白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・シリストリ大公妃の絶叫を眺める「トランス(横断的)<交通=性交>都市」<ヴェネツィア>

2023年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

サン=ルーとジルベルトとの婚約発表。もっとも、<私>はその場に居合わせたわけではない。居合わせる必要のないところにいた。

 

シリストリ大公妃はサン=ルーとジルベルトとの関係を次のように要約する。

 

「シリストリ大公妃は、ところかまわず激しく苦情を言い立て、サン=ルーの高貴な家柄を吹聴するとともに、サン=ルーがオデットとユダヤ人とのあいだに生まれた娘と結婚するようではフォーブール・サン=ジェルマンもお仕舞いだと大声で訴えた」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.550」岩波文庫 二〇一七年)

 

<私>はその時まだヴェネツィアにいた。なぜヴェネツィアでなければならないか。これまで見てきた。

 

<ヴェネツィア>はもうすでに「トランス(横断的)<交通=性交>都市」として休みなく稼働しており、また、アルベルチーヌの死とともに、<アルベルチーヌ>が「トランス(横断的)<交通=性交>マシン」であった限りで両者は<等置>され、<等値>されるやいなや<置き換え>られたことが前提されている。

 

その意味で始めてシリストリ大公妃の上げる大声は正しい。資本主義がトランス(横断的)<交通=性交>の流れである限り、そしてその代表的都市がヴェネツィアに設定されている以上、崩壊し去っていく旧秩序を眺め渡すのにこれほど見晴らしのいい場所はほかにない。一つ残らずハイブリッドさせずにはおかない世界はますます加速するのだ。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ48

2023年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年七月二日(日)。

 

朝食(午前五時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)3グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)五十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

昼食(午前一時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)3グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)五十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

夕食(午後六時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)3グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)五十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

人間が食事を取ろうとすると初代タマは自分も欲しいと自己主張するタイプだった。二代目タマはどうだろうと見ていると、ここ一週間ほどで激しく自己主張するようになった。そういうものなのだろうか。

 

猫によりけりだとは聞いているものの、ともかくここ数日はずっと人間の食事の支度が整い次第、タマの食事もちゃんと整えてやってから一緒に頂くことにしている。これからも多分そうなるだろう。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて468

2023年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

昨日と同じく午前五時のキッチンに母はいません。すでに書いた通り六月十四日午後、大津日赤に緊急入院しました。

 

したがって朝のリハビリはまた姿を変えます。当面のあいだ本を開いて、いつ飛び込んでくるかわからない母からか病院からの連絡を待ちつつ、さらに妻の病状に目を配りつつ(特に睡眠が十分に取れているか)、二代目タマの世話をして時間を過ごすことになります。

 

ここまでは同じです。

 

今日七月二日(日)。

 

母と面会。昨日一日(土)夜以降の様子を聞く。

 

夕食後、下剤にアミティーザ(カプセル)を処方されたが胃腸が気持ち悪くなり、午後八時にプリンペラン投与。さらに午後九時センノシド投与。ほどなく楽になったとのこと。個人差があるためどんな薬剤が合うか今のうちによく見極めておいてほしいとおもう。

 

今日七月二日(日)になってポート設置手術後の痛みは徐々に消失した模様。痛み止めのカロナールは飲まないでも大丈夫らしい。

 

退院間近のため不必要な荷物はできるだけ持ち帰ってきた。

 

ご飯は基本的に粥状態でしか食べられないが、卵とじうどん程度なら食べてもいいらしいという話題になるとうれしそうだ。

 

今日の午前中もリハビリ施設で予定通り体を動かせているらしい。病室内でも一日二度ほど体操はできると。手術に耐えられる体力を回復させないことにはどうにも始まらない。

 

また前回、医療スタッフからの話によれば、手術が成功し抗がん剤治療を続けられたとしても余命二年から二年半、長くて三年とのこと。母自身も聞いていたが心の中をおしはかろうにも見えてくるのは逆に面会に行っている自分自身の悔いばかりである。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・「喪の作業」の断続性と遅れてきたデリダ

2023年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

<私>はアルベルチーヌを忘却できただろうか。「喪の作業」は終了したか。プルーストはそういうことを問いはしない。むしろ「喪の作業」について、連続的で分割不可能で絶え間なく継起する単一の過程だと考えるのはまったくの錯覚でしかないというのである。「スワンの恋」の部分で<愛と嫉妬>についてこうあった。

 

「というのもわれわれが愛や嫉妬と思っているものは、連続して分割できない同じひとつの情念ではないからである。それは無数の継起する愛や、無数の相異なる嫉妬から成り立っており、そのひとつひとつは束の間のものでありながら、絶えまなく無数にあらわれるがゆえに連続しているという印象を与え、単一のものと錯覚されるのだ」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.401」岩波文庫 二〇一一年)

 

ジルベルトの署名。アルベルチーヌからの電報だと思っていたらジルベルトからのものだった。

 

「ジルベルトGilberteのあとにineという語尾がついていると思った」

 

電報の係員がそう思ったのはただ単なる読み違いだが<私>の読み違いは完璧な思い込みゆえにである。そして<私>が完璧な思い込みによる読み違いを犯しているとすれば、さらにこの読み違いが完璧であればあるほど転倒を起こし、もはや<私>はその電報について<他者>として読み違うほかない。

 

「ジルベルトGilberteのあとにineという語尾がついてい」ることでやおら出現した「ジルベルチーヌ」という謎の署名。さらに「Gのほうはゴシック文字のAに思われた」ため、死んだはずの「アルベルチーヌ」が復活してしまう。

 

「ジルベルトの筆跡のかなりわざとらしい独特の癖は、主として、ある行を書くとき、tの横棒が上にはみ出して上の行の語にアンダーラインを引いたように見えたり、iの点が上にはみ出して上の行の文を中断する句読点のように見えたり、逆に語の下につけ加えられた尻尾のアラベスクふうの飾りが下の行にはいりこんだりする点にあったから、電報の係員が上の行のsやyの丸くなった箇所を、ジルベルトGilberteのあとにineという語尾がついていると思ったのも無理からぬことだった。ジルベルトのiの点は、上方へはみ出し、中断符号のひとつの点に見えたのだろう。Gのほうはゴシック文字のAに思われたのだろう。このほかにも二、三の語がうまく読めず、なかにはべつの語ととり違えられたものもあると考えれば(そもそもいくつかの語は私には判読不可能だった)、それだけで私の勘違いを隈なく説明するのに充分であったが、しかしその必要さえなかった。そそっかしくて、とくに先入観にとらわれ、手紙はあの人から来たものという想いこみが先に立つ人は、たった一語のなかにどれほど多くの文字を読みとり、一文のなかにどれほど多くの語を読みとることだろう。人は読みながらいい加減な見当をつけ、創作さえするのだ」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.538~539」岩波文庫 二〇一七年)

 

また「そそっかしくて、とくに先入観にとらわれ、手紙はあの人から来たものという想いこみが先に立つ人は、たった一語のなかにどれほど多くの文字を読みとり、一文のなかにどれほど多くの語を読みとることだろう」とある。ところがしかし「そそっかしくなくて、とくに先入観にもとらわれておらず、手紙はあの人から来たものという想いこみが先にも後にも立たない人」だとすれば、言い換えれば、この手紙の宛名に関してまったくの<他者>に位置する読者だった場合、どうなるだろうか。「たった一語のなかにどれほど多くの文字を読みとり、一文のなかにどれほど多くの語を読みと」ることはないだろうか。さらには「読みながらいい加減な見当をつけ、創作さえ」しないと言えるだろうか。そんなわけはまるでないのである。

 

手紙が誤って<他者>の手に渡ってしまった場合、「ジルベルチーヌ」という読み違いから死んだはずの「アルベルチーヌ」をなにやら復活させてしまったようだと惚ける余裕のあるほど、もはや限りなく遠く完璧なまでに馬鹿げた<他者>となった<私>。そんな<私>であればあるほど手紙について「たった一語のなかにどれほど多くの文字を読みとり、一文のなかにどれほど多くの語を読みとることだろう。人は読みながらいい加減な見当をつけ、創作さえする」ほかなくなるばかりなのだ。

 

プルーストが言っているのは手紙が誤って<他者>の手へ配達されてしまった場合、逆に誤らず配達された上に熱狂的な思い込みに取り憑かれて読んでいる宛先以上に、それこそ無数の読解可能性(あるいは誤読可能性/読解不可能性)が出現するということだ。プルーストのフランス語論。

 

「というのも、われわれが正確な発音をこれほど誇りにしているフランス語の単語はどれも、ラテン語やザクセン語を訛って発音したガリア人の口が犯した『言い間違い』にほかならず、われわれの言語はいくつかの他の言語を誤って発音したものだからである。生きた状態の言語の真髄、フランス語の過去と未来、これこそフランソワーズの間違いのなかで私の興味を惹いて然るべき問題であった。『かけはぎ屋』のことを『<い>かけはぎ屋』と言うのは、大昔から生き残って動物の生命がたどった諸段階を示してくれるクジラやキリンのような動物と同じほど、興味ぶかいことではないか?」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.306」岩波文庫 二〇一五年)

 

しかしそれが一体何についてどんな効果があるというのだろう。言語というものは、誤って<他者>の手へ配達されればされるほど、無数の読解可能性(あるいは誤読可能性/読解不可能性)を出現させることで、唯一絶対的読解を無効化してしまう効果がある。唯一絶対的基準の無効化(「神の死」)を常に実現させていくことで言語的全体主義を解体させる効果があるというわけである。

 

ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」がもしたった一つしかなかったとしたら、それこそ世界は唯一絶対的<神>の文法の下で一人残らず統合されてしまっていたことだろう。俗な言い方をすれば全世界がとっくの昔にソ連化してしまっていたことだろう。

 

しかしそうはならなかった。プルーストの時代すでにニーチェが指摘していたように、言語圏の複数性は、世界の絶対的統一を許さない差異的価値体系として存在していた。

 

「個々の哲学的概念は何ら任意なもの、それだけで生育したものではなく、むしろ互いに関係し類縁を持ち合って伸長するものであり、それらはどんなに唐突に、勝手次第に思惟の歴史のうちに出現するように見えても、やはり或る大きな大陸の動物のすべての成員が一つの系統に属するように、一つの系統に属している。このことは結局、極めて様々の哲学者たちもいかに確実に《可能な》諸哲学の根本図式を繰り返し充(み)たすか、という事実のうちにも窺(うかが)われる。彼らは或る眼に見えない呪縛(じゅばく)のもとに、常にまたしても新しく同一の円軌道を廻(めぐ)るのである。彼らはその批判的または体系的な意志をもって、なお互いに大いに独立的であると自ら感じているであろう。彼らのうちにある何ものかが彼らを導き、何ものかが一定の秩序において次々と彼らを駆り立てる。それはまさしく概念のあの生得的な体系性と類縁性とにほかならない。彼らの思惟は実は発見ではなく、むしろ再認であり、想起であり、かつてあの諸概念が発生して来た遥遠な大昔の魂の全世帯への還帰であり帰郷である。ーーーそのかぎりにおいて、哲学することは一種の高級な先祖返りである。すべてのインドの、ギリシアの、ドイツの哲学の不思議な家族的類縁性は、申し分なく簡単に説明される。言語上の類縁性の存するところ、まさにそこでは文法の共通な哲学のおかげでーーー思うに、同様な文法的機能による支配と指導とのおかげでーーー始めから一切が哲学大系の同種の展開と順序とに対して準備されていることは、全く避けがたいところである。同様にまた、世界解釈の或る別の可能性への道が塞(ふさ)がれていることも避けがたい。ウラル・アルタイ言語圏の哲学者たち(そこにおいては、主語概念が甚だしく発達していない)が、インド・ゲルマン族や回教徒とは異なった風に『世界を』眺め、異なった道を歩んでいることは、多分にありうべきことであろう。特定の文法的機能の呪縛は究極のところ《生理学的》価値判断と種族的条件の呪縛である」(ニーチェ「善悪の彼岸・二〇・P.38~39」岩波文庫 一九七〇年)

 

ニーチェ=プルーストによく見えていたものが、その後五十年も経ってからあたかもデリダ一人の思想戦略的大発見ででもあるかのように驚いて見せるしらじらしい身振り。プルーストが書けばギャグにも思えて面白いけれども、今の日本の評論家が書こうとするとややもすれば論文めいて見えてくる。


Blog21・トランス(横断的)<交通=性交>の場所としてのヴェネツィア3

2023年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

近代都市としての一つの前提。ヴェネツィアの場合。

 

「びっしりと張りめぐらされたカレは、ひとつの運河とラグーナとのあいだに切りとられたヴェネツィアの一画をその細い筋で縦横に分割しているので、この一画は、そうした無数の細い小片に分かれて結晶化したかのように見える」

 

その上で次の箇所に目を通してみる。

 

「びっしりと張りめぐらされたカレは、ひとつの運河とラグーナとのあいだに切りとられたヴェネツィアの一画をその細い筋で縦横に分割しているので、この一画は、そうした無数の細い小片に分かれて結晶化したかのように見える。そのような小路のひとつの突き当たりに、突然、結晶化した物質の内部になんらかの膨張が生じたみたいに、広々とした豪華なカンボがあらわれた。もちろん私は、この小路の網目のなかにこれほど立派な広場があるとは、いや、ちょっとした空間があるとさえ想像だにしなかったが、目の前にあらわれた広場は、すてきなパラッツォに囲まれ、月の光に青白く照らされている。このように立派な建物が集まる場所は、ほかの町なら、多くの通りがその方向へ向かい人びとを導いてその場所を示してくれるのだが、このヴェネツィアでは、交錯する小路のなかにわざと隠されているように見える。それはまるで東方の物語に出てくる宮殿群のようで、そこへ連れてゆかれた登場人物は、夜明け前に自宅へ連れもどされると、もう二度とその魔法の住まいを見つけることができず、ついにはそこへ出かけたのは夢としか思えなくなってしまう。私も翌日、前夜に見たこの立派な広場を探しに出かけたが、私のたどるいくつものカレはどれも似ていてなんの道しるべにもならず、ますます道に迷うばかりだった。ときには漠然とした手がかりを見つけた気がして、追放されたあの立派な広場が幽閉された孤独と沈黙のままに今にも眼前にあらわれそうな気がした。と、そのとき、新しいカレのすがたに身をやつした疫病神のせいで、私は心ならずも道をひき返させられ、いきなり大運河のほとりに出ていた。夢の想い出と現実の想い出とのあいだには大きな違いはないから、とうとう私は、ヴェネツィアの結晶化したような暗い一区画に、無幻的なパラッツォに囲まれた大きな広場が月の光の長々しい瞑想にゆだねられるあの奇妙な浮遊状態は、ひとえに夢のなかで生じたことだったのかといぶかしがるようになった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.527~529」岩波文庫 二〇一七年)

 

ひと際特徴的におもえるところを三箇所ばかり書き出してみよう。

 

(1)「小路のひとつの突き当たりに、突然、結晶化した物質の内部になんらかの膨張が生じたみたいに、広々とした豪華なカンボがあらわれた。もちろん私は、この小路の網目のなかにこれほど立派な広場があるとは、いや、ちょっとした空間があるとさえ想像だにしなかった」

 

(2)「立派な建物が集まる場所は、ほかの町なら、多くの通りがその方向へ向かい人びとを導いてその場所を示してくれるのだが、このヴェネツィアでは、交錯する小路のなかにわざと隠されているように見える」

 

(3)「翌日、前夜に見たこの立派な広場を探しに出かけたが、私のたどるいくつものカレはどれも似ていてなんの道しるべにもならず、ますます道に迷うばかりだった。ときには漠然とした手がかりを見つけた気がして、追放されたあの立派な広場が幽閉された孤独と沈黙のままに今にも眼前にあらわれそうな気がした。と、そのとき、新しいカレのすがたに身をやつした疫病神のせいで、私は心ならずも道をひき返させられ、いきなり大運河のほとりに出ていた」

 

東日本大震災の数年前、一九九〇年代前半、何度か訪れた東京都二十三区の姿の原型に思えて仕方がない、というほかない。それほど東京は、日本の中に限ってみれば、最先端都市に映って見えた。京都や大阪とはまるで違う。

 

もっとも、東京を歩く時はいつもそうだが地図を片手に歩くと発見がなく逆に<出会い損ない>の繰り返しにおちいり病状悪化を招き込むばかりなので、主に<戦後民主主義>日本近代文学に書かれた文章を地図代わりに歩いた。<地図としての文学>を歩こうとおもったわけである。そしてその記憶は今なお微笑ましい。

 

一概に<出会い損ない>がいけないというわけではない。近代の芸術家や思想家たちは偶然的な<出会い損ない>に出会うことでそれまでになかった新しいものを<発見>するきっかけを手に入れてきたことは多くの人々が知っている。プルーストもレヴィ=ストロースもそうかもしれない。ところが日本の場合はその逆で<発見がない=出会い損ない>という同義反復に限りなく近い徒労がなぜか<目的達成>に見える<すり換え・自画自賛・予定調和>がないと腑に堕ちないという奇怪な空気で充満している。

 

プルーストが描くヴェネツィアは近未来でもなんでもなく当時のヴェネツィアのトランス(横断的)<交通=性交>の流れである。似たようなところなら世界中無数にあるだろう。ニューニョーク。上海。返還前の香港ーーー。そのような場所は多少なりとも不気味さを覗かせていてそれが魅惑的に映ってもいた。ところが逆にあれから二十五年以上経った東京二十三区の風景というのは<見た目>が違っているのは諸外国と変わらないにもかかわらず、その内容はすっかりごっそり同質的かつ均質的な空間の支配による全体主義化が粛々と推し進められているように思えてならない。