白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて479

2023年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の体調変化に伴う不意の付き添い介護。

 

今日の午前中。近くの郵便局から帰ってきた母がこれまで経験したことのない不安を伴う頻脈を訴える。家庭向け血圧計で午前十時台から十一時台にかけて三度測定。三度とも血圧は上が九十前後で下が四十前後、逆に脈拍は一貫して百三十前後。ふだんの脈拍は六十程度なので脈拍だけが二倍ほど上昇したまま低下しない。

 

膵臓癌治療のため抗がん剤治療と手術とに向けて大津日赤から一旦退院自宅待機中だったが高齢者ゆえ一連の流れからあるいは起こりうる事態。大津日赤に電話をかけて相談。緊急外来へ来てほしいとのこと。しかし頻脈ということなら診療科は入院中にかかっていた消化器内科でも外科でもない。新しく循環器内科での診察になる。

 

さらに緊急なら救急車を呼べるわけだが救急車の場合、そのやりとりの中で病院側と上手く連絡が取りきれずしばしば別の病院へ搬送されてしまうケースは日本全国どこにでもある。いわゆる「たらいまわし」。それを避けるため費用はかさむがタクシーを手配。いきなり舞い込んだ付き添い介護。循環器の受診は初診になるため何かと検査が立て込み、おそらく半日以上は潰れるだろう。慌ただしく着替えを済ませて母と一緒にタクシーで大津日赤へ。

 

血液検査が一回。心電図は到着後すぐの心電図検査と点滴の中にまた別の心電図検査薬を入れた検査とを合わせて二回。それだけで到着からもう三時間近い。結果、「上室性頻拍症」。不整脈の一種である。カテーテルアブレーション(心臓カテーテル手術)で九割方根治できる範囲に入るとはいえ、母の場合、膵臓癌発覚以前から体力低下がずいぶん進行しているため何とも言い難い。ともかく根治治療を日程に入れつつ取りあえずは対処療法でしかないが薬物療法を先行させることに。頓服としてベラパミルを処方してもらう。なお院内の移動は主に車椅子。学生時代にやっていた大阪市生野区での障害者介護の経験がとても役に立った。

 

ちなみに五年前に亡くなった父の癌治療の際、それ以前から十年以上患っていた心房細動治療のため、手術後の抗がん剤治療と合わせて抗不整脈薬を服用していた。けれどもどの薬剤が合うかどうかは試してみないとわからない。京大病院へ移り何種類か変えてみてようやく効果的な薬剤が見つかった時は癌の側が相当悪化しておりすでに時間の問題というのが実状だった。

 

処方箋を出してもらい心臓エコー検査の予約を取って薬局で薬剤を受け取りようやく帰宅。

 

一方で考え込んでしまうことがある。京大病院や大津日赤という名前に反応する人々は少なくないに違いないと。「贅沢」ではないかと。恵まれているではないかと。言うまでもなく今の日本ではもちろん「贅沢」だ。そう見えて当然を上回るほど当然に違いない。しかし父が京大病院にかかって手術も抗がん剤治療も心臓病治療もできたのは京都市職員共済年金があったから。それだけでまかなえた。今度の母の場合も遺族年金を融通できる状態でやってきたから。今は不可能。小泉改革が「ぶっこわした」。小泉内閣は公約通り政府与党を「ぶっこわした」わけではまるでなく真逆であって、日本で最も多い中間層のやや下のほうに位置する一般市民の日常生活を「ぶっこわ」すのに成功したというほかない。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ58

2023年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年七月十二日(水)。

 

朝食(午前五時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒摂取。

 

昼食(午後一時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒摂取。

 

夕食(午後六時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒摂取。

 

食事は思いのほか順調。カリカリだけにしてほとんど間がないのだが手っ取り早く、すっかり平らげてくれるようになった。昼と夕との間にさらに十粒ほど。水分補給はずいぶん変わった形だけれどもしっかり摂ってくれればいいので構わない。しかしこの時期の子猫は実によくいたずらして困るところも少なくない。ここ何日かはえんぴつを転がすのが楽しいらしい。文房具箱から引っこ抜くのも器用になった。


Blog21・「二度目はね」-「何年も経って」

2023年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

プルーストの時代、PTSDという便利な用語はなかった。しかし同じことは幾らもあったに違いない。ジルベルトの言葉はその発生機序を説明する一つの証拠として書き込まれている。

 

「何年も経って、お宅の玄関のところで出会ったときよ、たしかオリヤーヌ叔母のところであなたに会った前の日のことで、すぐにあなたとはわからなかったの、というか、そうとは知らぬまにあなただとわかっていたようなの、だってわたしにタンソンヴィルのときと同じ願望がおこったんですもの」

 

「『二度目はね』とジルベルトはつづきを言った、『何年も経って、お宅の玄関のところで出会ったときよ、たしかオリヤーヌ叔母のところであなたに会った前の日のことで、すぐにあなたとはわからなかったの、というか、そうとは知らぬまにあなただとわかっていたようなの、だってわたしにタンソンヴィルのときと同じ願望がおこったんですもの』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.28~29」岩波文庫 二〇一八年)

 

時間というのはただ単にくねくね伸びた一本の飴のようなものではまるでない。ジルベルトは「二度目はね」といっている。「何年も経って」-「同じ願望がおこ」る。この点は病気の症状にしても変わらない。

 

PTSDの場合、類似する光景に接した時に起こりやすいと言われている。けれどもそれはまず初めに一般的な人々に理解を求めていくため、できるだけわかりやすいようにと余りにも単純化された通俗的解釈でしかない。そこでもうわかったように振る舞うのは、例えば英語を覚えようとする中学生がアルファベットを覚えただけに過ぎないにもかかわらず、ありとあらゆる英文学にもう目を通したと錯覚していることに気づかないまま世間をうろつくに等しい。実際はもっとずっと広く深い、ということを知らないまま何か一人前のことを口にしてでもいるような態度なのだ。死ぬまでずっと周囲から逆に失笑を買い続けていくばかりなのに何がうれしいのかと。

 

類似する光景に接してもパニックに陥らない事例ならたくさんある。だからといってPTSDは消失したか。そんなことは全然ない。あるいは類似という言葉が逆に理解の妨げになっているのかもしれない。見た目のまったく異なる状況下でもPTSDのパニック症状は瞬時に繰り返される。

 

見た目がまったく異なるということ。そこに盲点が現れる。盲点は先にあるのではない。ある精神的状況の域内へ入ったその瞬間、パニック発作が生じることで、盲点も同時出現するのだ。パニック発作を起こさせる精神的諸条件がいつどこで整うか、患者と長く付き合ったことのない他人にはほとんどまったくわかりようがない。身体障害だったなら姿形あるいは幾つかの仕草を見ればまず気づくようなことが精神障害へ移動するやさっぱり見えなくなる。

 

それは「何年も経って」共鳴共振する。プルーストはもう常識レベルで承知していたというべきだろう。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて478

2023年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。

 

午前五時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐はアサヒコ「信州安曇野おぼろ豆腐」。1パックを椀に盛り、水を腕の三分の一程度入れ、付属の出汁を入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは昨日と同じくトマト。

 

トマトは前に買っておいた四個入パックの中の一個のそのまた半分を使う。四等分して皮を剥き固い芯の部分を切り落とすだけ。

 

メニューにほとんど変化がない。肉類と油脂成分の多いものとが使えないので仕方ない。とはいえ朝食では無理だが魚なら食べることができる。例えば昨日の夕食のおかずはエテカレイの焼き物。固焼きにならないようグリルの底に十分水を張ってからというのが注意点。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・<出来事>から乖離していく馬鹿馬鹿しさと<出来事>への復帰が日本列島軍事要塞化でないために

2023年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

「群像」八月号で福尾匠はいっている。

 

「戦争でないものが『戦争』と呼ばれ、どう見ても戦争であるものがそう呼ばれない。この両立を可能にするわれわれの時代の条件こそが、置き配化=換喩化による出来事からの隔離であり、武漢なりNATOなりの他者へのパフォーマティビティの仮託である。その何が問題なのか?自分のものであれ他人のものであれ実際の傷から遠ざかることだ」(福尾匠「言葉と物」『群像・2023・08・P.470』講談社 二〇二三年)

 

そこで思うのだが、「戦争でないものが『戦争』と呼ばれ、どう見ても戦争であるものがそう呼ばれない。この両立を可能にするわれわれの時代の条件こそが、置き配化=換喩化による出来事からの隔離であり」、と言えるのはなぜだろう。この「乖離」について福尾匠はドゥルーズの次の箇所を参照している。

 

「戦争が、出来事の一例ではなく、出来事の本質に相応しい<出来事>であるのは、おそらく、戦争が同時に多くの仕方で実現され、各参加者が各々の現在の変化につれ実現の異なる水準で戦争を捉えることができるからである。こうして、スタンダール・ユゴー・トルストイが戦争を『見る』仕方と主人公に戦争を見させる仕方の比較が、古典的なものになったわけである。しかし、とりわけ、戦争がこんな出来事だからである。すなわち、戦争は、戦争の場の《上を飛び》、すべての時間的実現に対して中立的で、勝者と敗者に対して、臆病者と勇者に対して中立的かつ非情であって、それだけにますます怖ろしく、決して現在ではなく、常に未だ来たるべきものであり既に過ぎ去ったものであり、そして、このような戦争は、戦争そのものが無名の者によって吹き込む意志によって、『無関与』の意志と呼ばれるべき意志によって捉えられるだけである。それは致死傷を負った兵士の中にある意志である。もう勇敢でも臆病でもなく、そしてもう勝者でも敗者でもありえず、こうした彼方に、<出来事>がとどまる彼方にとどまり、<出来事>の怖ろしい非情を帯びる、そんな瀕死の兵士の意志である。『どこ』に戦争があるのか。それゆえに、兵士は、出来事の永遠真理の高みの時間的な実現のそれぞれを眺めるように決定され、逃げながら自分が逃げるのを見るし、飛びかかりながら自分が飛びかかるのを見ることになる」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・15・P.183~184」河出文庫 二〇〇七年)

 

この乖離。近代の出現とともに出現した乖離であって二〇二三年にもなれば誰にとっても当たり前になってしまいもはや誰も驚かない。

 

「出来事からの隔離」が永続化されていく現在進行形社会に対し、その中で、福尾匠はあえてそのような「フォーマット」を解体するという。

 

最初に紹介される美術批評をめぐる批判ともいえるし誹謗中傷ともいえるばかりかどんどん話がずれていくパフォーマンスの無益な応酬の反復。それを期待すらしている情報消費者がうようよしているこの現在に向けてなお、そのような「フォーマット」の解体が不可避的に出現させてしまう<制度としての>「別のフォーマット」の出現をもたらすのか。どこか野次馬的な気分に陥ってしまいそうになりながら一方で期待させもする。

 

とりわけ<男(男権)か女(女権)か>という、ともすれば一挙に噴火してはばかるところを知らなくなるし、これまで何度もそうなってきた、無邪気で無益なばかりかもはや公害であり黴臭く嘔吐を催させる二元論が何食わぬ顔でいつも用意している悪循環の罠へはまり込まないことを期待しつつ。