午前9時、龍光院に行くと
寸松塾(すんしょうじゅく)の案内表示があった。
中では大人たちのサポートを受けながら、
こどもたちが書を書いたり、
紙を漉いたりしていた。
(自分が漉いた紙を使い、次回書を書くそうだ。)
その姿がとても生き生きとしていた。
こどもたちの年齢は、0歳児から小学校低学年だそうだ。
親子約40名が参加した。
その後、10時から坐禅・・・
10時半から論語塾と続く。
こどもたちは不思議なくらい自然に坐禅をしていた。
坐禅の境地というのは”無”
余計なことを考える大人よりも
入りやすいのかもしれない。
論語塾では安岡定子先生が
いつものように明るい声で参加者を引き付ける。
素読は、おとな論語塾では3~4章句を一区切りとしていたが、
こちらではいきなり20章句を続けて行った。
それまでガヤガヤ騒いでいた子どもたちも
必死になって声を合わせる。
すごい!
定子先生の文章の解説は”おとな”と変わらない。
というよりも、、
こどもの解説を”おとな”で行っているのかもしれない。
だからわかりやすいのか!
こどもたちに質問する場面も多かった。
門松はどうしてたてるのでしょうか?
お正月はいつまでお正月でしょうか?
すると、争うように手をあげ答える。
いろんな答えがあったが
定子先生はすべてを温かく受け入れていた。
七草をすべて言えた子供がいたことにはびっくりした。
後半、自分の好きな章句を選んで
みんなの前で発表する(読み上げる)
というコーナーがあった。
人前で発表するという経験はなかなかできないが
すべての子がそれをやってのけた。
お寺という古来の家屋のなかで、
家族や友に囲まれ学ぶ。
まさに現代の寺小屋だ。
こどもは社会の宝だ。
改めてそう感じた。
寸松塾(すんしょうじゅく)の案内表示があった。
中では大人たちのサポートを受けながら、
こどもたちが書を書いたり、
紙を漉いたりしていた。
(自分が漉いた紙を使い、次回書を書くそうだ。)
その姿がとても生き生きとしていた。
こどもたちの年齢は、0歳児から小学校低学年だそうだ。
親子約40名が参加した。
その後、10時から坐禅・・・
10時半から論語塾と続く。
こどもたちは不思議なくらい自然に坐禅をしていた。
坐禅の境地というのは”無”
余計なことを考える大人よりも
入りやすいのかもしれない。
論語塾では安岡定子先生が
いつものように明るい声で参加者を引き付ける。
素読は、おとな論語塾では3~4章句を一区切りとしていたが、
こちらではいきなり20章句を続けて行った。
それまでガヤガヤ騒いでいた子どもたちも
必死になって声を合わせる。
すごい!
定子先生の文章の解説は”おとな”と変わらない。
というよりも、、
こどもの解説を”おとな”で行っているのかもしれない。
だからわかりやすいのか!
こどもたちに質問する場面も多かった。
門松はどうしてたてるのでしょうか?
お正月はいつまでお正月でしょうか?
すると、争うように手をあげ答える。
いろんな答えがあったが
定子先生はすべてを温かく受け入れていた。
七草をすべて言えた子供がいたことにはびっくりした。
後半、自分の好きな章句を選んで
みんなの前で発表する(読み上げる)
というコーナーがあった。
人前で発表するという経験はなかなかできないが
すべての子がそれをやってのけた。
お寺という古来の家屋のなかで、
家族や友に囲まれ学ぶ。
まさに現代の寺小屋だ。
こどもは社会の宝だ。
改めてそう感じた。
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