平安時代の女性にとって、
ご存じのように髪の毛が特に美人の条件と、
言われたようです。
垂髪(すいはつ)といい、
黒くてつややかな、
ロングヘアが良かったようですけれど、
まひろ(紫式部)の髪型と、
ききょう(清少納言)の髪型と少し違うでしょう?
清少納言の書いた『枕草子』には、
自分の髪の毛は癖っ毛で、
自信がなかったとありますので、
少し波打たせたのかも。
今回のドラマは、
色んな所に凝っていますね。
昨夜の放送では、
まひろの文箱にはサザエの貝殻がありました。
越前で拾ったものかな?
女性の髪と違い、
逆に男性は、
髪の毛を隠すことが大事だったようです。
お風呂に入る時も寝る時も、
被り物(かぶりもの)は取らなかったそうですよ。
被り物を取った姿を見られるということは、
下着を取ったと同様に、
非常に恥ずかしいことで、
かつ!屈辱的なことだったようです。
でも一条天皇は、
母親の詮子が夜中に訪ねてきたときは、
被り物は外しておりました。
母だったから見られても良かったのかな。
天皇の場合は特別?
あの放映の時(第18回)
ああ~
平安時代中期の男性の髪型は、
ああいうふうだったんだと知ったんですけれど(笑)
一条天皇さま、
令和の視聴者はみんな被り物を取った、
お上を見てしまいましたが、
大丈夫ですか。
(*^^*)
それで、
ガイドブックの写真をよ~く見ていたら、
髻(もとどり)や髷(まげ)が、
透けてみえる烏帽子もありました(笑)
まひろの夫(藤原宣孝)
豪放磊落(ごうほうらいらく)な、
夫役をこなした佐々木蔵之介さん。
後の三条天皇・居貞(いやさだ)東宮の被っているものは、
垂纓冠(すいえいのかんむり)というもので、
左右の棒のように見える笄(こうがい)で髻(もとどり)に刺し、
固定しているそうです。
髻(もとどり)と髷(まげ)は文字が似てますね。
その髻(もとどり)に刺す角度にも、
時代の違いがあるようですよ。
なお平安時代には、
庶民の男性も被り物をしていたようです。
昨夜放送の雨ごいの折にも、
全員被り物をしてましたね。
ですが江戸時代は貴族は被り物をしていても、
武士や庶民は丁髷(ちょんまげ)でも、
被り物はしなかったようですし、
明治時代に入ると、
散切り頭(ざんぎりあたま)になりました。
ヘアスタイルも、
変わっていくのですね。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第30回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
さて、
艶(あで)やかな和泉式部(いずみしきぶ)の登場です。
ブロ友さんの中には、
和泉式部のことに詳しいお方もいらっしゃいます。
私は全然だめなので、
入門書で『和泉式部日記』を読んでおりますが、
『和泉式部日記』の写本としては、
応永本と三条西家本との2系統があるようです。
公任(きんとう)の屋敷(四条宮)に置いての、
まひろ(紫式部)の講義で、
人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香(か)ににほひける
紀貫之の歌が出てきました。
古今集は905年ころ成ったものですから、
まひろの時代より、
ちょうど100年くらい前の和歌集なんですね。
(百人一首は後の鎌倉時代あたりの成立)
それにしても、
中宮の彰子さまは、
つまらなそうな顔をされてますね~
晴れやかな顔が全然想像できません。
どうか、お上から、
中宮様のお目の向くほうへお入りくださいませ
という、
母親の倫子の気持ちもわかりますけれど、
ちゃんと受け入れないのは中宮のほうであるが
といわれる、
一条天皇のほうがもっともなお言葉です。
道長と妻の倫子は、
明子宅での一件より、
ギクシャクしたままですね~
殿はいつも私の気持ちなどわかりませぬゆえ
倫子さん、
こういう言い方だと、
夫のすべてを、
否定してしまうことになるんですけれど。
そんな時に、
雨ごいで雨を降らせた、
陰陽師:安倍晴明のいう言葉。
今、貴方様の心に浮かんでいる人に会いに行きなされ
その方こそが、
貴方様を照らす光でございますゆえ
妾(しょう)の明子もいて、
その上、
道長の心の中にいる、
まひろ「紫式部」まで関わってくると、
どうなってくるんでしょう。
正妻である倫子は、
我が子彰子のために大きな心で、
まひろ(紫式部)を、
むかえ入れることができるでしょうか。
身分を隠すために変装した道長が、
まひろ(紫式部)を訪ねてきたところで、
今回も終了。
残念なことに、
次回8月11日(日)は、
オリンピックのためお休みのようですので、
8月18日の放送を観てから、
31回をアップ致します。
(人物写真はNHKよりお借りいたしました)