国会という場合の「国」とは何だろう。「国家」という観念が何か動かしがたい絶対的なものででもあるかのように想定されている。近代以降も何度か大きく形を変化させてきたにもかかわらず。消滅した「国家」もある。失敗を修正するのに必死の欧米日中。それら「先進国」の失敗から学びこれから上昇気流に乗りつつあるグローバルサウス。
国会中継というものがある。見ているとうんざりしてくるのはどうしてか。グレーバー+ウェングロウはいう。
「ジェームズ・ボンドは、殺しのライセンス、カリスマ性、秘密主義、そして説明責任のない暴力を行使する権力を兼ね備えている。だがそんなジェームズ・ボンドを支えているのが、大いなる官僚制機構なのだ。
主権と、情報を保存・集計するための高度な行政管理技術との組み合わせによって、個人の自由は、あらゆる種類の脅威にさらされるーーーそれは監視国家や全体主義体制への端緒をひらくのであるーーー、が、この危険性は、第三の原理である民主主義によって相殺されると、わたしたちはつねに確信している。近代国家は民主義的である。すくなくとも民主主義的であるべきだと一般的には考えられている。しかし、近代国家における民主主義と、たとえば、共通の問題について集合的に審議していた古代都市の集会(アッセンブリー)のありようとでは大幅に異なっている。むしろ、わたしたちがなじんできた民主主義は、実質的には、大物たちのくり広げる勝敗ゲームにすぎず、それ以外の人間は、ほとんど野次馬にすぎないのだ」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.417~418」光文社 二〇二三年)
同意するほかない。
(1)「近代国家における民主主義と、たとえば、共通の問題について集合的に審議していた古代都市の集会(アッセンブリー)のありようでは大幅に異なっている」
(2)「わたしたちがなじんできた民主主義は、実質的には、大物たちのくり広げる勝敗ゲームにすぎず、それ以外の人間は、ほとんど野次馬にすぎない」
ネグリ=ハートが提唱した「集会(アッセンブリー)」について知らないと言えるような国会議員などひとりもいない。ところがおそらくいるかも知れない。日本では。
日本の場合「戦後民主主義」は何度も問われてきたし今なお問われている。しかしどんな問い、どんな異議申し立てに対しても「現実的でない」という決まり文句で叩き潰されるのが常だったし今なお叩き潰される。
いっぽう、歴史家や考古学の専門家の多くもまた、今なお驚くほど頑迷過ぎる点について。
「学者には、遠い過去になんらかの民主主義的制度が存在していたことについては、明確で反論の余地のない証拠をもとめる傾向がある。しかし、不思議なことに、トップダウン式の権威構造については、それに匹敵するような厳密な証拠をもとめない。後者は通常、歴史の初期設定(デフォルト・モード)として扱われるのである。つまり、ほかになんの証拠もないばあい、端的にこのトップダウン式の権威構造があったと想定されるのだ」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.365」光文社 二〇二三年)
例えば「テオティワカン」についての議論は特徴的だ。
「古代メキシコの学者や歴史家のほぼ全員が認めている」点がある一方「テオティワカンがどのような都市であったのか、どのように統治されていたのかという問題」は「物議をかもしている」。当たりさわりのない問題については大いに認める反面、「統治」という「政治形態」になると二の足どころか三も四も五も、なんなら百も千も足を踏み続ける。だだをこね続ける幼稚この上ない態度をあからさまに露呈してはばからない。
「テオティワカンがローマのように大帝国の中心であったかどうかはわからないが、控えめに見積もってもその人口は約十万人(モヘンジョダロ、ウルク、その他、前章でとりあげたユーラシア大陸における初期都市の人口の五倍にもなるとおもわれる)であろう。その最盛期には、メキシコ盆地とその周辺にすくなくとも百万人以上の人びとが分布していたようだ。そして、その多くが、この大都市を一度しか訪れたことがないか、あるいは訪れた人間を知っているだけで、それでもテオティワカンを全世界で最も重要な場所と考えていたのだった。
このことは、古代メキシコの学者や歴史家のほぼ全員が認めている。物議をかもしているのは、テオティワカンがどのような都市であったのか、どのように統治されていたのかという問題のほうである。メソアメリカの歴史や考古学の専門家にこの問いを投げかけても(筆者たちはしばしばやってみたのだが)、返ってくるのは、困惑の表情で、あそこは『おかしな(ワイヤード)』場所なんだよね、と、判で押したように、お手上げといった応答なのである。その原因は、たんに規模の大きさだけではない。メソアメリカ初期の都市がどのように機能《すべき》なのかという想定に、それが頑なに収まろうとしないからである。
この時点で、読者はなにが起こるか想像がつくだろう。すべての証拠は以下を示している。すなわち、テオティワカンは、先史時代のウクライナやウルク時代のメソポタミア、青銅器時代のパキスタンの都市とおなじように、その権力の絶頂期に、支配者なしでみずからを統治する方法を発見した、と。しかし、テオティワカンは、それらとはまったく異なる技術的基礎をもち、さらに大規模なものだったのだ」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.376」光文社 二〇二三年)
学者たちの頭の中というのは「メソアメリカ初期の都市がどのように機能《すべき》なのかという想定」ばかりあらかじめ抜きがたく絶望的なほど頑固に打ち固められているがゆえに「それが頑なに収まろうとしない」ケースに出くわすとたちまち「あそこは『おかしな(ワイヤード)』場所なんだよね、と、判で押したように、お手上げといった応答」に陥る。学者というのは頭の回転がいいように見えてはいても、実質的に先入観の固まりになっている場合が多々見受けられるのが実状である。
さらに。
「わたしたちはすでに、根源的ないし基本的自由の諸形態についてはふれた。すなわち、移動する自由、命令に従わない自由、社会的関係を再編成する自由である」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.413」光文社 二〇二三年)
二点目。
「命令に従わない自由」
この点は反対する人々よりも先にそして逆に日本の最大政治政党がすでに実現してみせた。閣議決定の連発によって。国家的暴力装置の発動によって。しかし思うのは、そんな決定に唯々諾々と付き従ってばかりの他の政治政党の態度が見るに耐えないあまりにも情けないというしかなくなってきたというリアルである。
マス-コミもまた統一教会問題解決からほど遠いところへこっそり重心を移している。カルトの件は二世三世問題が指摘されて久しいにもかかわらず二年も持っていない無責任。依然として加害者の側が「命令に従わない自由」を謳歌しているのはどうしてか。不可解かつ不愉快きわまりないというほかない。