望でマック。

羽田空港第2ターミナルのマクドナルドでお世話になってるRさんが
しぇふさんが夜マック店長やってくれたら嬉しいなぁ😊と。
太めのドラキュラ🦇でエエの?


肌寒く感じる羽田空港から
本日も御安全に🍀


















昔懐かしい川崎区をのぞいてみませんか

2022年04月19日 | まち歩き
今月 川崎区制50周年を迎え
時代の移り変わりをジオラマやパネルで紹介するイベントが期間限定でアトレ川崎4階コモレビテラスで開催されてます。

JR川崎駅北改札の上
四人がけのテーブルが幾つも配置され
ちょっとした待ち合わせに便利。

あまり知られていないテラスなので
利用する方も少ない。

床に無造作に並べられたパネルには
あの頃と言う名の駅前と
現在の川崎区が写し出されて。

川崎駅前のジオラマには西口の東芝工場が見える。
今はラゾーナ川崎になって

真ん中の跨線橋の膨らんだ場所が

ココ
今は東西自由通路になっているけど
当時は改札口があり
西口と東口を行き交うには南側に今でもある自由通路を利用しなければならなかった。

中二階のこの場所には踊り場があり
向かいのスタバがある場所には電気店があり
ブラウン管をこちらに向けたテレビが何台も並び、スポーツ中継を観戦する方々が足を止めてた。

その横には牛乳スタンド、そしてその奥には
アルマイトの食器に盛られた黄色いカレーの
「オオモリ」が あった。
昭和の川崎の懐かしい味。
川崎出身の司会者 玉置弘がラジオで50円カレーと紹介し一躍有名になったんだ。
高度経済成長期の働く戦士のチカラメシなんだ。
以前 閉店してしまったこの味を1度だけ再現したことがある。
でも商業ベースには乗れない幻に。

新川橋通りは 親しみを込めおいらは さいか屋通りと呼んでる。

この階段、アゼリア地下街が出来るまでは
狭く暗い地下道だった。
両脇には浮浪者の寝床と傷痍軍人がアコーディオンを弾いていたり
今では想像できない環境だった。

でも美味いものも沢山。
アッ あそこのあれが食べたくなった。

この続きは
またあした。


本日も御安全に🍀











おいらの町の今と昔

2022年03月08日 | まち歩き
おいらの生まれ育った町
幼い頃は川崎大師周辺には沢山の工場があった。
あの頃 東京から多摩川に架かる六郷橋を渡っていると左手に音符の形をした赤い電飾が見える。

京急大師線港町駅裏にコロンビアレコードの本社があったんだ。
今はタワーマンションになってしまった。
港町駅のホームには コロンビアレコード出身の美空ひばりの
港町13番地の歌詞が描かれている。

JR川崎駅西口側一帯は明治製菓の工場があった、その並びには東芝の本社も。
今ではそこもタワーマンションやラゾーナ川崎 それに複合ビルに。
多摩川まで桜並木が出来て。

港町を過ぎると

歴史遺産にもなった水門が見える。
戦前、ここから渡田を通り汐入まで運河で繋げる計画があったが 戦争で数百メートル掘ったところで頓挫してしまったんだ。
怪獣ブースカのロケにも使われた。

鈴木町駅裏手には味の素工場がある。
昭和の味、味の素を作っていたんだ。
ココで作られたアミノ酸を当時 京急大師線の終電後に
その線路を利用して国鉄貨物のディーゼル機関車が専用貨車で日本各地に運んでいた。
今ではクックドゥや冷凍食品を作っているが。

その横には三楽オーシャンがあり、色々な酒を精製してた。
その一つにブレンデッドモルト用にグレンウイスキーを作っていた。
ココの前を通る度 芋が発酵したような匂いがして 子供心に なんて臭いんだと思っていたが
慣れてくると 地元に帰って来た落ち着く匂いになって。
あの頃に精製されたグレンウイスキー原酒が
山梨県の山奥の倉庫で見つかり
イチローズモルトを立ち上げた
伊知郎氏がその原酒を引き取り
世に広めたんだ。
イチローズモルト「川崎」
十数年前 池袋のバーでご縁があり
飲ませてもらったことがある。
どこか昔の京急大師線の230形電車の木張りの床の匂いがした。

京急川崎大師駅の次の駅 東門前駅の国道側には
コマツ重機の工場があった。
ブルドーザーやダンプを作っていたけど
戦車も作っていたんだ。
夜中になるとトレーラーに積まれた戦車がカバーをかけられ運ばれて行く光景に異次元で起きている何かを察知していたのを覚えている。

今では大規模マンションやショッピングセンター、それに川崎大師自動車祈祷殿までココに移転して
今は隅っこで重機の教習所をやっているだけに。

大師橋をくぐり殿町エリアへ。
左手対岸には羽田空港が一望できる。

この辺りはまだ開発が遅れているけど
ココにもいすゞ自動車の工場があった。
メインはトラックのエルフを作っていた。
一時 乗用車も作っていて
高い壁に囲まれたテストコースで走る音にワクワクしてた。

そのテストコースの跡地は川崎市の戦略特区になり高度医療の研究施設や欧米の製薬会社の研究施設に

東急REIホテルや郵便局にコンビニも出来
整備が進んで
今週 対岸の羽田空港とを結ぶ新しい橋も開通する。

大正時代この先には三本葭と呼ばれた干潟があった。
日本初の飛行学校を穴守に設立した有志が
この地で飛行訓練をしたんだ。
当時 羽田には適当な訓練場所が無く
羽田の渡しで対岸から川崎側に渡り
ヨシズで囲った格納庫?に玉井式弐号機を納め
干潮時になると訓練してたと。

今ではジェット機が爆音を轟かせ飛び去るけど
あの当時は のんびりした雰囲気で
足踏み式ミシンのようなリズムで
バタバタと音を出して飛んでいたのかなぁ。

そんなことを思いながらチャリオで帰ると🚲

オリーブ(女房殿)が懐かしい黒ネコを用意してくれていた。
尚且つ 崎陽軒のシウマイも

甘い白ワインによく合います。

まだ40数年の歴史しかないふたり

この先の・・・・・・

その全てに
ご馳走さまです🍀
















オリーブ(女房殿)と二十日大師へ

2022年02月22日 | まち歩き
昨日は二人の休みが重なったので
ご近所散歩へ

お大師さん裏手の小道を通り
大師公園前に出る。

五重塔を眺めながら大山門前で御低頭
そのまま境内に入らず
元来た道を戻り裏門で御低頭し
境内へ。
幼い頃から 西町や仲町の子供は裏門(西解脱門)をくぐり
お大師さんへお参りに行くのが常だったんだ。
大山門をくぐるのは大師本町の一部や大師町の子供が利用し
不動門からは台町や大師町の一部の子供が利用してたんだ。
地元アルアルかな。

大本堂横で御神楽が執り行われてた。
おいら達の初詣はもう少し先なので
ここで失礼し
しょうづかの婆さんの祠に御低頭。
裏門で振り向き御低頭。
自宅に戻り洗濯物を取り込み
二人でたたむ。
そして ベランダのオリーブの剪定をして

以前もオリーブフリークから剪定の仕方を教えてほしいと言われたので少しだけ
この場合 下向きの枝をチョッキン✂

こんな感じ。

横に伸び過ぎた枝チョッキン✂

解りずらいけどこんな感じに

同じ枝から同じ方向に伸びた2本は

片方の1本を大胆にチョッキ✂
去年のクリスマスから節分まで活躍した
リースが枯れてきたので

剪定した1本をクルッとして結んで。

するとグス🐹が
とうちゃん おいらに齧り木 おくれよぉ

小ぶりの枝を2本。
オリーブの葉には抗酸化作用があるので
歯磨き代わりに丁度イイんだ。

ついでにヒマワリの種も
調子にのるんじゃない!
でも一つだけね!
甘いんだなぁ。
そんでもって
明るいうちからオリーブ(女房殿)と乾杯🍻



いつもの日常に感謝🍀