混み合う新宿駅のプラットフォーム。兄イーヨーが癲癇発作を起こした。そんなことわかるはずのない客たちは行列をなしてどんどん押し立ててくる。今にも倒れそうな兄イーヨーを妹マーちゃんは必死で支える。客たちの視線はあからさまにこう語る。
「おおっぴらに人前で抱き合う若いカップルのような」
「行列の進行を妨げるかたちで、それもおおっぴらに人前で抱き合う若いカップルのような自分たちにあからさまに腹を立てた人たちと、私は面とむかっていたのだ」(大江健三郎「静かな生活・P.116」講談社文芸文庫 一九九五年)
あわやパニック。だが寸前でイーヨーの発作はおさまり、とっさに体勢を入れ換えると逆に押しつぶされそうになっているマーちゃんをすぐさま防御してやる。この箇所は丹念に書き込まれている。
「ところがすぐにも気のついたことだが、私の支えているつもりだった兄の躰が、じつは私を行列の進行にさからって保護しており、しかも動きのなかでジリジリ私の躰と位置をいれかえているのだ。いまはあからさまな罵声(ばせい)さえ私たちの耳の脇に吐き捨てられていたけれど、兄は躰が斜めになって押しつぶされそうになったところを押しかえし、ついに私を両腕の間に防護しつつ、進んで来る人たちに顔をまっすぐ向けていた。それを境いに、私の両脇や背を小突いてはすりぬけていた人びとの圧力が消滅して、私たちを避けて行く人たちの動きが自然な流れすらなすふうなのだ。その頃にはもう座席をとることを断念した人たちの、扉口へ向かう動きがゆるやかになっていたのではあるけれど、私は涙眼でふりあおいだイーヨーの顔が、他人への反射的な敵意というより、威圧する落着いた強い表情をたたえて、私の頭の後方へまっすぐ向けられているのを見たーーー」(大江健三郎「静かな生活・P.116~117」講談社文芸文庫 一九九五年)
丹念に書き込まれているのはただ単に行列をなして殺到する客たちの無理解を炙り出そうとしているだけなのではない。ただそれだけのことが言いたいのなら次章で描かれる「女生徒の罵倒」だけでよかった。しかしそれだけでは事態の複雑さを単純化し過ぎてしまうことになる。単純化すると、両方の場面を改めて取り出してみて始めて見えてくる問題の射程の複雑さがあっけなく覆い隠されてしまう。世間の無理解というステレオタイプ(紋切型)へ還元され形式化され、妹マーちゃんがどうして自分の中にも生息する<邪悪な歓喜>を認めるに立ち至ったかという重要な過程がまるで消去される。それは大江の書き込みの丹念さを逆に踏み躙ることで、踏み躙りを通してマーちゃん自身の中の<邪悪な歓喜>を<見ない>ことに等しい。
さらに妹マーちゃんは兄イーヨーの中にも「アンチ・キリストのように邪悪な力をひそめているかも知れない」と考え、「たとえそうだったとしても、私はイーヨーについてどこまでも行こう、という不思議な決心が湧いてきた」という決定的転回を経る。
「そのうち、私の胸のなかに、ーーーもしかしたらイーヨーはアンチ・キリストのように邪悪な力をひそめているかも知れない。たとえそうだったとしても、私はイーヨーについてどこまでも行こう、という不思議な決心が湧いてきたのだ。なぜアンチ・キリストと兄が結びついたのか。それには『ストーカー』の金色のプラトークで頭を巻いた女の子が媒介をなしているということだけしかわからなかったけれど。兄の子供の時の写真もたいてい頭が繃帯(ほうたい)か布で巻いてあるか、毛糸の帽子をスッぽりかぶっている姿かたちのものだったーーー
それでも私の躰をつらぬいて光が放射されるように、続けて起って来るのはあきらかに邪悪な強い歓喜でーーー私はこの世界の人間のうちもう兄と自分自身のことしか考えなかったからーーーひとつ向こうのフォームから出て行く特急のレールの音にまじって、ベートーヴェンの第九とはくらべることもできないが、やはり一種の『歓喜の歌』が聞えるのを、自分の頭のすぐ上にあるイーヨーのふっくらした耳と一緒に、私は勇気にあふれて受けとめるようであったのだ」(大江健三郎「静かな生活・P.117~118」講談社文芸文庫 一九九五年)
妹マーちゃんは障害者の兄イーヨーを保護しているつもりだった。それがとっさに転倒を起こし、妹マーちゃんは障害者の兄イーヨーに保護される。保護し合い保護され合う。客たちの目に映るそれが一組の兄妹による近親相姦に等しければ等しいほど、かつておおっぴらに提出された問いが新しく問いかけられる。
<邪悪な歓喜>とは何か。なぜ<邪悪>なのか。
「おおっぴらに人前で抱き合う若いカップルのような」それが実際の<兄妹>であるような場合、このテーマはもっと早くから提出されていた国家(制度)を揺るがし崩壊させるに至るであろう吹き荒れる暴風へ接続される。
「『妹は白痴だったが、本当に独特な人間だった。きれいな音だけが好きで、音楽を聴いていると幸福だった。飛行機の機関音とか、発車する自動車のエンジンの音を聞くと、耳の奥に火をつけられたみたいに苦痛を訴えることがあった。あれは本当に痛かったのだと思うよ。空気の振動だけでガラスが割れることがあるだろう?ああいう風に、妹の耳の奥でなにか繊細なものが割れる痛みだったんだ。ともかく伯父の村で、妹のように音楽を理解し、音楽を絶対に必要とする人間は他にいなかった。妹は醜くなかったし清潔だった。異様に清潔だったよ。それが過度の音楽の嗜好ともども、妹の白痴の特性だった。伯父の村の若者たちのなかにはたびたび、妹が音楽を聴いているところを覗きに来たりする連中がいた。いったん音楽が鳴りはじめると、妹は耳だけの存在になったからね、それより他のすべてが遮断されていっさい妹の意識にしのびこむことがなかった。覗き屋どもは安全だった。しかしおれは連中を発見すると死にもの狂いで闘ったものだ。おれにとっては妹が唯一の女性的なるものだった、それを守りぬかねばならない。実際、おれは伯父の村の娘たちとまったくつきあわなかったし、隣町の高校に入っても同級の女学生たちと口をきいたことさえなかった。おれは自分と妹をめぐって一種の貴種流離譚(たん)を作りあげて、曽祖父さんとその弟以来の自分の家系にひどく拡大した誇りを抱いていた。同情的にみてくれるならおれはそのようにして、伯父の家に妹と厄介になっている境遇のコンプレックスを撥ねかえそうとしていたわけだ。おれは妹に、自分たちは選ばれた特別の二人なのだから、おれも妹も、お互い同士より他の人間に興味を持つことはありえないし、あってはならないと教えこんだ。そのようなおれたちについて、あの兄妹は一緒に寝ているというような噂をたてる、したたかな大人もいた。おれはそういう連中の家に、投石して報復した。しかしおれはその噂に逆に暗示を受けてしまってもいたんだ。おれは頭のふにゃふにゃしたファナティクな十七歳の高校生で、そうした暗示に弱い孤独家だったんだよ。その年の初夏のある夕暮、おれは突然に酔っぱらってしまった。伯父の家の田植えがすっかり終った日で、母屋では手伝い動員された村の誰もかれもが集って酒を飲んでいた。流離している貴種たるおれは、当然田植えを手伝わなかったが、若い衆たちの間に呼びこまれて生まれてはじめて酒を飲み、すっかり酔っぱらってしまったのさ。それを伯父に見つけられて、おれは叱られたあげく離れに戻った。はじめ妹は、酔っぱらっているおれを面白がって笑っていたんだ。しかし母屋で乱酔した百姓連中の歌や囃子(はやし)が始まるとたちまち怯(おび)えてしまった。耳をおさえこんだ鮑(あわび)のように躰を伏せて、それでも耐えきれなくて幼児みたいに嗚咽(おえつ)するんだよ。いったん酔っぱらって歌いはじめたら、猥褻(わいせつ)で野卑な歌を、濁(だ)み声で真夜中過ぎまで歌い続ける連中におれは猛烈に腹を立てて、ひどく反社会的な気分だった。そして妹をなだめるために躰をかかえてやりながら、おれは妙な具合に昂奮していた。そのうちおれは妹と性交してしまったんだ』」(大江健三郎「万延元年のフットボール・P.389~391」講談社文芸文庫 一九八八年)
鷹四は過剰な肉体そのものと化している。鷹四は一つの詩を歌っている。ところがこの詩は禁じられた詩であり、決して歌われてはならない詩だった。「万延元年のフットボール」の射程は国家(制度)に対抗するわけではなく、その根拠に向けて根底から揺さぶりをかける暴力そのものにほかならない。大江健三郎の仕掛けた国家暴力とその根拠へのラディカル極まりない揺さぶり。一九六〇年代に始めて大江が提出したテーマは一九九〇年代になってなお、時代に則して柔軟に形を変えながら問い続けられていたというべきだろう。