大江健三郎作品に関する次の論考。
佐藤泉「『引用』と『回心』について」(『ユリイカ・大江健三郎・P.393~405』青土社 二〇二三年)
大江健三郎作品に横溢する暴力の両義性についてはこれまでもう嫌というほどしつこく語られてきた。にもかかわらず多くの評論家のいう両義性はなぜか、とりわけ<女性>について、いつも「救済する」側に位置する存在として語られてきた歴史がある。強姦と和姦とのあいまいで不均衡な境界線上において。
しかし佐藤泉が大江作品の中から引用する箇所はたとえば次のような箇所である。
「高安カッチャンとペニーをめぐって小説を書き、発表もしながら、僕はのんびりしていたものだ。結局のところ僕には高安カッチャンともうひとりの同級生の死を、いくぶんかは自分そのものの死のように、怯(おび)えながら悼(いた)む心があり、つまりかれらの死は実験用の膜を透してのように隠微、着実にこちらの生に浸透してくるようであって、まずはその圧力のもとで小説を書いたのであった。そこでただひとり生き残っているモデルからの反撃に思いおよばなかったのである。彼女の手紙に接して以来、僕は自分の一種甘ったれた鈍感さについて、いくたびか夜更けにじっと赤面して考えこむということがあった」(大江健三郎「『雨の木(レイン・ツリー)』を聴く女たち・P.170」新潮文庫 一九八六年)
大江自身による自分自身の甘ったれぶりの告発。さらに大江は大江みずから大江自身のセンチメンタリズムを告発<させる>。それはしばしばコールガールも務めるペニーからの手紙という形を取った<他者>の導入によって始めて可能になったように見える。
「《プロフェッサー、あなたの『雨の木』(レイン・ツリー)は燃えてしまった。マルカム・ラウリーは、死にのぞむ人間の叫びが樹木から樹木へこだましたと書いているが、『雨の木』(レイン・ツリー)も燃える際には、人間の耳に聴きとれぬ大声をあげたのではないか?しかしまもなくアメリカもソヴィエトもヨーロッパも日本も、核爆弾の大火で燃えつきてしまうのだから、プロフェッサー、それに先だつ『雨の木』(レイン・ツリー)の炎上を、とくに悲しむのもセンチメンタルであろう。もともとその種のセンチメンタリズムが、高安も指摘していた、プロフェッサーの終末観の甘さと<対>をなして実在するとしても。/この世界のセフィロトの木は、すでにさかさまになってしまっている。ザッカリ・KがLPレコードのジャケットに引用した文章どおりに。(そのシングル盤はクリスマスまでに二百万枚を越すということです)。やはりラウリーの自殺についていわれた言葉のとおりに、いまにも世界各地で原水爆の大火が始まるとして、それは世界が永年にわたっておこなってきた自殺の、“only a ratification”なのだ》」(大江健三郎「『雨の木(レイン・ツリー)』を聴く女たち・P.217~218」新潮文庫 一九八六年)
なお、この文章(手紙)の最後に用いられている英語「“ratification”(批准)」という言葉の使用は極めて妥当だろうと思う。
また大江は「『雨の木(レイン・ツリー)』を聴く女たち」以後、それまでの読者にとって思いがけなかった<転回>を見せる。単純素朴な二元論には回収され得ない<新しい女性の眼>の登場と言っていいかと思われる。
「ギー兄さんがこの小説の書き方になぞらえながら『事件』について話した日、慎重な妻はどんな感想ものべなかった。その夜、妹から『万延元年のフットボール』を借り、当の箇所を読みかえしてみて、翌日妻はギー兄さんに次のようにいったというのだ。ーーーKちゃんがひとつの事実について、ふたつの側面から書いているのは、よく考えてのことだったと思います。けれども私は、この娘さんの側から、考えずにはいられないわ。事故であれ殺人であれ、ともかく酷たらしい死に方で死ななければならなかった、と」(大江健三郎「懐かしい年への手紙・P.501」講談社文芸文庫 一九九二年)
女性だけだろうか。子どもや障害者についても同様にいえることがある。佐藤泉の論考はこれまでの<おんな・こども>がどのように表象されてきたか。むしろ表象されることによって逆にがんじがらめに固定化されてきたかについて言及している。「新しい人よ眼ざめよ」の有名なラストシーン。障害者「イーヨー」は「イーヨー」と呼ばれることを拒否する。
「ラジオは消したものの、坐り込んだままレコードのジャケットの列を出し入れしているイーヨーに僕が声をかけた。
ーーーイーヨー、夕御飯前だよ、さあ、こちらにいらっしゃい。
ところがイーヨーはレコード・スタンドにまっすぐ顔を向け、広くたくましい背をぐっとそびやかして力をこめると、考えつづけた上での決意表明の具合に、こういったのだ。
ーーー《イーヨーは、そちらへまいりません!イーヨーは、もう居ないのですから、ぜんぜん、イーヨーはみんなの所へ行くことはできません!》
僕が食卓に眼を伏せるのを、妻が見まもっている。その視線の手前なお取りつくろいかねるほどの、端的な爽快感を僕はおそわれていた。いったいどういうことが起ってしまったのか?現に起り、さらに起りつづけてゆくものなのか?しだいに足掻(あが)きたてるほどの思いがこうじて、涙ぐみこそしなかったが、カッと頬から耳が紅潮するのを、僕はとどめることもできなかったのだ。
ーーーイーヨー、そんなことはないよ、いまはもう帰ってきたから、イーヨーはうちにいるよ、と妹がなだめる声をかけたがイーヨーは黙っているままだ。
性格として一泊ないし二泊置くように自分の考えを検討してから、それだけ姉に遅れてイーヨーの弟が次のようにいった。
ーーー今年の六月で二十歳になるから、もうイーヨーとは呼ばれたくないのじゃないか?自分の本当の名前で呼ばれたいのだと思うよ。寄宿舎では、みんなそうしているのでしょう?
いったん論理に立つかぎり、臆面ないほど悪びれぬ行動家である弟は、すぐさま立って行ってイーヨーの脇にしゃがみこむと、
ーーー光さん、夕御飯を食べよう。いろいろママが作ったからね、と話しかけた。
ーーー《はい、そういたしましょう!ありがとうございました!》とイーヨーは声がわりをはじめている弟とはまったく対極の、澄みわたった童子の声でいい、妻とイーヨーの妹は、緊張をほぐされた安堵と、それをこえた脱臼(だっきゅう)したようなおかしさにあらためて笑い声をあげていた。
背にも躰の嵩(かさ)にも、大きい差のある兄弟ふたりが、なんとか肩をくんで食卓へやって来る。そしてそれぞれ勢いよく食事をはじめるのを見ながら、僕は直前の喪失感がなお尾をひいているなかで、そうか、イーヨーという呼び名はなくなってしまうのか、と考えた。そそれはしかし、自然な時の勢いなのだろう。息子よ、確かにわれわれはいまきみを、イーヨーという幼児の呼び名でなく、光と呼びはじめねばならぬ(大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ・P.347~349」講談社文芸文庫 二〇〇七年)
露骨に描き上げられる強姦と和姦とのあいまいさ。さらに<新しい女性(さらには障害者)の眼>への移動。大江健三郎の<野蛮さ>とはそのような身体、そのような生々しい<肉>の絶え間ない運動であるだろう。