<私>はアルベルチーヌに話しかける。その時、或る種の特徴があることに気づいた、とプルーストはいう。「分別ある大人の顔をしてアルベルチーヌに話しかけていると、自分の声を聞いては私は祖母の声を聞く気がしたことがあった」。なぜそうなるのか。二つの要因を上げている。(1)遠い幼児期の記憶。(2)遺伝的要素。
「そのうえこの新たな自我が形づくられるとき、その自我のことば遣いは、かつて私に向けて発せられた皮肉な叱責のことばの記憶のなかにすっかり用意されていて、私がいまや他人にそんなことばを使い、それがごく自然に私の口をついて出てくるのは、私が無意識の模倣や記憶の連想によってそれを呼び出していたからか、あるいは生殖力の微妙で不可思議な象眼作用が、私を生んだ肉親が持っていたのと同じ抑揚と仕草と態度を、まるで植物の葉の表面と同じように私の知らぬまに私の内部に刻みこんでいたからであろう。というのも分別ある大人の顔をしてアルベルチーヌに話しかけていると、自分の声を聞いては私は祖母の声を聞く気がしたことがあったからである」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.232」岩波文庫 二〇一六年)
生まれ育った環境もまた重要な要因として働きかけるため、次のような珍妙な勘違いがたびたび起こるのはもう誰しも知っているだけでなく実際に経験していることだ。
「おまけに母も、私のノックの仕方が父とそっくりだったので(得体の知れぬ多くの無意識の流れが、私の内部で、私の指自体のごく些細な動きまでをたわめ、それを両親と同じ循環のなかへ巻きこんだのであろう)、父がはいってきたと勘違いしたことがあったではないか」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.233」岩波文庫 二〇一六年)
なかでも生まれ育った環境要因が極めて重要な作用を及ぼすのはニーチェのいう通りである。二箇所引こう。いずれもが人間の身体は一つでもその中には無数の人格が多元的に共存していることを物語る。
(1)「《良心の中味》。ーーーわれわれの良心の中味は、幼少時代のわれわれに、われわれのかつて尊敬しあるいは恐れた人びとが理由なく規則的に《要求》したものの一切である。したがってこの良心からあの義務の感情(「これを私はなさねばならない、これをやめねばならない」という)がひき起されたのであるが、しかしこの感情は、《なぜ》私はなさねばならぬのか?を問わない。ーーーしたがって、或ることが『ーーーだから』とか『なぜーーー』という理由づけや理由の詮索とともになされる場合にはすべて、人間は良心《なしに》行動するわけである。しかしだからこそまだ良心に反してではない。ーーーさまざまな権威に対する信仰が良心の源泉である。したがって良心は人間の胸中の神の声ではなく、人間の内部にいる何人かの人間の声である」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・五二・P.315~316」ちくま学芸文庫 一九九四年)
(2)「《死刑》。ーーーどんな死刑も殺人よりもっとわれわれの感情を傷つけるのはどういうわけであろうか?それは裁判官の冷酷さ、たえがたい準備、その他の人をおどろかすためにここでひとりの人間が手段として利用されるのだという洞察、である。なぜなら、かりに或る罪が存在するにしても、その罪が罰せられるのではないからである。罪は教育者・両親・環境に、われわれにあって、殺人者にはないからであるーーーわたしのいうのはそうさせる事情のことである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・七〇・P.100~101」ちくま学芸文庫 一九九四年)
とりわけ貧困家庭の多かった時代の日本では(2)にある「そうさせる事情」が顕著な事件を出現させもした。司法の世界を例に取ると「永山基準」が余りにも代表的。また(1)(2)ともに「自由に動くこともできなければ、栄養も人に頼っているような、まだ《口のきけない》状態にある小さな子供」に大きく作用するわけだが、その際、ヘーゲル弁証法的な過程を経ることは長く臨床の場にいたラカンが簡略に理論化している。
「鏡像段階というのは、精神分析がこの用語にあたえる全き意味で《同一化のひとつとして》理解するだけで十分です。すなわち、主体が或る像〔を自分のものとして〕引き受ける時みずからに生ずる変形ということで、ーーーそれがこの時相の作用として予定されていることは、精神分析における《イマーゴ》という古い用語の慣用によって十分に示されています。
この、自由に動くこともできなければ、栄養も人に頼っているような、まだ《口のきけない》状態にある小さな子供が、自分の鏡像をこおどりしながらそれとして引き受けるということは、《わたし》というものが原初的な形態へと急転換していくあの象徴的母体を範例的な状況のなかで明らかにするようにみえるのですが、その後になって初めて《わたし》は他者との同一化の弁証法のなかで自分を客観化したり、言語活動が《わたし》にその主体的機能を普遍性のなかでとりもどさせたりします。
重要な点は、この形態が《自我》という審級を、社会的に決定される以前から、単なる個人にとってはいつまでも還元できないような虚像の系列のなかへ位置づけるということであり、ーーーあるいはむしろそれは、主体が《わたし》として自分自身の現実との不調和を解消しなければならないための弁証法的総合がうまく成功していようとも、主体の生成に漸近的にしか合致しないのです。
このように、主体が幻影のなかでその能力を先取りするのは身体の全体的形態によってなのですが、この形態は《ゲシュタルト》としてのみ、すなわち、外在性においてのみ主体に与えられるものであって、そこではたしかにこの形態は構成されるものというより構成するものではありながら、とりわけこの形態は、主体が自分でそれを生気づけていると体験するところの騒々しい動きとは反対に、それを凝固させるような等身の浮彫りとしてまたそれを逆転させる対称性のもとであらわれるのです。したがって、この《ゲシュタルト》について言えば、そのプレグナンツは、たとえその運動様式が無視できるにしても、種に関連していると考えなければならないわけで、ーーーその出現のこれら二つの局面によってこのゲシュタルトは、《わたし》の精神的恒常性を象徴すると同時にそれがのちに自己疎外する運命をも予示するものです。さらにその《ゲシュタルト》はさまざまの対応をはらんでいますが、これによって、《わたし》は、いわば人間が彼を支配する幻影にみずからを投影する立像と一体化するわけであり、結局は、曖昧な関係のなかで世界がみずからを完成させようとする自動人形と一体化するわけなのです。
じじつ、《イマーゴ》についていえば、そのヴェールに覆われた顔がわれわれの日常経験や象徴的有効性の半影のなかで輪郭をあらわすのを見てとるというのはわれわれの特権ですし、ーーー個人的特徴であれさらには弱点とか対象的投影であれ、要するに《自己身体のイマーゴ》が幻覚や夢のなかで呈する鏡像的配置をわれわれが信用している以上、あるいは、鏡という装置の役割を心的現実、しかも異質なそれの現われる《分身》の出現に認めている以上、鏡像は可視的世界への戸口であるようにみえます。
鏡像段階の明らかにする空間的な騙取のなかに、人間の自然的現実が有機体として不十分であることの結果を認めさせますーーー。けれども自然とのこうした関係は人間では生体内部の或る種の裂開によって、つまり生まれてから数ヶ月の違和感の徴候と共働運動の不能があわらにする<原初的不調和>によって変化させられます。
《鏡像段階》はその内的進行が不十分さから先取りへと急転するドラマなのですがーーーこのドラマは空間的同一化の罠にとらえられた主体にとってはさまざまの幻像を道具立てに使い、これら幻像はばらばらに寸断された身体像から整形外科的とでも呼びたいその全体性の形態へとつぎつぎに現われ、ーーーそしてついに自己疎外する同一性という鎧をつけるにいたり、これは精神発達の全体に硬直した構造を押しつけることになります」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126~129』弘文堂 一九七二年)
幼児期を過ぎて幼年時代に入るとともにすかさず子どもは或る種の葛藤に苦悩することになる。否応なく避け難く直面させられ切り抜けなければならない。幼年時代の子どもには逃げ場のない<道徳>という巨大な壁に。ニーチェは「みかけや虚偽におぼれている父親にさからって自分の意向を貫き徹さなくてはならない」点、そして「バイロン卿のように、子どもっぽい起りっぽい母親とたえず闘って生きる」点を上げ、こう述べる。「そういう体験をしてしまうと、彼にとって一体もっとも大きな、もっとも危険な敵はだれであったか、を思い知るという痛手は、その生涯を通じて忘れることがないであろう」と。
「《幼年時代の悲劇》。ーーー貴い高いものを追求する人々がもっとも烈しい闘いを幼年時代に切り抜けなくてはならないということは、おそらくまれではあるまい、たとえば彼らは考えの卑しい、みかけや虚偽におぼれている父親にさからって自分の意向を貫き徹さなくてはならない、またはバイロン卿のように、子どもっぽい起りっぽい母親とたえず闘って生きるとかいうぐあいにして。そういう体験をしてしまうと、彼にとって一体もっとも大きな、もっとも危険な敵はだれであったか、を思い知るという痛手は、その生涯を通じて忘れることがないであろう」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・四二二・P.367」ちくま学芸文庫 一九九四年)
急いで付け加えておけば、この種の「悲劇」は、生涯を通じてたった一度だけしかないということを意味しない。生涯を通してより一層大きな衝撃に出会えば出会うほど、そのたびにこの種の「悲劇」は繰り返され新しい<道徳>へ更新される。さらに。
「ふつう人は自分に似ている者を毛嫌いし、自分自身の欠点を外部から見ると憤慨する。自分自身の欠点をばか正直にさらけだす年齢をとうにすぎて、たとえばどんなに燃えあがっているときでも冷ややかな顔をするようになった人は、だれか自分よりも若いか、ばか正直か、愚かな人が、昔の自分と同じ欠点を見せると、なおのことどんなにその欠点を目の敵(かたき)にすることだろう!感じやすい人たちは、自分がこらえている涙を他人の目のなかに見ると、憤慨せずにはいられない」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.233~234」岩波文庫 二〇一六年)
ほとんど誰にでも覚えのある経験である。ニーチェは皮肉を交えてこう言っている。
「《亡霊としての友人たち》。われわれが激しく変化すると、変化しなかったわれわれの友人たちは、われわれ自身の過去の亡霊となる。彼らの声は、われわれの耳には、影のように無気味に聞えてくる、ーーーまるでわれわれがわれわれ自身の声を、しかし、もっと若く、もっと生硬な、もっと未熟な声を聞くみたいに」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二四二・P.182」ちくま学芸文庫 一九九四年)
なお、前回述べた加速主義によるトランプの四年間について。なぜたった四年で超大国アメリカが見るも無惨に世界の警察から降りざるを得なくなったのか。
「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない。こうして、《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第三章・P.303~304」河出書房新社 一九八六年)
ロシア革命から得た教訓ーーー「古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができた」ーーーを一挙に取っ払うとそうなるし、そうならないわけにはいかない。種々の社会保障制度を取り入れて常に流通させておくことが貧困世帯からの搾取をも可能にし、結局のところ資本主義を延命させる<公理系>を成していたわけだが、欧米の加速主義者たちはその構造を利用して率先してトランプ陣営を煽りに煽り、トランプを大統領の座に付けることに成功すると同時に逆説的にもアメリカ型資本主義を支えていた種々の社会保障制度を木っ端微塵に打ち砕かせた。するとたちどころにラストベルトはラストベルトの無数の連鎖を発生させるに立ち至った。それが今のアメリカ、実質的従属国(日本)に対してこれまで以上に遥かに高圧的な恫喝外交を待ったなしで迫り、ほとんど無条件で幾つもの高額な武器購入を繰り返させずにはおかないアメリカを再出現させたというに過ぎない。
そのためせっせと狡猾に立ち働いた日本の大手マスコミだが、もはやグローバル資本の従僕以外の何ものでもない幹部クラスを除いて、大多数の社員とその家族は目を皿のようにして驚いたふりを演じながらも腹をくくるしかない。たかが地方支局・地方本社の社員などは自分たちが自分たち自身の手でまるで当てにならなくなるほど弱体化させた御用組合に頼ることはできるとしても御用組合である以上、本来の機能を発揮することはもはやない。大手テレビ局、大手新聞社、等々に勤務する労働者とその家族たち。ただ単なる年功序列制にすがり付いて、ほとんど見たことも会ったこともない社長や代表取締役を信じ込んできた気の毒な社員とその家族たち。ところが資本主義の掟にまっすぐ従う限り、アメリカや中国から見ればということだが、グローバル資本主義の従僕以外の何ものでもない幹部クラスを除いて、とっとと引退しない地方支局や地方本社の部課長でしかない日本の小賢しい高級取りほど資本主義にとって忌々しいものはないのである。