白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・歴史に「感動する」人々のトランス(横断的)<交通=性交>愛

2023年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム

人間は認識する時、いつも必ず間違うほかない。遠近法を通していない認識など一つもない。ニーチェはいう。

 

「《『内的世界の現象論』》。《年代記的逆転》がなされ、そのために、原因があとになって結果として意識される。ーーー私たちが意識する一片の外界は、外部から私たちにはたらきかけた作用ののちに産みだされたものであり、あとになってその作用の『原因』として投影されているーーー『内的世界』の現象論においては私たちは原因と結果の年代を逆転している。結果がおこってしまったあとで、原因が空想されるというのが、『内的世界』の根本事実である。ーーー同じことが、順々とあらわれる思想についてもあてはまる、ーーー私たちは、まだそれを意識するにいたらぬまえに、或る思想の根拠を探しもとめ、ついで、まずその根拠が、ひきつづいてその帰結が意識されるにいたるのであるーーー私たちの夢は全部、総体的感情を可能的原因にもとづいて解釈しているのであり、しかもそれは、或る状態のために捏造された因果性の連鎖が意識されるにいたったときはじめて、その状態が意識されるというふうにである」(ニーチェ「権力への意志・下・四七九・P.23~24」ちくま学芸文庫 一九九三年)

 

プルーストが提供する一つのシーン。

 

「この種のおしゃべりのなかでは、諸民族の知恵ならぬ諸家族の知恵が、死、婚約、相続、破産といったできごとを捉え、それを記憶の拡大鏡にかけて全貌を浮き彫りにするとともに、さまざまな故人の名前をはじめ、つぎつぎと移り変わった住所、財産のさまざまな出所や変遷、所有権の移転など、それを目の当たりにしなかった人たちには同一の平面にだけ融け合って見えるものを分離し、そこからひき離して遠近をつけ、空間と時間のさまざまな地点に位置づけるのだ」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.580」岩波文庫 二〇一七年)

 

ある一つの事柄についてすべての事情を知ることはできない。ところが多少なりとも事情を知っている人々は知っていると思い込んでいる認識に応じていかようにも物事を<加工=変造>する。それはすでに<でっちあげ>でしかない。しかし事情はもっと遥かに複雑に入り組んでいる。

 

南方熊楠はいう。

 

「これまで私は、複雑な燕石伝説のさまざまな入り組んだ原因を追求してきた。さて、原因は複数のものであり、それらが人類の制度の発展に、いかに些細であろうとも、本質的な影響を及ぼしてきたということが充分に認識されている今日でさえ、自分たちが取扱うすべての伝説について、孤立した事実や空想を、その全く唯一の起原とすることに固執する伝説研究者が、少なくないように私には思われるのである。しかし全くのところ、伝説はその原因があまりにも多様で複雑な点で、またそのために、先行するものを後になって追加されたものから解きほぐしにくいという点で、まさに夢に匹敵するものである。ところで原因のあるものは、くり返し果となり因となって、相互に作用しあう。そして原因の他のものは、組み合わされた結果のなかにとけこんで、目に見えるような痕跡を全く遺さないのである」(南方熊楠「燕石考」『南方民俗学・P.389』河出文庫 一九九一年)

 

ミューズと言えば音楽の神、とばかりも限らない。複数形であり、その中には歴史を司る神もいる。プルーストが注目するのは「歴史」の神としてのミューズ(=クレイオ)の仕事である。

 

例えば、ある人が「人生の黄昏どきに田舎の古びた教会の身廊にはいって、祭壇の彫刻に表現された永遠の美に」のみ「感動する」だろうか。

 

「感動する」ことがあるとすれば、むしろ「その彫刻がさる高名な人の私的コレクションからある礼拝堂へ移り、ついである美術館へ移り、それからこの教会へ戻ってきたという、その彫刻がたどったさまざまな運命を知ることに心を動かされたり、自分が踏みしめているのはアルノーやパスカルの遺骨から成るいわば考える敷石なのだと感じるときや、木製の祈禱台にとりつけられた真鍮のプレートを眺め、そこに記された貴族や名士の娘たちの名前をみずみずしい田舎娘の顔を想像しながらただ解読することに心を動かされたりする」のでは、というのだ。

 

「それは、人生の黄昏どきに田舎の古びた教会の身廊にはいって、祭壇の彫刻に表現された永遠の美に感動するよりも、むしろその彫刻がさる高名な人の私的コレクションからある礼拝堂へ移り、ついである美術館へ移り、それからこの教会へ戻ってきたという、その彫刻がたどったさまざまな運命を知ることに心を動かされたり、自分が踏みしめているのはアルノーやパスカルの遺骨から成るいわば考える敷石なのだと感じるときや、木製の祈禱台にとりつけられた真鍮のプレートを眺め、そこに記された貴族や名士の娘たちの名前をみずみずしい田舎娘の顔を想像しながらただ解読することに心を動かされたりするときである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.580~581」岩波文庫 二〇一七年)

 

因果関係はまるで見あたらない。「その彫刻がさる高名な人の私的コレクションからある礼拝堂へ移り、ついである美術館へ移り、それからこの教会へ戻ってきた」。なるほどそういうこともたまにはあるだろう。たまにはあるというのはどういうことだろう。「真実に基づかない」、「偶発的なもの」に過ぎないということであり、従って「歴史」というのは偶然の産物に過ぎず、その過程は無限に多様な諸条件の組み合わせだとプルーストは教えている。

 

しかしなぜ人々はそのような無限に多様な諸条件の組み合わせに遭遇してかくも「感動する」のだろうか。時間的にも空間的にも無限に多様な諸条件の組み合わせが、言い換えれば、ハイブリッドなトランス(横断的)<交通=性交>の流れが、あまりにもまばゆく目まいを起こさせるからにほかならない。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ50

2023年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年七月四日(火)。

 

朝食(午前五時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)3グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)五十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

昼食(午前二時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)3グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)五十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

カリカリは五十粒ずつ必ず食べるようになったのだがa/d缶を混ぜ込まないとカリカリだけでは残してしまう。もうしばらくはこのままで様子を見るしかないようだ。

 

夕食(午後六時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)3グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)五十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)五十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

母の病状に合わせて夕食の時間帯をほぼ一定させるよう配慮したため、当分のあいだはタマの夕食もこの時間。とはいえ時間帯はあまり気にならないのか、母の食事の準備とともにキッチンの周囲で料理関連のいろいろな音が響き始めるとタマもキッチンのそばにとことこやってくる。

 

餌皿にフードを盛ってやり食事場所へ運んでいくとき、いつもは飼い主の足元に絡みつくように後ろから飛び跳ねながらせっせと追いかけてきていたが、今日は飼い主の先を越して飼い主を振り返り振り返りしつつ飛び跳ねながら先に食事場所へ到着。食べた後はソファで丸くなる。満腹なのだろうか。

 

でも食後の運動は欠かせないので今日はたぶん午後十時頃にお気に入りの玩具を持ち出してきてはしゃぎ出すかもしれない。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて470

2023年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

今後は母の抗がん剤治療、検査、検査入院などに応じて早朝からの読書が主軸。

 

七月四日(火)。昨日三日(月)に大津日赤を退院。今日はさっそく京都の音羽病院までPET-CT検査の付き添い。

 

何かの用事で入ったことのある病院だが、ずいぶん前のことで、ええっと、こんなふうだったかなと思いながら受付を済ませる。

 

検査は三時間くらいかかるのでロビーで読書。といっても椅子に腰掛けておとなしくじっとしてばかりではかえって疲れる。途中で院内のコンビニでパンとアイスコーヒーを購入。しばらくのんびり。

 

PET-CTの付き添いは初めてで、母がいうには、検査中は思いのほか水分補給が必要だったらしい。さて検査が終わり時計を見るともう正午頃。病院の近くの蕎麦屋へ入る。母の食事には気をつかうわけだが、選んだのは「やまかけ蕎麦」。そばの上にすり下ろした山芋と卵を乗せたもの。屋外は夏日でかなり暑いが店内はエアコンが効いているので温めたものを注文。四分の三くらいは食べることができた。

 

問題は夕食。入院以前から夕食以降の食欲不振や腹部不快感が続いていたわけだが退院後の昨日もまだまだ回復とはいえなかった。家では病院のように患者の症状に合わせた食事をいつもいつも作ることはとてもできない。加えて妻のことだが精神症状だけでなく今年に入って急に腰痛が激しく腰の曲り方がおかしい。あれこれ考えないといけないことばかり増えてくる。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・大江健三郎と<暴力性>2

2023年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム

大江健三郎作品はバフチン「ドストエフスキーの詩学」で定義されたポリフォニー小説と呼ぶにふさわしい箇所に幾つも出くわす。例えば次の一連の箇所について、まるで一九四五年を境としてがらりと豹変した日本のマス-コミの転向だけでなく、さらに現在の欺瞞ぶりを思わせずにはいられない。(1)(2)は戦時中。(3)は戦後。

 

(1)朝鮮人女性を強姦しようとして抵抗され殴り殺す「鷹四」。

 

「『おれが《蜜》も会った肉体派の小娘を強姦しようとしたら、生意気にもあいつが抵抗して、おれの腹を蹴りつけたり眼球を引っ掻いたりしたんだ。それで逆上したおれは、あいつを膝で鯨岩に押しつけて片手であいつの両腕を摑まえてから、空いている片手に石の塊を握って、あいつの頭を撲りつけてやったんだよ。あいつは、口をいっぱいにあけて、厭だ、厭だ!と叫びたてながら、頭を揺さぶって実際大いに厭がったが、おれは幾度も、幾度も、あいつの頭を撲って、頭蓋骨がぐしゃぐしゃに潰れるまで止めなかったよ、《蜜》』と鷹四は、僕が十分にそれをよく見ているかどうかを疑うように、血で汚れた両掌をなおも前に突き出しながら、弱よわしく濁って遠方から聞こえる声のようではあるが、その底にはいま自分を赤裸に剥いてそのもっとも汚らしいところを見せるべく勇みたっている露出嗜好の響きもまたまじっている声でいった。その話しぶりには抑揚がなく方向性もなく、したがってそれは単調にいつまでも終わることのないたぐいの饒舌(じょうぜつ)に感じられる。それは端的に嫌悪感をもたらす。『おれがあの娘を撲り殺している間、鯨岩の向うに隠遁者ギーが隠れていて、なにもかも見ていたんだ、かれは証人だ。隠遁者ギーは暗闇でも、ものを見ることができるよ!』」(大江健三郎「万延元年のフットボール・P.368~369」講談社文芸文庫 一九八八年)

 

(2)従軍慰安婦問題。

 

「『妹は白痴だったが、本当に独特な人間だった。きれいな音だけが好きで、音楽を聴いていると幸福だった。飛行機の機関音とか、発車する自動車のエンジンの音を聞くと、耳の奥に火をつけられたみたいに苦痛を訴えることがあった。あれは本当に痛かったのだと思うよ。空気の振動だけでガラスが割れることがあるだろう?ああいう風に、妹の耳の奥でなにか繊細なものが割れる痛みだったんだ。ともかく伯父の村で、妹のように音楽を理解し、音楽を絶対に必要とする人間は他にいなかった。妹は醜くなかったし清潔だった。異様に清潔だったよ。それが過度の音楽の嗜好ともども、妹の白痴の特性だった。伯父の村の若者たちのなかにはたびたび、妹が音楽を聴いているところを覗きに来たりする連中がいた。いったん音楽が鳴りはじめると、妹は耳だけの存在になったからね、それより他のすべてが遮断されていっさい妹の意識にしのびこむことがなかった。覗き屋どもは安全だった。しかしおれは連中を発見すると死にもの狂いで闘ったものだ。おれにとっては妹が唯一の女性的なるものだった、それを守りぬかねばならない。実際、おれは伯父の村の娘たちとまったくつきあわなかったし、隣町の高校に入っても同級の女学生たちと口をきいたことさえなかった。おれは自分と妹をめぐって一種の貴種流離譚(たん)を作りあげて、曽祖父さんとその弟以来の自分の家系にひどく拡大した誇りを抱いていた。同情的にみてくれるならおれはそのようにして、伯父の家に妹と厄介になっている境遇のコンプレックスを撥ねかえそうとしていたわけだ。おれは妹に、自分たちは選ばれた特別の二人なのだから、おれも妹も、お互い同士より他の人間に興味を持つことはありえないし、あってはならないと教えこんだ。そのようなおれたちについて、あの兄妹は一緒に寝ているというような噂をたてる、したたかな大人もいた。おれはそういう連中の家に、投石して報復した。しかしおれはその噂に逆に暗示を受けてしまってもいたんだ。おれは頭のふにゃふにゃしたファナティクな十七歳の高校生で、そうした暗示に弱い孤独家だったんだよ。その年の初夏のある夕暮、おれは突然に酔っぱらってしまった。伯父の家の田植えがすっかり終った日で、母屋では手伝い動員された村の誰もかれもが集って酒を飲んでいた。流離している貴種たるおれは、当然田植えを手伝わなかったが、若い衆たちの間に呼びこまれて生まれてはじめて酒を飲み、すっかり酔っぱらってしまったのさ。それを伯父に見つけられて、おれは叱られたあげく離れに戻った。はじめ妹は、酔っぱらっているおれを面白がって笑っていたんだ。しかし母屋で乱酔した百姓連中の歌や囃子(はやし)が始まるとたちまち怯(おび)えてしまった。耳をおさえこんだ鮑(あわび)のように躰を伏せて、それでも耐えきれなくて幼児みたいに嗚咽(おえつ)するんだよ。いったん酔っぱらって歌いはじめたら、猥褻(わいせつ)で野卑な歌を、濁(だ)み声で真夜中過ぎまで歌い続ける連中におれは猛烈に腹を立てて、ひどく反社会的な気分だった。そして妹をなだめるために躰をかかえてやりながら、おれは妙な具合に昂奮していた。そのうちおれは妹と性交してしまったんだ』」(大江健三郎「万延元年のフットボール・P.389~391」講談社文芸文庫 一九八八年)

 

(3)敗戦で一度「自己処罰」を果たしたことになった日本のマス-コミ。ところが実際はどうか。

 

「将来、裁判で死刑判決を受けることもない、きみはただ、そうした荒あらしい酷い死を遂げて、近親相姦とその結果ひきおこされた無辜(むこ)の者の死の罪悪感を償うにたる自己処罰を果たし、しかも谷間の人間には、『御霊』のひとりとして暴力的な人間たる記憶をかちとることを切望しているのみだ」

 

さらに今度は全国に向けて微笑みかけつつ。

 

「その幻想が現実化すれば、確かにきみは、引き裂かれていた自分を、再び肉体において統一して死ぬことができるだろう。そして、きみの崇拝する曽祖父さんの弟の百年後の生まれ変りと見なされることだってありうるだろう」

 

兄「蜜三郎」はいう。

 

「しかし、《鷹》、繰りかえしきみは危機に甘ったれてみせるが、最後のどんづまりにはいつも抜け道を用意しておく人間だ。妹の自殺のおかげで罰されもせず恥ずかしめもうけず、なにくわぬ顔で生き延びた日から、それがきみの習性になったんだ。今度だってきみはなんとか卑劣な手段を弄して生き延びるにちがいない。そのようにして醜く生き延びた後、いや自分はリンチされるか死刑になるかの危機を積極的に選んで、わざわざ窮地にはいりこんだのだが、お節介な他人どものおかげでやむなく生き延びてしまったのだと、死んだ妹の幻影に向って弁明するのが、きみのやりかただ」

 

「『僕の感情からいってもきみの眼をもらいたくはないが、しかし、もっと実際的に僕はこういうことをいってるんだ、《鷹》は明日の朝リンチされて死ぬことはないし、将来、裁判で死刑判決を受けることもない、きみはただ、そうした荒あらしい酷い死を遂げて、近親相姦とその結果ひきおこされた無辜(むこ)の者の死の罪悪感を償うにたる自己処罰を果たし、しかも谷間の人間には、『御霊』のひとりとして暴力的な人間たる記憶をかちとることを切望しているのみだ。その幻想が現実化すれば、確かにきみは、引き裂かれていた自分を、再び肉体において統一して死ぬことができるだろう。そして、きみの崇拝する曽祖父さんの弟の百年後の生まれ変りと見なされることだってありうるだろう。しかし、《鷹》、繰りかえしきみは危機に甘ったれてみせるが、最後のどんづまりにはいつも抜け道を用意しておく人間だ。妹の自殺のおかげで罰されもせず恥ずかしめもうけず、なにくわぬ顔で生き延びた日から、それがきみの習性になったんだ。今度だってきみはなんとか卑劣な手段を弄して生き延びるにちがいない。そのようにして醜く生き延びた後、いや自分はリンチされるか死刑になるかの危機を積極的に選んで、わざわざ窮地にはいりこんだのだが、お節介な他人どものおかげでやむなく生き延びてしまったのだと、死んだ妹の幻影に向って弁明するのが、きみのやりかただ。アメリカでの暴力的な体験にしても、それを乗り越えることで、苦しい思い出から暫く解放されて生き延びる口実を得ることをあらかじめ企画としての、《にせ》の自己放棄だったにすぎない。現にきみはけちな性病にかかっただけで、その後のアメリカ生活で二度と危機をおかさなくていい自己弁明の足場を得たのだった。いま、僕に聞かせた汚らしい告白にしも、もし僕が、いやそれだって、いったん口に出してしまうと他人に殺されるか、自殺するか、気が狂って見るに耐えない反・人間的な怪物になってしまうかの、絶対的に本当の事などではないと《鷹》に保証してやれば、きみはただちに救助されるといったたぐいのものじゃないか?たとえ無意識のうちにであっても、きみは僕がそのような過去の体験ぐるみ現在の《鷹》を許容して、引き裂かれている状態から一挙にきみを解放してくれることを期待して饒舌(じょうぜつ)にしゃべりたてたのではないか?たとえば明日の朝、谷間の他人どもの前でもういちど、妹の死について告白する勇気がきみにはあるのか?それこそもっとも危険な勇気だが、それはありはしないだろう。たとえ意識的に認めなくても、きみは連中のリンチをなんとか切りぬけることを予定しているんだ。裁判が始まれば、きみは自分自身まで欺瞞(ぎまん)することも可能なほどの誠意と共に、自分を死刑にしてくれ、と叫びたてるだろう。しかし実の所きみはただ、科学的な鑑識が、これは単なる事故死の後の死体毀損(きそん)にすぎないと確信する時まで、独房で安全に時をかせいでいるにすぎない。殺された自分の眼をやるなどと、自分のまじかな死を信じているふりをした、ごまかしをいうな。僕は実際、死者の眼だって必要としている人間だ、そういう不具者を嘲弄するな!』」(大江健三郎「万延元年のフットボール・P.397~399」講談社文芸文庫 一九八八年)

 

もっとも、大江健三郎「万延元年のフットボール」では鷹四は自殺し、自殺することで<救済>される構造が取られている。しかしマス-コミは自殺しない。救済されない。むしろ逆に今なお「『御霊』のひとりとして暴力的な人間たる記憶をかちとることを切望しているのみだ」。日に日に軍事要塞化していく島国の風景をますます報道から排除し、<ある>にもかかわらず<ない>かのような身振りで埋め尽くし、「いつも抜け道を用意しておく」ような「『御霊』のひとりとして」今後も君臨し続けていくのだろう。


Blog21・<貴族の称号>とひょうきんなプルースト

2023年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム

ジルベルトはサン=ルー侯爵夫人になった。それは何を意味するか。プルーストはそれによって起こった悲喜劇にはまるで関心がない。むしろそんなこととはほど遠い次元で語られる悲喜劇とでもいうべき「侯爵夫人」という名称の変動相場制についてである。

 

(1)「貴族の称号の価値は株価と同じく、需要があると上がるが、供給があると下がる。われわれがけっして滅びるこのはないと信じているものも、例外なく破滅へ向かう。社交上の地位もほかのものと同様、一度で最終的な形にできあがるわけではなく、列強の勢力と同じように、刻一刻、いわば途切れることなく恒常的に再構築されている」

 

(2)「社交界や政治の歴史においてこの半世紀に生じた明らかに異常なさまざまな事態も、これで説明がつく。世界の創造は最初におこなわれてそれっきりというわけではなく、毎日おこなわれている」

 

「いずれにせよジルベルトはサン=ルー侯爵夫人になったばかりで早くも(たがて、あとで見るように、ゲルマント公爵夫人になる)、手に入れがたいこのうえなく華々しい地位についたのだから、ゲルマントの名前がいまや金褐色の七宝のようにわが身に組みこまれ、だれとつき合おうと自分はだれの目にもゲルマント公爵夫人だと考えたのである(これは間違いで、貴族の称号の価値は株価と同じく、需要があると上がるが、供給があると下がる。われわれがけっして滅びるこのはないと信じているものも、例外なく破滅へ向かう。社交上の地位もほかのものと同様、一度で最終的な形にできあがるわけではなく、列強の勢力と同じように、刻一刻、いわば途切れることなく恒常的に再構築されているのだ。社交界や政治の歴史においてこの半世紀に生じた明らかに異常なさまざまな事態も、これで説明がつく。世界の創造は最初におこなわれてそれっきりというわけではなく、毎日おこなわれているのだ。サン=ルー侯爵夫人は『わたしはサン=ルー侯爵夫人なのよ』と自分に言い聞かせ、前日に三人の侯爵夫人から受けた晩餐への招待を断ったのを自覚していた。しかしサン=ルー侯爵夫人という名前が、みずから招待しているおよそ貴族とはいえぬ人たちの価値をある程度まで高めたとすれば、それとは逆の作用で、その招待客たちはサン=ルー侯爵夫人という名前の価値を低下させたといえる。このような動きを押しとどめるものはなにもなく、どれほど高貴な名前もついには失墜する。フランス王家のさる王女の主宰するサロンが、だれでも招待してもらえるというので最低のランクへ失墜したのを、スワンは目の当たりにしたではないか。ある日レ・ローム大公妃がお義理でこの妃殿下のところへいっとき顔を出したところ、客はろくでもない人たちばかりで、そのあとルロワ夫人のところへ寄った大公妃は、スワンとモデーヌ侯爵にこう言った、『ようやくお友だちの国へ帰ることができましたわ、X伯爵夫人のところからの帰りですけど、知り合いは三人といませんでした』)」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.566~568」岩波文庫 二〇一七年)

 

ケインズを引いてみよう。

 

「あるいは喩えを少し換えてみると、玄人筋の投資は新聞紙上の美人コンテスト、参加者は100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を選び出すことを要求され、参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞品が与えられるという趣向のコンテストになぞらえてみることもできよう。このようなコンテストでは、それぞれの参加者は自分がいちばん美しいと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の心を最も捉えそうだと思われる顔を選ばなければならない。全員が問題を同じ観点から見ているのである。ここでは、判断のかぎりを尽して本当に最も美しい顔を選ぶということさえ問題ではないし、平均的な意見が最も美しいと本当に考えている顔を選ぶことさえ問題ではない。われわれは、自分たちの知力を挙げて平均的意見が平均的意見だと見なしているものを予測するという、三次の次元まで到達している。中には、四次、五次、そしてもっと高次の次元を実践している者もいる、と私は信じている」(ケインズ「雇用、利子および貨幣の一般理論・上・P.215~216」岩波文庫 二〇〇八年)

 

ケインズは「平均的意見が平均的意見だと見なしているものを予測する」という過程が「三次、四次、五次、そしてもっと高次の次元」へ延々延長されていくという。「美人」に関する「平均的意見」のさらに「平均的意見」のそのまたさらなる「平均的意見」のーーーという無限延長が出現するわけだが、それはもうニーチェのいう<神の死>の他愛ない実践であり絶対的基準の消滅ばかりを全世界に向けて繰り返し証明していくばかりに過ぎなくなる。

 

ニーチェ的パロディを意図したわけではないにせよ、プルーストはひょうきんとすら言える不意打ちで高度なユーモアを披露している。