白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ71

2023年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年七月二十五日(火)。

 

深夜(午前三時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)七十粒摂取。

 

朝食(午前五時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)七十粒摂取。

 

昼食(午後一時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)七十粒摂取。

 

夕食(午後六時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)七十粒摂取。

 

遊びは午前より午後の調子がいい。気分次第でころころ変わるのは初代タマと似ている。もう人間には甘噛みしかしない。躾けといっても最初の一日でほとんど済んでしまい後は微調整という感じ。


Blog21・幻視されるパリ/ロンドン

2023年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

ある瞬間、パリとロンドンとが二重化される。

 

「デゼサント〔ユイスマンスの小説『さかしま』の主人公〕はサン=ラザール駅の近くのカフェ・レストランで、すでにイギリスに来ているように感じている」(ベンヤミン「パサージュ論3・P.175~176」岩波文庫 二〇二一年)

 

次の箇所。

 

「こんな連中に取り巻かれていると、デ・ゼッサントはある無気力な気分に包まれてくるのだった。仲間同士でしきりにべちゃくちゃやっているイギリス人のお喋りに酔ったような気分になって、彼は、グラスに満ちた紫紅色のポオトワインを前にしたまま、夢みるような心地で、ディケンズの作中人物をあれこれ思い出しては、ポオトワインを飲むのが大好きだった彼らを、空想裡にこの酒場の中に移してみるのだった。すると、白髪に燃えるような赤い顔をしたウィックフィールド氏もちゃんとあそこにいれば、ブリーク・ハウスから葬式を知らされた、狡猾な粘液質の顔と執念ぶかい目をしたターキングホーン氏も、ちゃんとあそこにいるのであった。すべての人物が彼の記憶の底から浮かびあがって、実際に、この酒場『ボデエガ』に席を占め、小説におけるとそっくりの行為や見ぶりを示しはじめるのであった。つい最近読んだばかりの記憶は生き生きと蘇って、この上もない正確さに達していた。小説家の住んでいた町、陽当たりのよい、暖房のきいた、設備のよい、窓のぴったり閉まった家。小さなドリットや、ドラ・カパフィールドや、トム・ピンチの姉さんがゆっくりと注ぐ葡萄酒の瓶。そんな数々のイメージが、生温かい方舟(はこぶね)のように、泥と煤の洪水のなかを航海しながら、しずしずと彼の前にあらわれるのであった。こんな架空のロンドンにのんびりと身を置き、ぬくぬくした幸福な気分に浸ったまま、彼は、テュイルリ庭園の向うのセエヌ河の橋の近くから、不吉なけたたましい曳船の汽笛が聞こえてくるのを、あたかもテームズ河上を航行する汽船の汽笛でもあるかのごとくに聞いていた」(ユイスマンス「さかしま・P.186〜187」河出文庫 二〇〇二年)

 

幻視者の夢に過ぎないのだろうか。夢と現実とは違うのだろうか。どちらがどちらとも位置決定不可能な迷宮へ分け入っていくばかりだ。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて492

2023年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の介護。

 

午前五時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐はアサヒコ「信州安曇野おぼろ豆腐」。1パックを椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、付属の出汁を入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

豆腐と漬物との組み合わせが変わっていくだけといえばその通り。食べられるものが限られてくると体力維持に不安が残るがまったく食べないよりはまだ救いはある。柔らかければ何でもいいというというのならもっと簡単にいくけれども、肉類や油の多いものはどれほど柔らかくてもだめというのは困ってしまう。ちなみに魚はエテカレイの煮付けやカツオのタタキの薄切りなら大丈夫のようだ。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・フランソワーズのさらなる移動

2023年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

フランソワーズの身振り(言葉遣い)はしばしば<私>を注目させる。ここではフランソワースが所属を変えた場面。

 

「とうとうフランソワーズは、もう昔のようなきちんとした話しかたをしなくなった。というのも謙虚な気持から、自分よりもはるかに格下の人たちへの優しい賞賛の気持から、自分もその人たちと同じ下卑たことば遣いをするようになったからである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.163」岩波文庫 二〇一八年)

 

「ことば遣い」の変更一つで所属する共同体を取り換えることができる。しかしそれが可能なのは、「言語=理性」という形式が、絶え間なく社会を流通していて有効性を保持している場合に限ってである。少なくとも欧米では。


Blog21・大江健三郎あるいは<様々なる暴力>15

2023年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

リッチャンは問いかける。「どうツジツマ合わせるの?」。大江健三郎はいつだって「ツジツマ」が合わないことを知っている。「ツジツマ」の合わなさ。文字通り漱石作品の至るところで書き込まれている。漱石が言わんとしていたことはそれこそ<「ツジツマ」の合わなさ・すっかり片付くことは一つもない>ということなのでは、と漱石作品を反復して見せる。大江は漱石作品が初期からずっと言ってきたこと、言わんとしてきたことを、わざわざリッチャンの側から、女性の側から、反復させる。

 

「ーーーきみはそのきっかけと『明治の精神』のことを、どうツジツマ合わせるの?とリッチャンの女子高生は追求しました。自分が裏切って傷つけた友達は、自殺してしまった。その罪の意識が『先生』には付きまとっているのでしょう?しかし、それだけでは自殺しなかった。《私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心し》たといって、自分を執行猶予してたのでしょう?それが、とうとう猶予期間は終ったと決める、死ぬ時が来たと《覚悟》する。そして『明治の精神』が滅びたからだ、『明治の精神』に殉死するんだというのでしょう?どうしてここに『明治の精神』が出て来るの?この『明治の精神』の登場、自然ですか?それまではずっと、友達を裏切る前だって後だって、『明治の精神』なんて気にしてなかったじゃないの?なにをいまさら、『明治の精神』を持ち出すの?ただシンプルに、《死んだ気で生きて行こう》という気持がもうなくなった、自殺することにしました、という方が自然じゃない?

 

一体『明治の精神』って、なんですか?『先生』は《死んだ積で生きて行かうと決心し》ていて、《時々外界の刺戟で躍り上が》った心も、《恐ろしい力が何処からか出て来て》、その《心をぐいと握り締めて少しも動けないやうにする》のでしょう?この力が『明治の精神』なの?それとは正反対の力?いや違う、単純なことをいうな、明治維新からの国造りの時期を生きて来た者らが共有してるものだ、というの?こんな自分ひとりの罪の意識で社会から閉じてた人が、バリバリの明治社会の一員だった者らの、『明治の精神』とどうつながってるの?

 

ーーーそれがわからないのは、きみが女だからだ!とカクさんが前に出て叫びました。

 

これが『スケ&カク』コンビの致命的な失点でした。たちまち『スケ&カク』は二人とも『死んだ犬』の総攻撃にさらされました」(大江健三郎「水死・P.236~238」講談社文庫 二〇一二年)

 

『スケ&カク』コンビの致命的な失点。なぜ失敗するのだろう。リッチャンは「ツジツマ」が合わないことを実によく心得ている。『スケ&カク』コンビの理論を押し進めて行けば行くほど「ツジツマ」の合わなさが露出する。漱石作品はほぼ最初期からすでに「ツジツマ」の合わなさを炙り出すことに主眼が置かれているように思えるわけだが、それでもなお「明治の精神」にこだわって無理やり「ツジツマ」を合わせようとすると「それがわからないのは、きみが女だからだ!」という発言が何か一つの解答ででもあるかのように転がり出てくることが、漱石作品の中ではしばしばある。しょっちゅうある。リッチャンがわざとらしく仕掛けた罠は漱石の問いと重複して見える。

 

書簡に出てくる「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神」で文学へ向かえば、どこかで必ず近代の罠にひっかかるほかない。漱石は一度イギリスへ渡り日本を外部から眺めた。「死ぬか生きるか」という単純素朴な近代的対立構造を押し進めて行けば行くほど「ツジツマ」の合わなさがますます浮き彫りになってくることに気づいた漱石は「命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神」を文学というフィクションの場へ持ち込めば、それが上手くいけば、近代的対立構造が実のところ「ツジツマ」の合わなさばかり出現させてはばからない罠にほかならないと見て取ったのだろう。そしてほかならぬ漱石自身の内部にも近代的対立構造がすでに内在化されてしまっていることも見て取っていたに違いない。漱石作品にストーリーらしきストーリーが一つもないと言われるのは漱石自身が鼻からストーリーを排除・切断していることから出てくる必然であって、ストーリーらしきストーリーが一つもないのは、<「ツジツマ」の合わなさ・すっかり片付くことは一つもない>近代と取り組んだからである。

 

逆にストーリーのある文学ならイギリス留学以前も以後も嫌というほど大量に接していて、なぜ漱石が帰国後わざわざ二番煎じ三番煎じしなくてはならないのか、ますます「ツジツマ」が合わなくなるではないか。ところがその方法ばかりでは読者が付いてきてくれそうにない。そういう気持ちもあっただろう。だから多少の読者サービスは埋め込んでいる。

 

大江健三郎がリッチャンに取り上げさせている部分。

 

「すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御(ほうぎょ)になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後(あと)に生き残っているのは必竟(ひっきょう)時勢遅れだという感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました。私は明白(あから)さまに妻にそう云いました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたら可(よ)かろうと調戯(からか)いました」(夏目漱石「こころ・P.265」新潮文庫 一九五七年)

 

何が言いたいのだろう。不意打ちは「妻」という場所から突然やって来た。大江の後期作品をみると大江健三郎という名前の下でずっと抑圧されてきた家族ら(おんな、こども、障害者たち)から逆襲される大江もどきの登場人物の戸惑いが延々演じられていく。