内部と外部とでシャルリュスに対する評価はまるで異なるという事態がしばしば生じる。そんなわかりきったことが言いたいのだろうか。
「いまやシャルリュス氏の悪評が広まったせいで、内情に疎い人たちはその悪評が原因で氏はつき合ってもらえないのだと信じこんでいたが、じつは氏みずからつき合いを拒否していたのだ。それゆえ氏の不機嫌の結果であったものが、その不機嫌の及んだ先の人たちの軽蔑の結果だと思われたのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.200」岩波文庫 二〇一八年)
シャルリュスは弁明しない。始めから弁明するつもりもない。さらに知識も感性も社交界の中では戦時中もなお誰一人シャルリュスに及ばない。にもかかわらず社交界で著しい地位上昇を果たしたヴェルデュラン夫人は何か自分自身の知識や感性も一緒に上昇したと思い上がる。はなはだしい勘違いに陥るヴェルデュラン夫人とその取り巻きたち。しかし話はその滑稽だけを描き出して終わるわけでは全然ない。
語り手による暴露。その一。この種の勘違いに読者もまた手を貸してしまうという実にしばしば起こり得る事態。プルーストの死後、少なくとも二十世紀のあいだ百年を通し、世界中のあちこちで実際に起きたことは今や誰でも知っている。だからといってプルーストを予言者扱いするのはそれ以上に輪をかけた勘違いを犯してしまうことになる。
だからそういうことではない。プルーストが仄めかしているのはヴェルデュラン夫人の身振り(言葉遣い・振る舞い)が巻き起こした珍妙この上なく、史上稀に見る粗暴なやりとりがどのような仕方で出現することができたのかであって、ヴェルデュラン夫人が何十年も苦労してようやく手に入れた社交界での地位とはほとんど関係がない。嫉妬まみれの執念深さを動力にパリ社交界で成り上がったヴェルデュラン夫人のような「馬鹿女」の振る舞いはただひたすら貧しくむなしい。なるほどそうだ。むしろシャルリュスにしてみれば、あるいはプルーストにしてみれば、例えば音楽だけを取り上げてみても、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、さらにはドビュッシーも登場してきた世界で、何が悲しくて今さら素人の「戦争ごっこ論」にわざわざ割り込み我を忘れて夢中にならねばならぬのか。シャルリュスは「美談」を作って自分の生涯をともすれば神話化せずにはいられないヴェルデュラン夫人のような二流三流どころとはそもそもそりが合わない。しらけるばかりで仕方がない。