東区の主税町(ちからまち)公園にて、
陶磁器産業ゆかりの地、案内板設置式典が開催された。
瀬戸や多治見という焼き物の産地から
運ばれた陶磁器に、
この付近で絵付けをし
世界中に販売していたそうだ。
名古屋は陶磁器の輸出において日本の中心となった。
衛生機器で有名なTOTOも、
元は名古屋の会社だとうことを
はじめて知った。
その後、ボランティアによる主税町文化の道探索。
明治から大正にかけて、
政財界の大物がこの辺りに住居を構えていたそうだ。
ソニーの盛田氏やトヨタの豊田氏等の邸宅が今も残っている。
江戸時代から名古屋は区画整理が行き届いており、
大名屋敷はだいたい600坪で区切られていたそうだ。
その区画を明治・大正と名士が引き継いできた。
東区のこの辺りは、もちろん現在でも一等地で
地価も高く人気だが、
景観地区ということで保全されているそうだ。
いいことだ。
なんでも開発すればよいというものではない。
歴史や文化を後世に残すことは、
私たちの世代の最低限のマナーだ。
東区文化のみちガイドボランティアは現在50名いるらしい。
みなさん相当勉強している。
地域の歴史や文化をとてもわかりやくす説明していただいた。
心から感謝を申し上げたい。
100年前の名古屋を思い起こしながら、
人間として大切な不変なものを改めて感じた。
<東区文化のみち official site>
陶磁器産業ゆかりの地、案内板設置式典が開催された。
瀬戸や多治見という焼き物の産地から
運ばれた陶磁器に、
この付近で絵付けをし
世界中に販売していたそうだ。
名古屋は陶磁器の輸出において日本の中心となった。
衛生機器で有名なTOTOも、
元は名古屋の会社だとうことを
はじめて知った。
その後、ボランティアによる主税町文化の道探索。
明治から大正にかけて、
政財界の大物がこの辺りに住居を構えていたそうだ。
ソニーの盛田氏やトヨタの豊田氏等の邸宅が今も残っている。
江戸時代から名古屋は区画整理が行き届いており、
大名屋敷はだいたい600坪で区切られていたそうだ。
その区画を明治・大正と名士が引き継いできた。
東区のこの辺りは、もちろん現在でも一等地で
地価も高く人気だが、
景観地区ということで保全されているそうだ。
いいことだ。
なんでも開発すればよいというものではない。
歴史や文化を後世に残すことは、
私たちの世代の最低限のマナーだ。
東区文化のみちガイドボランティアは現在50名いるらしい。
みなさん相当勉強している。
地域の歴史や文化をとてもわかりやくす説明していただいた。
心から感謝を申し上げたい。
100年前の名古屋を思い起こしながら、
人間として大切な不変なものを改めて感じた。
<東区文化のみち official site>