人間は認識する時、いつも必ず間違うほかない。遠近法を通していない認識など一つもない。ニーチェはいう。
「《『内的世界の現象論』》。《年代記的逆転》がなされ、そのために、原因があとになって結果として意識される。ーーー私たちが意識する一片の外界は、外部から私たちにはたらきかけた作用ののちに産みだされたものであり、あとになってその作用の『原因』として投影されているーーー『内的世界』の現象論においては私たちは原因と結果の年代を逆転している。結果がおこってしまったあとで、原因が空想されるというのが、『内的世界』の根本事実である。ーーー同じことが、順々とあらわれる思想についてもあてはまる、ーーー私たちは、まだそれを意識するにいたらぬまえに、或る思想の根拠を探しもとめ、ついで、まずその根拠が、ひきつづいてその帰結が意識されるにいたるのであるーーー私たちの夢は全部、総体的感情を可能的原因にもとづいて解釈しているのであり、しかもそれは、或る状態のために捏造された因果性の連鎖が意識されるにいたったときはじめて、その状態が意識されるというふうにである」(ニーチェ「権力への意志・下・四七九・P.23~24」ちくま学芸文庫 一九九三年)
プルーストが提供する一つのシーン。
「この種のおしゃべりのなかでは、諸民族の知恵ならぬ諸家族の知恵が、死、婚約、相続、破産といったできごとを捉え、それを記憶の拡大鏡にかけて全貌を浮き彫りにするとともに、さまざまな故人の名前をはじめ、つぎつぎと移り変わった住所、財産のさまざまな出所や変遷、所有権の移転など、それを目の当たりにしなかった人たちには同一の平面にだけ融け合って見えるものを分離し、そこからひき離して遠近をつけ、空間と時間のさまざまな地点に位置づけるのだ」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.580」岩波文庫 二〇一七年)
ある一つの事柄についてすべての事情を知ることはできない。ところが多少なりとも事情を知っている人々は知っていると思い込んでいる認識に応じていかようにも物事を<加工=変造>する。それはすでに<でっちあげ>でしかない。しかし事情はもっと遥かに複雑に入り組んでいる。
南方熊楠はいう。
「これまで私は、複雑な燕石伝説のさまざまな入り組んだ原因を追求してきた。さて、原因は複数のものであり、それらが人類の制度の発展に、いかに些細であろうとも、本質的な影響を及ぼしてきたということが充分に認識されている今日でさえ、自分たちが取扱うすべての伝説について、孤立した事実や空想を、その全く唯一の起原とすることに固執する伝説研究者が、少なくないように私には思われるのである。しかし全くのところ、伝説はその原因があまりにも多様で複雑な点で、またそのために、先行するものを後になって追加されたものから解きほぐしにくいという点で、まさに夢に匹敵するものである。ところで原因のあるものは、くり返し果となり因となって、相互に作用しあう。そして原因の他のものは、組み合わされた結果のなかにとけこんで、目に見えるような痕跡を全く遺さないのである」(南方熊楠「燕石考」『南方民俗学・P.389』河出文庫 一九九一年)
ミューズと言えば音楽の神、とばかりも限らない。複数形であり、その中には歴史を司る神もいる。プルーストが注目するのは「歴史」の神としてのミューズ(=クレイオ)の仕事である。
例えば、ある人が「人生の黄昏どきに田舎の古びた教会の身廊にはいって、祭壇の彫刻に表現された永遠の美に」のみ「感動する」だろうか。
「感動する」ことがあるとすれば、むしろ「その彫刻がさる高名な人の私的コレクションからある礼拝堂へ移り、ついである美術館へ移り、それからこの教会へ戻ってきたという、その彫刻がたどったさまざまな運命を知ることに心を動かされたり、自分が踏みしめているのはアルノーやパスカルの遺骨から成るいわば考える敷石なのだと感じるときや、木製の祈禱台にとりつけられた真鍮のプレートを眺め、そこに記された貴族や名士の娘たちの名前をみずみずしい田舎娘の顔を想像しながらただ解読することに心を動かされたりする」のでは、というのだ。
「それは、人生の黄昏どきに田舎の古びた教会の身廊にはいって、祭壇の彫刻に表現された永遠の美に感動するよりも、むしろその彫刻がさる高名な人の私的コレクションからある礼拝堂へ移り、ついである美術館へ移り、それからこの教会へ戻ってきたという、その彫刻がたどったさまざまな運命を知ることに心を動かされたり、自分が踏みしめているのはアルノーやパスカルの遺骨から成るいわば考える敷石なのだと感じるときや、木製の祈禱台にとりつけられた真鍮のプレートを眺め、そこに記された貴族や名士の娘たちの名前をみずみずしい田舎娘の顔を想像しながらただ解読することに心を動かされたりするときである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.580~581」岩波文庫 二〇一七年)
因果関係はまるで見あたらない。「その彫刻がさる高名な人の私的コレクションからある礼拝堂へ移り、ついである美術館へ移り、それからこの教会へ戻ってきた」。なるほどそういうこともたまにはあるだろう。たまにはあるというのはどういうことだろう。「真実に基づかない」、「偶発的なもの」に過ぎないということであり、従って「歴史」というのは偶然の産物に過ぎず、その過程は無限に多様な諸条件の組み合わせだとプルーストは教えている。
しかしなぜ人々はそのような無限に多様な諸条件の組み合わせに遭遇してかくも「感動する」のだろうか。時間的にも空間的にも無限に多様な諸条件の組み合わせが、言い換えれば、ハイブリッドなトランス(横断的)<交通=性交>の流れが、あまりにもまばゆく目まいを起こさせるからにほかならない。