ケアする人々。
どうもこうもなく圧倒的に女性が多いのはなぜか。女性にはケアリング労働が「向いている」と大変多くの人々が思い込んでしまっており、さらに「押し付けて」さえいるのではという問いは二〇世紀のうちすでに議論されていた。一九八〇年代後半に大学在学中だった立場としては大変よく覚えている議論のうちのひとつだった。
ところが一九九〇年代後半になるや途端に議論自体がしぼんでしまったのはどうしてか。日本では打ち続く不況の暗闇から抜け出すことが非常に困難になってきた頃から顕在化した。
ケアする人々は暗黙の不文律でもあるかのようにほぼ決まって女性。だがしかし前提になっている問いがそもそも変だ。ケアリング労働が「向いている」のは男性か女性かという問いの立て方自体がはなからおかしい。ありもしない「神話」を維持継続させていくための乱暴な「理論的装置」に過ぎない。グレーバー+ウェングロウはグアイクルの社会で行われていた「奴隷」のありようについてこう述べる。
「初期スペイン人の記録者たちはいつも、グアイクルが、ペットのオウムや犬とほとんどおなじように、奴隷をやさしくていねいに扱い、接していたと述べているが、実際にはなにが起こっていただろうか?もし奴隷制が、別の社会が子どもを育て上げるために投入した労働の盗みであり、奴隷を利用する主な目的が子どもや余暇階級の世話をして身だしなみを整えることであったとすれば、逆説的だが『捕獲社会』にとっての奴隷制の主な目的は、その社会のケアリング労働の内部容量(インターナル・キャパシティ)を高めることにあったようにおもわれる。ここで究極的に生産されていたのは、ある種の人間、すなわち、貴族、王女(プリンセス)、戦士、平民、使用人(サーヴァント)などなどであったのだ。
強調しなければならないのはーーーというのもわたしたちの議論(ストーリー)の展開につれて重要度を増していくからなのだがーーーこうしたケアリングの関係のもつ深い両義性、あるいは両刃性である。アメリカインディアンの社会は、一般的にじぶんたちのことを、おおまかに『人間』と訳すことのできる言葉で呼んでいる。いっぽうヨーロッパ人がかれらに伝統的に与えてきた部族名のほとんどは、その社会の近隣の人びとが使用していた蔑称である(たとえば『エスキモー』は『魚を調理しない人びと』を意味し、『イロコイ』は『悪質な殺人者』を意味するアルゴンキン語より派生している)。これらの社会のほとんどすべてが、子どもや捕虜を養子とし、養育と教育によって、じぶんたちが考えるただしい人間に育て上げることを誇りにしていた(その子どもや捕虜が、たとえ隣人のなかで最もめぐまれているとかれらのみなしている人びとであっても)。とすると、奴隷は異例である。殺されることもなく、縁組みされることもなく、その中間に位置する人びとなのだから。本来であれば、獲物からペット、家族へとつらなるはずの過程の中途で、突然、暴力的に宙づりにされてしまったのだ。このように、奴隷としての捕虜は『他者のケアリング』という役割に捕縛されてしまう。その仕事の大部分が、他者をして、ひとかどの人間(パーソン)、戦士、王女、とくに価値のある特別な種類の『人間』になれるようにすることにむけられている非=人(ノン・パーソン)である。
これらの例が示すように、人間社会における暴力的支配の起源を理解したいのであれば、まさにここに目をむける必要があるのではないか。たんなる暴力行為は一過性のものである。ところがケアリング関係に変化した暴力行為は持続的なものになる傾向があるのだ」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.216」光文社 二〇二三年)
次の三点。
(1)「奴隷は異例である。殺されることもなく、縁組みされることもなく、その中間に位置する人びとなのだから。本来であれば、獲物からペット、家族へとつらなるはずの過程の中途で、突然、暴力的に宙づりにされてしまった」
(2)「奴隷としての捕虜は『他者のケアリング』という役割に捕縛されてしまう。その仕事の大部分が、他者をして、ひとかどの人間(パーソン)、戦士、王女、とくに価値のある特別な種類の『人間』になれるようにすることにむけられている非=人(ノン・パーソン)である」
(3)「たんなる暴力行為は一過性のものである。ところがケアリング関係に変化した暴力行為は持続的なものになる傾向がある」
現代社会に持ち込まれ堂々とまかり通っている「神話」のひとつ。
「ケアリング関係に変化した暴力行為は持続的なものになる傾向」
この点を無意識的にか故意にかどちらにしても見落としてしまうことで「神話」はますます悪質化するし悪質化していく傾向を加速させもする。
さて、気分を変える必要なしに、一九九〇年代後半から二〇〇〇年代にかけての最新資料を踏まえ、次のように語ることは十分可能だろうとおもえる。
「農耕の起源についてのエデンの園のごとき説話を否定することは、その説話の背後にひそむジェンダーにかんする仮定を否定するか、すくなくとも疑義にさらすということでもある。『創世記』は、原初的無垢の喪失のストーリーであるばかりではない。それは歴史上最も耐久力のある女性蔑視宣言のひとつでもあり、(西洋の伝統においては)ヘシオドスやプラトンのようなギリシア人作家の偏見のみがそれに匹敵する。狡猾な蛇の警告に抵抗できず、最初に禁断の果実を口にしたのは、つまるところ、知識と知恵を欲したイヴであった。彼女への罰(そして彼女につづくすべての女性への罰)は、激しい痛みをともなう出産であり、夫(かれに与えられた命運は額に汗して働いていきることである)の支配に服することであった。
現代の著述家たちは『コムギが人間を家畜化した』(『人間がコムギを家畜化した』ではなく)などと思弁をめぐらせたりしている。だがそれは、具体的な科学の(人間による)成果にかかわる問いを、より神秘的な問いに置き換えているのだ。このような考え方では、野生の植物を操作するという知的で実際的な作業(つまり、さまざまな土壌や水環境でその特性を探る、収穫技術を試し、それらが成長、繁殖、栄養に与える影響についての観察を積み重ねる、あるいは、それがはらむ社会的意味などについての議論)を実際にだれがおこなっていたのかという問いが発せられることはない。そのかわりに、禁断の果実の誘惑について、また、ジャレド・ダイヤモンドが『人類史上最悪のあやまち』と評した技術(農耕)を採用したことによる不測の事態についてーーーこれまた聖書的なニュアンスを響かせながらーーー詩的な熱弁がくり広げられるわけだ。
意識的であろうとなかろうと、そのような説明からは女性の貢献が除外されている。野生の植物を収穫し、それを食料や薬、かごや衣服のような複雑な構造物に変えるという活動は、ほとんどすべての場所で、女性のものであり、男性がおこなうばあいですら、[生物学的には男性でも]ジェンダー的には女性である可能性がある。これは人類学的に普遍的とまではいかないが、それに近いものがあるようだ」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.267~268」光文社 二〇二三年)
さらに女性と植物との関係から見えてきた新しい知見について。女性は「小物づくりや創意工夫に向いており抽象的思考に弱い」といった話もまたきわめて根拠に乏しい「神話」でしかないという事情だ。
「植物を基盤とする知識ということで、わたしたちはたんに野生の植物を利用して食品、香辛料、薬、顔料、毒物などを生産するあたらしい方法のみを示そうとしているのではない。それにくわえて強調したいのは、繊維を利用した工芸品や産業の発展や、こうした事象が生みだす、時間、空間、構造の特性にかんするより抽象的形態の知識である。織物、かご細工、網細工、敷物、紐などは、つねに食用植物の栽培と並行して発展してきたようだが、それはまた、こうした工芸の実践と(まさに文字通り)絡み合った数学的・幾何学的知識の発展をも意味しているのだ。女性がこのような知とかかわりをもつようになったのは、現存する最も古い人間形態の描写にまで遡る」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.268~269」光文社 二〇二三年)
レヴィ=ストロースの文化人類学はなるほど巨大な一歩だった。とはいえ男性学者にありがちな見逃しを犯していることへの言及も。
「(男性)学者のあいだには、この種の知のジェンダー的側面をすっ飛ばしたり、抽象的に覆い隠したりする独特の傾向がある。クロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』についての有名な議論を考えてみよう。かれが近代科学と比肩すべき発見の道筋を創造したとみなしていた『新石器時代の科学者』たちは、一般化された法則や定理ではなく、自然界との具体的な相互作用から出発していたのであった。後者の実験方法は、『感覚的質の角度から』進められる。そしてレヴィ=ストロースによれば、それが開花したのは新石器時代であって、それによって農耕、牧畜、土器、織物、食物の保存や調理などの基礎が与えられた。いっぽう、形式的な性質や理論の定義から出発する前者の発見方法は、ごく最近になって、近代的な科学的手続きの出現とともに結実したものなのである。
『野生の思考』は、新石器時代の『具体の科学』という[近代のそれとは]別種の知を理解することを看板として掲げている。ところが、レヴィ=ストロースは、その知の『開花』が女性に負っているかもしれないという、その可能性に言及すらしていない」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.269」光文社 二〇二三年)
すべてのフェミニストとは言えない。だが一部のフェミニストによる批判は新石器時代における女性の貢献とは別の次元で「多大なる貢献をなしとげている」ことについて。
「もしも(架空の『自然状態』ではなく)このような考察を出発点とするならば、新石器時代の農耕の発明について、まったく異なった種類の問いが生じてくる。というのも、従来のアプローチにひそむ問題の一端は、『農耕 agriculture』とか『家畜化=栽培化 domestication』という用語そのものにあるからである。農耕とは本質的に食物の生産にかかわることがらである。だが、それは新石器時代の人間と植物の関係の一面(しかもかなり限定的な)にすぎなかった。ドメスティケーションとは、通常『野生の自然』の手に負えない力をなんらかのかたちで支配や統制することを意味している。いずれも初期栽培者の生態学(エコロジー)を説明するのにはふさわしくないようにおもわれるこの二つの概念であるが、その背後にはジェンダー化した諸前提がひそんでいる。その諸前提を解きほぐすにあたって、フェミニストの批判はすでに多大なる貢献をなしとげている。
もし、農耕やドメスティケーションから、たとえば植物学 botanyあるいは園芸 gardeningに重点を移してみたらどうだろうか。ただちに、わたしたちは新石器時代の生態学の現実に接近することになる。新石器時代の生態学は、自然を手なずけたり、一握りの種草からできるだけ多くのカロリーを摂取したりすることにはあまり関心がないようにみえるのだから。本当に関心が寄せられたのは、好ましいもろもろの植物種にふさわしい生態学的規模の菜園区画(ガーデン・プロット)ーーー人為的でしばしば一時的な生育環境ーーーをつくりだすことだった。それらの種には、現代の植物学者が『雑草』、『薬草』、『香草』、『食用作物』と分類している植物もふくまれているが、(教科書ではなく実地の経験から学んでいた)新石器時代の植物学者たちは、それらを並べて栽培することを好んでいた。
かれらは、固定した畑ではなく、湖や泉のほとりの沖積土(一年ごとに場所を移す)を利用していた。木を切り、畑を耕し、水を運ぶかわりに、かれらは自然を『説得して』、こうした労働の多くを自然それ自身に肩代わりしてもらう方法を探りだした。望ましい実りをうる見込みを高めるため、かれらは支配の科学や分類の科学にはたよらなかった。そのかわり、かれらが用いたのは、自然の諸力をたわめたり、なだめたり、おだてたり、さらにはだましたりする科学だったのである。かれらの『実験室』は、植物や動物からなる現実世界であって、かれらはその生得的な傾向を綿密な観察と実験を通して利用した。さらにいうと、この新石器時代の栽培様式は大いに成功をおさめたのである」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.269~270」光文社 二〇二三年)
グレーバー+ウェングロウはかなりすっきりさせているように思う。考古学における大量の最新発見というのは一般的な読者の手にはなかなか届かない。というより生涯目にできないことのほうがまだまだ多いだろう。その意味でグレーバー+ウェングロウの論考は近い未来の可能性の幅と奥行きとをぐっと押し開いてみせているように感じる。
最新のデータというのはほかにもどんどん上げられてくるだろうと思われるわけだが、それをどのように取り扱うかという点で、こうある。
「ふつうよりいささか左[自由]にダイヤルの目盛りを合わせ、人間は通常考えられているよりも、みずからの運命に対して集団的統制力[発言力 say]を有しているという可能性を探ることがふさわしいようにおもう」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.234」光文社 二〇二三年)
ふつうより「いささか左[自由]にダイヤルの目盛りを合わせ」ること。この[自由]部分は訳者(酒井隆史)による補足。「左翼か右翼か」というおそろしく古くおぞましくさえある枠組みとはまた別の場所、枠組みのない場所を切り開こうとする思考態度とそのフットワークの速度が、なぜかはわからないが、鬱病を患うひとりの読者にとって懐かしくも新しい清涼剤におもえるのはとにもかくにも不思議だ。