白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・アルベルチーヌ主演「種々のミネラルウォーターの名前の列挙による<フランスめぐり>」

2022年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

二度目のバルベック滞在以来、アルベルチーヌが獲得し用いるようになった数々の言葉遣いはたいへん豊かに増殖しつづけていた。例えば、とプルーストは例示する。

 

「『あたしが呼び売りの食べもので好きなのは、ラプソディーのように聞こえてきたものが、食卓に出ると性質が変わって、あたしの味覚に訴えてくることかしら。アイスクリームの場合だと(あたしがこんなことを言うのは、あなたの注文してくれるアイスクリームは、きっといろんな建築の形をしたあの流行遅れの型に入れて凍らせたものだと期待してるからよ)、あたしがアイスクリームの神殿や、教会や、オベリスクや、岩山なんかを食べるときはね、その都度まずはそれを地理の挿絵みたいに眺めて、それからフランソボワーズやバニラの建造物をあたしの喉ごしに冷たいさわやかなものに変えてしまうの』」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.289~290」岩波文庫 二〇一六年)

 

しばしば耳にする言葉遣いには違いない。「あたしがアイスクリームの神殿や、教会や、オベリスクや、岩山なんかを食べるときはね、その都度まずはそれを地理の挿絵みたいに眺めて、それからフランソボワーズやバニラの建造物をあたしの喉ごしに冷たいさわやかなものに変えてしまうの」。全然<文学的>でない。ごく当り前に流通している世俗の言葉遣いである。しかしそれは<私>が教えたかあるいは<私>から教わった言葉遣いの体系とは別の価値体系に属する言葉によって構築され、とめどなく湧き出しつつ流れるように文脈化されてくるものばかりで、ゆえに<私>を戸惑わせないわけにはおかず、<私>の疑念は極度に高まっていく。アルベルチーヌはそれらをいつどこで誰といる時に身に付けたのだろう。二度目のバルベック滞在以降には違いない。

 

次の言葉の中で「モンジュヴァンの、ヴァントゥイユのお嬢さんのところ」というフレーズが出てくる。アルベルチーヌのトランス(横断的)性愛が<未知の土地>として<私>に出現し、また<未知の土地>ゆえにアルベルチーヌは<私>の手の届かない世界をも生きており、むしろその世界を堪能しており、<私>に筋違いの嫉妬を起こさせた「モンジュヴァンの、ヴァントゥイユのお嬢さんのところ」。そのためアルベルチーヌを<幽閉・覗き見・監視>することにした、<私>にとっては極めて忌まわしい言葉。それでもなおアルベルチーヌを愛するとすれば<私>は終わりのない嫉妬の苦痛を延々と引き延ばしていくほかないが、だからといって苦痛の延長を何か他の快楽へ置き換えることは必ずしもできない相談ではない。カジノにのめり込むとか投資に夢中になるとか。

 

記憶に新しいところではトランプの四年間がある。資本主義を加速させ、あらゆる社会保障制度を廃絶させ、社会機構の受け皿になってきた制度を全廃するのだ。すると、あっと言う間もなく<産業・流通・金融>いずれの資本も自滅するか自滅寸前に陥る。それまで資本主義は自滅しないよう慎重この上なく幾つもの<公理系>を付け加えることでスムーズな流れを作りつつ生き延びてきた。ところが加速主義は長い間をかけて打ち立てられた<公理系>を次々と廃絶させた。物事の先の読めないトランプは欧米の加速主義者たちの甘い言葉にまんまと乗せられ、予想通りたった四年でアメリカを滅茶苦茶にすることに成功した。アメリカは死にかけた。プルーストでいえば「<私>は死ぬ寸前だった」ということになるわけだが。同盟国の要人の中には、要人であればあるほど、腹の中でせせら笑っている人間が無数にいたに違いない。いつも親分づらしていい気になってのぼせ上がっているアメリカは、言うまでもなく同盟諸国を常に厳重な監視管理下に置いている。そうせざるを得ない。鬱陶しい親分というものは、常に身近なところにこそ自分の本当の敵がいることをよく知っている。

 

とはいえ差し当たり<私>が嫉妬の苦痛から逃れたければ、ただ単にアルベルチーヌときれいさっぱり別れればいい。その瞬間、苦痛は消えてなくなる。そして誰か他の相手を見つければ済むことだ。ところが次の恋愛が始まるや再び延々と打ち続くばかりの苦痛の系列が<私>を見舞わずにはおかないだろう。ところが同じ話の流れの中でまったく別の話へ移動していくのがプルースト作品の面白味である。次の箇所。

 

「『あたしの唇の役目はね、イチゴの斑岩でできたたくさんのヴェネツィアの教会の柱を一本また一本と壊していって、その教会の残骸を信者たちのうえに落下させることなの。そう、そうするとね、そんな建物がどれも、石の広場からあたしの胸のなかへ移動してきて、早くも胸のなかで溶けてゆく冷たいものが鼓動するの。でもね、そんなアイスクリームがなくったって、鉱泉の宣伝ほど刺激的で、喉の渇きを覚えるものはないわ。モンジュヴァンの、ヴァントゥイユのお嬢さんのところじゃ、近くにおいしいアイスクリーム屋はなかったけど、あたしたちお庭で毎日べつの発泡性ミネラルウォーターを飲んでフランスめぐりをしてたのよ、ほら、ヴィシーの水のように発泡性のは、コップに注いだとたん底から白い雲が湧きおこるけど、すぐに飲まないと鎮って消えてしまうでしょう』。しかしモンジュヴァンの話を聞くのは私にとってあまりにも辛いことで、私はアルベルチーヌのことばをさえぎった」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.292~293」岩波文庫 二〇一六年)

 

ここでアルベルチーヌが演じていることは何だろう。種々のミネラルウォーターの名前を列挙し、それらの産地を通過しつつ、移動の物語を語ることだ。「フランスめぐりをしてたのよ」と。同時にそれは物語を移動させる力を持つ。だがこの物語は括弧付きの<物語>であって、脈略というものを決定的に喪失し、逆に増殖する分裂という記号の系列を出現させていく。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて149

2022年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。昼間は昨日より晴れていました。

 

「名称:“ナンテン”」(2022.12.26)

 

「名称:“西近江路”」(2022.12.26)

 

湖畔に出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

ぱらぱらと小雨が降ってきました。雨宿りにと足湯につかりに行きました。

 

「名称:“雄琴温泉観光公園内足湯”」(2022.12.26)

 

小雨が止んだようなので古墳群へ上っていきます。

 

「名称:“日の入”」(2022.12.26)

 

「名称:“日の入”」(2022.12.26)

 

「名称:“日の入”」(2022.12.26)

 

「名称:“日の入”」(2022.12.26)

 

「名称:“日の入”」(2022.12.26)

 

湖畔近くへ降りてきました。

 

「名称:“日の入”」(2022.12.26)

 

湖畔へ出ました。何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

二〇二二年十二月二十六日撮影。

 

参考になれば幸いです。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて148

2022年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。今日の大津市の日の出前と日の出後の気象予報は曇り。湿度は6時で83パーセント、9時で69パーセントの予想。湖東方面も曇りの予想。鈴鹿峠は曇りのようです。外に出ると小雨が降っています。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

西方向。雪化粧です。

 

「名称:“山並み”」(2022.12.26)

 

再び湖東方向。重そうな雲が移動中です。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

雲と山地との重なり加減が面白く見えます。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

またすぐどんよりしてきました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

日が差すような差さないような感じを繰り返します。

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

「名称:“琵琶湖”」(2022.12.26)

 

「名称:“雨上がり”」(2022.12.26)

 

二〇二二年十二月二十六日撮影。

 

参考になれば幸いです。