白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ69

2023年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年七月二十三日(日)。

 

深夜(午前三時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)七十粒摂取。

 

朝食(午前五時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)七十粒摂取。

 

昼食(午後一時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)七十粒摂取。

 

夕食(午後六時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)七十粒摂取。

 

午前中、飼い主は基礎疾患(喘息)の診察で近くの医院へ。新型コロナの第二波が広がった数年前。数時間ほど発作が生じたためもしやと思い受診したのだがコロナではなかった。それでも幼少期からずっとひどいアレルギー症状に襲われることがたびたびあり、今後のことも考えて定期的に受診。

 

タマの様子だが、未明にリビングを覗いて音を立ててみるとテーブルからすっと床に降りて足元へすりすりしてくる。飼い主がかがみ込んで首筋を撫でてやると指を軽く甘噛みしてすぐ少し離れ、遊んでほしい意志を伝える。先に食事。次に食後の運動。差し当たり十五分ほど。早朝はとても調子がいい。

 

朝食後の運動。今日の玩具は空になった白だしのボトルのプラスチック製キャップ。大変食いつきがいいので試しにキャップの匂いを嗅いでみるとカツオ節の匂いがほんのり残っている。そのためかどうかはわからないがともかく、リビングの一方の隅からもう一方の端へキャップを投げてやると勢いよく駆け寄って口にくわえ、テーブルの下や籐椅子の下の暗がりへせっせと運び込む。その繰り返し。飼い主が医院へ行っている間を除けば今日の食後の運動のほとんどはこのキャップだけで済ませることができた。

 

午後三時頃から五時頃まで昼寝。昨日もすやすや昼寝していた。寝るのは夜より昼が好きなのだろうか。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて490

2023年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の介護。

 

午前五時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は豆光「にがり絹とうふ」。三分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはナスの漬物。あらかじめ長さ6センチ程度に切り分けたもの。

 

(1)タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたナスの漬物を二片取り出す。(2)水洗いして手でよく絞り塩分を落とす。(3)皮を剥く。(4)俎板の上に置き包丁で六等分。十二片に切り分ける。(5)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。(6)温めた粥の下に置き入れて粥の熱で少し温める。今朝は十二個とも完食。

 

作業は昨日と同じ。食卓に並ぶ食器は二個だけ。片付けは単純なので母が自分で水洗いする。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・二重化するパリ

2023年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

パリなのかそれともバルベックなのか。どちらがどちらなのかわからないと語り手はいう。

 

「昔スワンが、夕食後、タンソンヴィルの暗闇を抜け、曳舟(ひきふね)の小道を通ってサン=テスプリ通りに着くまで、だれひとり通行人に出会わなかったように、私はサント=クロチルドからボナパルト通りに至るくねくね曲がる田舎道と化した街路で、やはりだれにも出会わなかった。おまけにこれら風景の断片は、まわりの背景が真っ暗で見えないせいだろう、天候しだいでなんの妨げもなくあちらこちらへ移動するので、凍てつく驟雨を風が吹きとばす夜など、私はバルベックでそう感じたとき以上に、かつてあれほど夢見た荒海のそばにいるような気がした。さらにそれまでパリには存在しなかったべつの自然の要素が目につき、まるでバカンスのため田舎のただなかに汽車から降り立ったところだと思いかねなかった」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.132~133」岩波文庫 二〇一八年)

 

どんな「風景」もすでに「断片」でしかない。「断片」ゆえに「天候しだいでなんの妨げもなくあちらこちらへ移動する」。切断と接続とを繰り返す。サロンの風景はバカンスで訪れた汽車のプラットフォームと折り重ねられ二重化される。


Blog21・鏡像都市と変容

2023年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

十九世紀のパリを見た人々の眼には二十世紀の欧米があまりにも死に絶えて見えた。ベンヤミンは様々な街区(カルティエ)に分散され鏡の迷宮を演じていたパサージュが急速に姿を消す前の姿を拾い集めて見せる。

 

「われわれは寄せ木の敷居を踏み越えれば、パレ=ロワイヤルの古いレストランの流儀に従って五フランで『パリのディナー』にありつけるわけだが、その敷居もまた壊れかかっている。この間口の広い敷居を越えて上がってゆくと、ガラスをはめたドアがある。この向こう側にほんとうにレストランがあるとは信じられないかもしれない。一番手前のガラスのドアの向こう側は劇場の『プチ・カジノ』らしく、切符売り場や座席の値段などがガラス越しに見られるが、しかし、ドアを開けたとして、ーーーほんとうにそのなかに入れるのだろうか。劇場に入り込む代わりに、向こう側の通りに出てしまうのではないだろうか。ドアにも壁にも鏡が張られているので、曖昧な明るさを前にして、途方にくれてしまうのである。パリは鏡の都市である。パリの自動車道の鏡のように滑らかなアスファルト、どこの居酒屋(ビストロ)の前にもあるガラス張りのテラス席。カフェの内側を明るくし、小さな囲いや仕切りで分断されているパリの飲食店の内部に心地よい広さを与えるために、窓ガラスや鏡があふれている。ここには、他のどこより多くの女が見られる。パリの女たちに特有の美しさが生まれてきたのも、この場所からである。女たちは、男たちに見つけられる前に、すでに十回も鏡に映った自分の姿を眺めている。だが、男たちもまた、ちらりと映る自分の顔つきを見る。男は他のどこよりもすばやく自分のイメージを捉え、どこよりもすばやく自分のイメージに納得するのである。通行人の眼でさえ、ヴェールを掛けた鏡であり、娼家の低いベッドの上に水晶の鏡がかかっているように、パリというセーヌの大きな川床(ベッド)の上には天空がかかっている」(ベンヤミン「パサージュ論3・P.412~413」岩波文庫 二〇二一年)

 

(1)「切符売り場や座席の値段などがガラス越しに見られるが、しかし、ドアを開けたとして、ーーーほんとうにそのなかに入れるのだろうか。劇場に入り込む代わりに、向こう側の通りに出てしまうのではないだろうか。ドアにも壁にも鏡が張られているので、曖昧な明るさを前にして、途方にくれてしまう」

 

(2)「通行人の眼でさえ、ヴェールを掛けた鏡であり、娼家の低いベッドの上に水晶の鏡がかかっているように、パリというセーヌの大きな川床(ベッド)の上には天空がかかっている」

 

眼に映るどの像もすでに鏡像でありオリジナルなものはもはや無効化している。誰もが誰もを映し合い、無数の鏡像が無限に反映し合い、「パリというセーヌの大きな川床(ベッド)」でさえ「天空」という鏡像なしにはあり得ない。あらゆる鏡像が寄せ集められ増殖し、その都度、瞬時に組み換えてられつつ変容していく。

 

人々は鏡の迷宮の中で「曖昧な明るさを前にして、途方にくれてしまう」。かといってもう二度と寄りつかないかといえば決してそんなことはなく、むしろ逆にいつもパサージュへ舞い戻り、鏡の迷宮としてのパリの中で「曖昧な明るさを前にして、途方にくれてしまう」。パサージュで演じられる「死と再生」の無限反復。そしてそこから人々はパリ全域の回遊へ振り向けられ、再びパサージュへ舞い戻り、再更新され、幾つもの断片のモザイクたるパリを謳歌することができる。眼に映るものはすべて、すでに鏡像なのであり、<オリジナルかコピーか>という問いかけを不断に無効化していくのだ。十九世紀パリの遊歩者たちにはその精神的余白があり余裕もあった。シックもシュールもアヴァンギャルドも、喧騒も落ち着きも、おとなも子どもも、そこを通り抜けて生まれてきた。

 

ところが二十世紀がやって来て百貨店が登場し、百年かけて百貨店も終わる。目まいを起こさせる鏡の迷宮の可能性ばかりが大きく広がっていたパサージュはもう死んだのだろうか?パサージュが都市の生態系を成していた限り、さらに新しい都市の出現を見ない日はない以上、パサージュの死ということは始めから起こり得ない。二〇二三年になって手元のネット世界を見ると姿形を置き換えたパサージュの迷宮が、とりわけ文化の領域で、怖いほど高速で駆け抜ける光景を見ない日はないのである。