趣味真っ盛り!!

人生これから! 元気に趣味を楽しんでいます。

某山に山菜採り

2010年05月12日 | 日記
訪大社御柱祭も終わり街の中が静かになった
10日の夕方から降り続いた雨も今日は晴れ

日(5月1日)に山菜採りに出かけたがまだ早かった。
今日は早速1時間位山に入る。

つもの目的地に着くと先客がいる。
一足遅かったようだ

シアブラの木も採られた後。
採り残しが無いか見て歩く



いて毎年行くタラの芽の場所
ここも先客に採られた後
ちょっと違う場所まで移動。

あるある

とは言っても採れたのはいつもの年の1/3位。
余り奥山まで行って"クマとこんにちは"じゃ大変だぁ
「まっいいか。1回家族で楽しめれば」って思い山を下りる。

に帰り広げてみるとこんなにあった
下に有るのは山椒の若葉。



を下りながら小川の辺りに"ニリンソウ"、"一人静"が咲いている
ウグイスの鳴き声もすぐ近くに聞こえる

ニリンソウは花が1か所から2つ出る。
可憐な花



人静も上から1つの花穂が出る。
二人静は花穂が2つ出る。
この写真は1つだから一人静。



ちなみに家にあるのは花穂が2つの二人静。





の光を浴びながら目に青葉、山にはウグイス、せせらぎの音
気持ちが穏やかになる。
その場所に座り一人自然の中に溶け込む。

 

諏訪大社の起源は...

2010年05月10日 | 日記
日は諏訪大社下社御柱祭の最終日
初日から2日間参加すると、いささか疲れる。


のブログで4月に諏訪大社 御柱のルーツでいくらか調べたが御柱祭が終わった上社前宮本宮に行き
新しく建った御柱を眺めながら諏訪信仰と御柱について考えてみる。

また今日は御柱祭の起源について聞かれ上社前宮、本宮を訪ねる。



訪大社は、全国各地に10,000社以上の諏訪神社等と呼称される分社の総本社。
諏訪大社は、諏訪湖を中心として上社と下社の二つの神社で諏訪大社を構成。 
上社は諏訪市中洲の本宮と茅野市宮川の前宮の2社で構成されている。

社は下諏訪町に有る春宮と秋宮の2社で構成されている。
諏訪湖を挟んで諏訪市の南西、茅野市の西側に鎮座しているのが上社。
下諏訪町に鎮座しているのが下社。

祭神は山陰の島根県にある出雲大社に祀られる
大國主命(おおくにぬしのみこと)の第2子神「建御名方命神(たけみなかたのみこと)」
その妃神「八坂刀売神(やさかとめのみこと)」。
下社には兄神「八重事代主神(やえことしろぬしのみこと)を併せ祀られている。


訪大社の名称については、南方刀美神社(みなかたとみじんじゃ)、
建御名方寓命神社(たけみなかたとみのみことじんじゃ)、
諏方南宮上下社、諏訪神社、諏訪上下社とも呼ばれる。

た諏方南宮上下法性大明神(すわなんぐうじょうげはっしょうだいみょうじん)とも称えられ、
その起源は遠く古代にさかのぼることが歴史上の文書等により明らかである。



訪大社の起源は 『古事記』『諏方大明神画詞』に伝えられている。
それによると、出雲国を治めていた大国主命は、
高志(越=こし)の沼河媛(ぬなかわひめ)を嫁にとり、建御名方命をもうけた。

国主命の国ゆずり(出雲国ゆずり:天照大神へ献上)のとき、
大国主命の決めたこの国ゆずりに建御名方命(たけみなかたのみこと=諏訪社神)は
承知をせず、天照大神が差し向けた建御雷神と力競べをして負ける。

訪湖まで来てこの地にとどまる。
これが諏訪神社の始まりである。
 
こ諏訪にはそのときすでに洩矢神(もれや=守矢神)という地主神がいる。
建御名方命がこの地入ってくるのを防ごうと戦った。
 が、呪術合戦の末、洩矢神は力及ばず負けて家来になる。

は建御名方命のこの地方開拓の良い協力者になった。
この洩矢氏(もれや=守矢)の後裔(こうえい=子孫)は、
その後長きに亘り神長官として諏訪明神に仕えた。
 

御名方命とか諏訪明神という言葉は、個人を指すのではない。
諏訪に入ってきた出雲族の首長の呼び名である。

の出雲族は、背後に奥深い山を背負った守屋山麓の前宮のあたりに本拠をすえた。
これが諏訪大社上社の起源である。

の地は山も深く、谷もふかくて狩猟にもっとも適する土地であったから
それをまず生活の中心としたことは、後の祭事にも良く見えている。


立て替えられた御柱が天を突くように建っている。


さてここで言う出雲族とは、
『古事記』に描かれている日本神話には、
大きく高天原(たかまがはら)系と出雲系に分けられる。
それぞれが系譜でつながって一つの神界を形成している。

でも、高天原族と出雲族は天照(アマテラス)の弟がスサノオであるように、
高天原出身の同じ一族とされているものの両者を比べると、
その性格はかなり違っている。

雲の神々は、始祖のスサノオとオオクニヌシを主人公にしている。
最後には高天原族に屈伏し、国の支配権を譲る。
しかも、出雲の神々はどちらかというと、高天原族の敵役といった印象。
 
『日本書紀』では、その性格はもっと強調されている。
スサノオにいたっては、高天原をかき乱すただの乱暴者。
また、オオクニヌシの説話なども『日本書紀』ではほとんどカットされている。
国譲りの場面などもわりとスムーズで、いかにも朝廷側の思惑を反映したものになっている。
 
出雲の神々は無視することはできないが、どこか厄介者という扱い。

しかし忘れていけないのは、出雲族の祖とされるスサノオが出雲に天降ったのは、
高天原族の祖ニニギが九州に天降るよりも前であったこと。
そして出雲族が国を造ったあと、高天原族はその国を譲り受けている。


前宮御本殿は内御玉殿から200m程上。
古くは神殿に附属したお社。
高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられる。
諏訪信仰発祥の地と伝えられている。




社本宮には神体山として神聖視されている守屋山(標高:西峰=1650m、東峰=1631m)があるが、
現在の上社本宮拝殿の拝み方向は、山の方を向いていない。
「神居」と書かれた禁足の森の方角に向かっている。

を神体とする神社の多くは、社殿の背後に山を持ってきて拝み方向が
「社殿→神体山」と重なることが多いのに。

方、四脚門から硯石を拝むと、その延長線上には神体山が当たる。
このことから、当初の祭祀方向は「四脚門-硯石-神体山」ラインであり、
それがある頃から「拝殿-神居」ラインに変わったのだと考えられているよう。


むかしの話であり詳しい事は分らないが今から1200年以上前の桓武天皇(在位781〜805)の時代からであるという。

在の様に諏訪大社が脚光を浴びるようになったのは
武田信玄が軍神として諏訪大社を祀るようになったから、だという。

調べれば調べるほど謎に満ちた所がある。

れは諏訪の七不思議とも言われている

   1.氷湖の神幸:御神渡(おみわたり):諏訪湖
   2.元旦の蛙狩 (蛙ち寺神事)   :上杜
   3.五穀の筒粥 (筒粥神事)    :下社
   4.御作田の早稲 (御作田神事)  :下社
   5.宝殿の点滴           :上社
   6.高野耳割の鹿 (御頭祭)    :上社
   7.葛井の清池 (御幣送り神事)  :茅野市上原 葛井神社
がある。

又機会があったら訪ね歩き調べようと思う。

諏訪大社下社 御柱祭 里曳き2日目

2010年05月09日 | 日記
念ながら昨日の春宮一の建て御柱で二名の氏子が
御柱に掛けてあるワイヤーロープが外れ振り落とされ石畳に激突。
死者が出てしまった。

日の建て御柱や魁町の小路を曳行する時、
係の者、警察、消防は皆ピリピリ状態。
非常線より中に見物客がいると曳行をストップ
出してから曳行。
魁町の曳行は怒鳴り声が飛び交う。

町の曳行を見てから秋宮方面に向かう。
富士見橋から秋宮まで約1km全部長持ちが並んでいる。

くと二〇〇棹以上の長持ちが諏訪大社に奉納。
通りは凄い混みよう。

けないから立ち止まって見る。
前に行きたくても行けない状態。

笠踊り、長持ちを見て秋宮に着く。
鳥居前で、またまた車座の凄い人だかり。
騎馬行列の諏訪大社への奉納を神主にしている所。


雑振りは動画では無理。
写真に撮る。

なみに今日の人出は244000人と言っている。



諏訪大社御柱祭下社里曳き初日


諏訪大社御柱祭下社里曳き二日目



諏訪大社下社 御柱祭 里曳き初日

2010年05月08日 | 日記
から晴れの御柱日和。
今日から諏訪大社下社御柱祭里曳きの初日。
下諏訪町なかの国道20号線は終日歩行者天国。

通りでは樽酒の大判振舞い。
あちらこちらでジュースから酒まで振舞われている。
この祭りに初めて参加する人たちはきっと驚くだろう。

持ち連、踊り連、騎馬行列等を見てから
担当の御柱を曳きに向かう。

ず担当御柱の春宮二の曳き子になる。
綱には担当地区の氏子が鈴なり。
強引に近い形で曳き綱にとっつく

よいよ春宮境内へ木落とし。
御柱が落ちると曳き子の移動がすざましい。
石段になっている所で転ぶ人が続出。
危ない

察、消防も加わりてんやわんやの賑やかさ。
なんとか、けが人も出ず(?)一件落着。


しかし、春宮一の建て御柱で事故があった。
御柱の15m上から転落し、石畳に叩きつけられ2人が死亡したらしい。
今回の御柱は公表されていないが山出しでも2~3日後に一人死亡していると言う
昔から寅年の御柱は荒れるって言うけどホントだ

人出も最高
今日の人出は146,000人と言う。
明日は最高潮になるだろう。

日もお客さんが来るので御柱祭に参加。
一日楽しく見て歩ける。



デジタル一眼レフで天体写真を撮りたいな...

2010年05月07日 | 天文
い頃から興味のあった天文にデジタル一眼レフを購入して以来
天体写真を撮りたいと思っている。

前持っていた反射式経緯台はすでに廃棄してしまい
現在はスポッティングスコープでの観測。

のスポッティングスコープにホルダーとカメラマウントを
取り付け撮影しているがスポッティングスコープの解像度がイマイチ。

像度の良い屈折望遠鏡とスポッティングスコープ両用のものが無いか探す。

具メーカーからBORGという名で出している望遠鏡/望遠レンズがある。
部品がそれぞれ色々な組み合わせで供用出来る。
これだと希望通り屈折望遠鏡にもなるしスポッティングスコープにもなる。

体写真のホームページを覗くと以前覚えた月のクレーターや海が綺麗に
載っている。
土星、木星、火星も以前の望遠鏡で観測した。

んな写真を撮ってみたいものだ。
  



野菜苗の植え付け

2010年05月06日 | 家庭菜園
日は暑くなるとの予報。
朝、9時頃より先日買ってきた野菜苗の植え付けをする
トマトの位置には肥料を施してあったのですぐに植え付け開始。
マルチをしてある所は湿度があり下まで土が軟らかい。
穴を掘り水をやり植え付け。

ス、キャベツ、レタス等は肥料をやりその後植え付け。
12時まで汗をかきかき植え付け
家庭菜園の春の大仕事が終了。
畑から帰る頃には風が出てきたのでビニールハウスのビニールを
開いてくる。

、シシトウ、キュウリの植え付けのみとなった。
朝晩の水やりを欠かさないようにしなくては。


喬木村に家族でイチゴ狩り

2010年05月05日 | 日記
休最終日の今日、下伊那郡喬木村に家族でイチゴ狩りに行く。

チゴのハウスの中は茹だる様な暑さ。
日中、飯田で30.1℃。
ハウス内のイチゴも赤くならずにいられない様子。

人1人1300円。
スーパーで買うと16個入りで600円。
と言う事は、35個食べれば元が取れる計算。

んな35個達成。
それにしても暑い。
汗だく。




りに阿島の大藤に寄ってくる。
まだ花は5分咲き。

光客もちらほら。
日曜日頃は満開になるだろう。

野菜苗の買い出し

2010年05月04日 | 家庭菜園
日の天気は夏日
25℃を上回る。
諏訪大社上社の里曳きは今日が最終日。
3日間晴れのいい天気に恵まれ人出も最高とか。

社の御柱里曳きには余り行った事が無いので今日は
伊那のグリーンファームまで野菜苗の買い出しに行く。
グリーンファームの駐車場150台位の駐車スペースがあるが
駐車する所が無い程の大混雑

年は

トマト(桃太郎)接ぎ木 200円 6本
ピュアスィートミニ接ぎ木  360円 1本
スィートトマト中玉接ぎ木  280円 2本
ジューシーミニトマト接ぎ木 380円 1本
 
ナス 接ぎ木 250円 3本 
夕顔  250円 1本



レタス 3本で100円
ピーナッツ 100円 2本
キャベツ  80円 1本
芽キャベツ 80円 1本
ブロッコリー 60円 3本
ルパーム  100円 2本



を購入。
レジには"ながーい列"になっている。

のほかにまだシシトウ3本とキュウリ6本を植える予定。
ここには良い苗が無かったので他で買う予定。



高ボッチ高原からの北、南アルプスの眺望

2010年05月01日 | 日記
ろそろタラの芽が出そうかなって思い高ボッチ方面に行く。
今年の陽気は不順でまだまだの様。
後、一週間位かな

気も良く高ボッチの展望台まで来ると県外車が20台位来ている。
ゴールデンウィークで来たのだろう。

アルプスの眺望はまずまず。
ちょっと雲が被っている。
白馬三山から立山方面は余りはっきり見えない。

伏山中腹まで行くと南アルプスも綺麗に見える。
あの山は○○岳だよって言いながら晴れて暖かい陽を浴び
ハイキング気分。

学高学年の生徒だろうか、50人程を引率して鉢伏山にトレッキング。
このころの行事はきっと大人になっても忘れないだろう。