<私>はアルベルチーヌを忘却できただろうか。「喪の作業」は終了したか。プルーストはそういうことを問いはしない。むしろ「喪の作業」について、連続的で分割不可能で絶え間なく継起する単一の過程だと考えるのはまったくの錯覚でしかないというのである。「スワンの恋」の部分で<愛と嫉妬>についてこうあった。
「というのもわれわれが愛や嫉妬と思っているものは、連続して分割できない同じひとつの情念ではないからである。それは無数の継起する愛や、無数の相異なる嫉妬から成り立っており、そのひとつひとつは束の間のものでありながら、絶えまなく無数にあらわれるがゆえに連続しているという印象を与え、単一のものと錯覚されるのだ」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.401」岩波文庫 二〇一一年)
ジルベルトの署名。アルベルチーヌからの電報だと思っていたらジルベルトからのものだった。
「ジルベルトGilberteのあとにineという語尾がついていると思った」
電報の係員がそう思ったのはただ単なる読み違いだが<私>の読み違いは完璧な思い込みゆえにである。そして<私>が完璧な思い込みによる読み違いを犯しているとすれば、さらにこの読み違いが完璧であればあるほど転倒を起こし、もはや<私>はその電報について<他者>として読み違うほかない。
「ジルベルトGilberteのあとにineという語尾がついてい」ることでやおら出現した「ジルベルチーヌ」という謎の署名。さらに「Gのほうはゴシック文字のAに思われた」ため、死んだはずの「アルベルチーヌ」が復活してしまう。
「ジルベルトの筆跡のかなりわざとらしい独特の癖は、主として、ある行を書くとき、tの横棒が上にはみ出して上の行の語にアンダーラインを引いたように見えたり、iの点が上にはみ出して上の行の文を中断する句読点のように見えたり、逆に語の下につけ加えられた尻尾のアラベスクふうの飾りが下の行にはいりこんだりする点にあったから、電報の係員が上の行のsやyの丸くなった箇所を、ジルベルトGilberteのあとにineという語尾がついていると思ったのも無理からぬことだった。ジルベルトのiの点は、上方へはみ出し、中断符号のひとつの点に見えたのだろう。Gのほうはゴシック文字のAに思われたのだろう。このほかにも二、三の語がうまく読めず、なかにはべつの語ととり違えられたものもあると考えれば(そもそもいくつかの語は私には判読不可能だった)、それだけで私の勘違いを隈なく説明するのに充分であったが、しかしその必要さえなかった。そそっかしくて、とくに先入観にとらわれ、手紙はあの人から来たものという想いこみが先に立つ人は、たった一語のなかにどれほど多くの文字を読みとり、一文のなかにどれほど多くの語を読みとることだろう。人は読みながらいい加減な見当をつけ、創作さえするのだ」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.538~539」岩波文庫 二〇一七年)
また「そそっかしくて、とくに先入観にとらわれ、手紙はあの人から来たものという想いこみが先に立つ人は、たった一語のなかにどれほど多くの文字を読みとり、一文のなかにどれほど多くの語を読みとることだろう」とある。ところがしかし「そそっかしくなくて、とくに先入観にもとらわれておらず、手紙はあの人から来たものという想いこみが先にも後にも立たない人」だとすれば、言い換えれば、この手紙の宛名に関してまったくの<他者>に位置する読者だった場合、どうなるだろうか。「たった一語のなかにどれほど多くの文字を読みとり、一文のなかにどれほど多くの語を読みと」ることはないだろうか。さらには「読みながらいい加減な見当をつけ、創作さえ」しないと言えるだろうか。そんなわけはまるでないのである。
手紙が誤って<他者>の手に渡ってしまった場合、「ジルベルチーヌ」という読み違いから死んだはずの「アルベルチーヌ」をなにやら復活させてしまったようだと惚ける余裕のあるほど、もはや限りなく遠く完璧なまでに馬鹿げた<他者>となった<私>。そんな<私>であればあるほど手紙について「たった一語のなかにどれほど多くの文字を読みとり、一文のなかにどれほど多くの語を読みとることだろう。人は読みながらいい加減な見当をつけ、創作さえする」ほかなくなるばかりなのだ。
プルーストが言っているのは手紙が誤って<他者>の手へ配達されてしまった場合、逆に誤らず配達された上に熱狂的な思い込みに取り憑かれて読んでいる宛先以上に、それこそ無数の読解可能性(あるいは誤読可能性/読解不可能性)が出現するということだ。プルーストのフランス語論。
「というのも、われわれが正確な発音をこれほど誇りにしているフランス語の単語はどれも、ラテン語やザクセン語を訛って発音したガリア人の口が犯した『言い間違い』にほかならず、われわれの言語はいくつかの他の言語を誤って発音したものだからである。生きた状態の言語の真髄、フランス語の過去と未来、これこそフランソワーズの間違いのなかで私の興味を惹いて然るべき問題であった。『かけはぎ屋』のことを『<い>かけはぎ屋』と言うのは、大昔から生き残って動物の生命がたどった諸段階を示してくれるクジラやキリンのような動物と同じほど、興味ぶかいことではないか?」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.306」岩波文庫 二〇一五年)
しかしそれが一体何についてどんな効果があるというのだろう。言語というものは、誤って<他者>の手へ配達されればされるほど、無数の読解可能性(あるいは誤読可能性/読解不可能性)を出現させることで、唯一絶対的読解を無効化してしまう効果がある。唯一絶対的基準の無効化(「神の死」)を常に実現させていくことで言語的全体主義を解体させる効果があるというわけである。
ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」がもしたった一つしかなかったとしたら、それこそ世界は唯一絶対的<神>の文法の下で一人残らず統合されてしまっていたことだろう。俗な言い方をすれば全世界がとっくの昔にソ連化してしまっていたことだろう。
しかしそうはならなかった。プルーストの時代すでにニーチェが指摘していたように、言語圏の複数性は、世界の絶対的統一を許さない差異的価値体系として存在していた。
「個々の哲学的概念は何ら任意なもの、それだけで生育したものではなく、むしろ互いに関係し類縁を持ち合って伸長するものであり、それらはどんなに唐突に、勝手次第に思惟の歴史のうちに出現するように見えても、やはり或る大きな大陸の動物のすべての成員が一つの系統に属するように、一つの系統に属している。このことは結局、極めて様々の哲学者たちもいかに確実に《可能な》諸哲学の根本図式を繰り返し充(み)たすか、という事実のうちにも窺(うかが)われる。彼らは或る眼に見えない呪縛(じゅばく)のもとに、常にまたしても新しく同一の円軌道を廻(めぐ)るのである。彼らはその批判的または体系的な意志をもって、なお互いに大いに独立的であると自ら感じているであろう。彼らのうちにある何ものかが彼らを導き、何ものかが一定の秩序において次々と彼らを駆り立てる。それはまさしく概念のあの生得的な体系性と類縁性とにほかならない。彼らの思惟は実は発見ではなく、むしろ再認であり、想起であり、かつてあの諸概念が発生して来た遥遠な大昔の魂の全世帯への還帰であり帰郷である。ーーーそのかぎりにおいて、哲学することは一種の高級な先祖返りである。すべてのインドの、ギリシアの、ドイツの哲学の不思議な家族的類縁性は、申し分なく簡単に説明される。言語上の類縁性の存するところ、まさにそこでは文法の共通な哲学のおかげでーーー思うに、同様な文法的機能による支配と指導とのおかげでーーー始めから一切が哲学大系の同種の展開と順序とに対して準備されていることは、全く避けがたいところである。同様にまた、世界解釈の或る別の可能性への道が塞(ふさ)がれていることも避けがたい。ウラル・アルタイ言語圏の哲学者たち(そこにおいては、主語概念が甚だしく発達していない)が、インド・ゲルマン族や回教徒とは異なった風に『世界を』眺め、異なった道を歩んでいることは、多分にありうべきことであろう。特定の文法的機能の呪縛は究極のところ《生理学的》価値判断と種族的条件の呪縛である」(ニーチェ「善悪の彼岸・二〇・P.38~39」岩波文庫 一九七〇年)
ニーチェ=プルーストによく見えていたものが、その後五十年も経ってからあたかもデリダ一人の思想戦略的大発見ででもあるかのように驚いて見せるしらじらしい身振り。プルーストが書けばギャグにも思えて面白いけれども、今の日本の評論家が書こうとするとややもすれば論文めいて見えてくる。