十九世紀のパリを見た人々の眼には二十世紀の欧米があまりにも死に絶えて見えた。ベンヤミンは様々な街区(カルティエ)に分散され鏡の迷宮を演じていたパサージュが急速に姿を消す前の姿を拾い集めて見せる。
「われわれは寄せ木の敷居を踏み越えれば、パレ=ロワイヤルの古いレストランの流儀に従って五フランで『パリのディナー』にありつけるわけだが、その敷居もまた壊れかかっている。この間口の広い敷居を越えて上がってゆくと、ガラスをはめたドアがある。この向こう側にほんとうにレストランがあるとは信じられないかもしれない。一番手前のガラスのドアの向こう側は劇場の『プチ・カジノ』らしく、切符売り場や座席の値段などがガラス越しに見られるが、しかし、ドアを開けたとして、ーーーほんとうにそのなかに入れるのだろうか。劇場に入り込む代わりに、向こう側の通りに出てしまうのではないだろうか。ドアにも壁にも鏡が張られているので、曖昧な明るさを前にして、途方にくれてしまうのである。パリは鏡の都市である。パリの自動車道の鏡のように滑らかなアスファルト、どこの居酒屋(ビストロ)の前にもあるガラス張りのテラス席。カフェの内側を明るくし、小さな囲いや仕切りで分断されているパリの飲食店の内部に心地よい広さを与えるために、窓ガラスや鏡があふれている。ここには、他のどこより多くの女が見られる。パリの女たちに特有の美しさが生まれてきたのも、この場所からである。女たちは、男たちに見つけられる前に、すでに十回も鏡に映った自分の姿を眺めている。だが、男たちもまた、ちらりと映る自分の顔つきを見る。男は他のどこよりもすばやく自分のイメージを捉え、どこよりもすばやく自分のイメージに納得するのである。通行人の眼でさえ、ヴェールを掛けた鏡であり、娼家の低いベッドの上に水晶の鏡がかかっているように、パリというセーヌの大きな川床(ベッド)の上には天空がかかっている」(ベンヤミン「パサージュ論3・P.412~413」岩波文庫 二〇二一年)
(1)「切符売り場や座席の値段などがガラス越しに見られるが、しかし、ドアを開けたとして、ーーーほんとうにそのなかに入れるのだろうか。劇場に入り込む代わりに、向こう側の通りに出てしまうのではないだろうか。ドアにも壁にも鏡が張られているので、曖昧な明るさを前にして、途方にくれてしまう」
(2)「通行人の眼でさえ、ヴェールを掛けた鏡であり、娼家の低いベッドの上に水晶の鏡がかかっているように、パリというセーヌの大きな川床(ベッド)の上には天空がかかっている」
眼に映るどの像もすでに鏡像でありオリジナルなものはもはや無効化している。誰もが誰もを映し合い、無数の鏡像が無限に反映し合い、「パリというセーヌの大きな川床(ベッド)」でさえ「天空」という鏡像なしにはあり得ない。あらゆる鏡像が寄せ集められ増殖し、その都度、瞬時に組み換えてられつつ変容していく。
人々は鏡の迷宮の中で「曖昧な明るさを前にして、途方にくれてしまう」。かといってもう二度と寄りつかないかといえば決してそんなことはなく、むしろ逆にいつもパサージュへ舞い戻り、鏡の迷宮としてのパリの中で「曖昧な明るさを前にして、途方にくれてしまう」。パサージュで演じられる「死と再生」の無限反復。そしてそこから人々はパリ全域の回遊へ振り向けられ、再びパサージュへ舞い戻り、再更新され、幾つもの断片のモザイクたるパリを謳歌することができる。眼に映るものはすべて、すでに鏡像なのであり、<オリジナルかコピーか>という問いかけを不断に無効化していくのだ。十九世紀パリの遊歩者たちにはその精神的余白があり余裕もあった。シックもシュールもアヴァンギャルドも、喧騒も落ち着きも、おとなも子どもも、そこを通り抜けて生まれてきた。
ところが二十世紀がやって来て百貨店が登場し、百年かけて百貨店も終わる。目まいを起こさせる鏡の迷宮の可能性ばかりが大きく広がっていたパサージュはもう死んだのだろうか?パサージュが都市の生態系を成していた限り、さらに新しい都市の出現を見ない日はない以上、パサージュの死ということは始めから起こり得ない。二〇二三年になって手元のネット世界を見ると姿形を置き換えたパサージュの迷宮が、とりわけ文化の領域で、怖いほど高速で駆け抜ける光景を見ない日はないのである。