二〇二四年六月十八日(火)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)その他の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)その他の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)その他の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)その他の混合適量。
二代目タマは甘えたい時、ただ単に人間の足を顔やお腹ですりすりしたりということはあまりない。
遊んでほしい時やご飯がほしい時は飼い主の足目がけて顔面を「ご」とぶつけてくる。
飼い主の妻がフードの用意をしている時でも同じで後ろからいきなり顔面を「ご」とぶつける。
頭でぶちあたるものなのかなあ。
一度「ご」とぶつかっておいて、すりすりはその後、頬やお腹を軽く人間の足に触れておく程度。
なんで頭でごつんなのか。
よほど待たせてしまっているのだろうか、それとも念押しのためなのか。
でもねえタマさん、三度の食事も遊びの時間もいろいろ上げればきりがないけれども、どれを取ってもこれまで不自由させたことなんてある?
ちなみに猫の知能は人間の五歳児くらいと言われているが、二代目タマが無事平均寿命に達する頃といえば飼い主は七〇歳。
年に一度のワクチン接種にしても飼い主が自転車のカゴにキャリーバッグを乗せてよっこらよっこら動物病院までこいで行く。七〇歳前後までずっと「永遠の五歳児」を毎日相手にする。飼い主の体力も大切なのだ。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ベス・ギボンズ。マッシヴ・アタックが切り開いた地平は新しく聴こえたけれども、だからといって「ブリストル・サウンド」というカテゴリーに過剰にこだわる必要性をもはや感じなくなっている。「人生百年時代」という不可解きわまるキャッチコピーを真に受けてあれがいるこれもいると有り金全部持っていかれて野垂れ死ぬことがわかりきっている新自由主義に覆い尽くされた世界で、玉石混交に輪をかけて馬鹿げた狂乱時代を横目に通り過ぎたベス・ギボンズの今作ははっきり言ってイギリスのフォークソングとでも形容したい。何度も繰り返される独特のギターはややもすればジミー・ペイジがいかにパクリの才能に長けていたかという場外のエピソードまで思い起こさせて面白い。