セルバンテス・デ・サラサール「ヌエバ・エスパーニャ年代記」が執筆されたのは十六世紀のこと。再発見されたのは二十世紀になってからゼリア・マリア・マグダレーナ・ナットールの尽力による。
グレーバー+ウェングロウは見出された「年代記」に記述が残るトラスカラの「評議会」や「熟議」といった点に注目している。
「サラサールがこの注目すべき箇所で描写しているのは、あきらかに、王宮ではなく、理路整然とした議論と長時間の審議ーーー必要に応じて数週間にも及んだーーーによって合意の獲得を追求する、成熟した都市議会であった。
重要な箇所が、第三巻にある。コルテスは、あらたにみいだした同盟者であるトトナカ族といっしょに、まだ町の外で野営している。大使たちは、スペイン人と審議がはじまっていたトラスカラの《アユンタミエント》Ayuntamiento(市議会)とのあいだをうろうろしていた。多くの歓迎と、手のキスを受けたあと、マシスカツィンMaxixcatzin という名の領主ーーー大いなる思慮深さと気のおけない会話で名高かったーーーが、トラスカラの人びとがじぶんにならって(いや、神々や祖先が定めるところにならって)コルテスと同盟し、共通の敵たるアステカの抑圧者にたちむかうことを雄弁に訴えはじめた。かれの弁論は評議会では広く受け入れられたが、百歳を超えて視力をほとんど失っていた老シコテンカトルが介入してくると状況は一変する。
つづく章では『マシスカツィンに反論したシコテンカトルの勇敢な演説』が詳細に記述されている。かれは評議会にこう説く。すすんで町に迎え入れた新参者は、しばしば『内なる敵』となるものだ。それには、このうえなく抵抗しがたいのだ、と。なぜか、と、シコテンカトルは問う。
『ーーーマシツカツィンは、これらの人びとを神々とみなしている。だがかれらは、むしろ、われわれを害するために不穏な海が投げてよこした貪欲な怪物のごときものなのだ。金、銀、石、真珠を貪り、着物をつけたまま眠り、そして、かれらの行動ときたらいずれ残酷な主人と転ずるであろう者たちのやりかただーーーかれらの底なしの食欲や、貪欲な<鹿>(スペインの馬)の食欲を充たすだけの、鶏やウサギ、トウモロコシ畑は、この土地にはほとんど存在せぬ。隷属せずに暮らし、王を認めたこともないわれわれが、なぜおのれを奴隷となすべく、そのためだけに血を流すというのか?』
評議会のメンバーが、シコテンカトルの言葉に動かされたことがわかる。『かれらのあいだでざわめきが起こり、たがいに会話を交わし、声があがり、それぞれがおのれの感じたことを述べ立てた』」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.402」光文社 二〇二三年)
「評議会」。そのメンバーになるにはある種のイニシエーションを通過しなければならなかった。次の文章に目を通すと「評議員」の資格として何が求められたかがよくわかる。モトリニーアの観察による記述。
「トラスカラの評議会に活躍の場をもとめる人びとは、個人的なカリスマ性やライバルを凌駕する能力を期待されるどころか、謙虚なる精神をもってーーーそうした能力をむしろ恥とするような感覚をもってーーーのぞむ必要があった。かれらは都市民に従属することをもとめられていた。この従属がたんなるみせかけでないことを確認するために、めいめいがいくつかの課題をこなさねばならなかった。まず、野心への適切なる代償と考えられていた公衆の罵倒を浴びることが義務づけられた。つぎに、自我をぼろぼろに傷つけられた政治家志望者は、長期の隔離生活のなかで、断食、睡眠剥奪、瀉血(しゃけつ)、厳格な道徳教育などの試練を与えられた」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.406」光文社 二〇二三年)
モトリニーアによれば「先住民の共和政体(リパブリック)」。「王ではなく(チョルーラ)のような交代制の役職者でもなく市民全体に責任を負う選挙で選ばれた役人(チュークトリteuctti)の評議会」による統治形態だったようだ。
グレーバー+ウェングロウはいう。
「ーーーあきらかに、この先住民の民主政体で役職に就くには、現代の選挙政治で自明とみなされているものとはまったく異なる人格が必要とされていた。この点については、選挙が専制的気質をもったカリスマ的指導者を生みだす傾向のあることを古代ギリシアの著述家たちが熟知していたことをおもいだすとよいだろう。選挙は貴族政的政治手法であり、民主政の原則とはまったく相容れないとみなされていたのはこのためであり、ヨーロッパの歴史の大半において、真に民主的である役職の選出方法はくじ引きであると考えられていたのもこのためである」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.406」光文社 二〇二三年)
メソアメリカの先住民トラスカラが古代ギリシアの「民主政」を真似したわけではまるでない。古代ギリシアのことなど知るよしもない先住民の「評議会」が今から五〇〇年前すでにそこにあったことに驚くのである。そしてさらに地球規模で検証すればトラスカラの「評議会」は何ら「例外」ではないということにも。
「熟議」する「評議会」。
日本では都知事選の只中なのだが、しかし実に示唆的におもえる。