マーク・フィッシャーが支持したいとする「左派的な心理療法(leftist psychotherapy)」。リチャード・ケープスのインタヴューに答えてフィッシャーはいう。
「うつ病にかかった人は非常に多く、その原因の大半は社会的、政治的なものだと私は考えています。したがって、うつ病を政治的な怒りへと変化させていくことは緊切した政治的プロジェクトでしょう。もちろん、うつ病だけではありません。これは、この社会に潜むさまざまなレヴェルの実際の苦悩や苦しみに関するものでもあって、それらは、個人的で私的なものを前提とするこれまでの精神疾患の主流となっている治療法では対処しきれないものです。この国でいうと、それは認知行動療法(behavioural therapy)ですが、これはプラス思考と軽い感じの精神分析との組み合わせで、患者の家庭環境に焦点を当て、ネガティヴな思考パターンをポジティヴな思考パターンに変換することに重点を置いています。まずこれですね。また一方では、脳の化学的性質へ注目する傾向もありますよね。後期資本主義によって引き起こされたストレスから救うために、多国籍の大手製薬会社が人々に薬剤を売りつけるという悪循環です。どちらもあまり効果的ではありません。というのも、うつ病の実際の原因に対処するのではなく、人々のうつ病を大まかに封じ込めるものにすぎないからです。
宗教は大衆のアヘンである、というマルクスの宗教に関する主張をそのまま当てはめることが可能です。いろいろな意味で抗うつ剤とセラピーは、今や大衆のアヘンです。何も効果がないというわけではないんですよ。多くの場合、人々が経験しているひどい苦しみを和らげてくれます。しかし、そこは宗教と同じです。マルクスが言ったように、宗教は残忍で無慈悲な世のなかで人々を楽にさせるのですが、絶え間ない競争やデジタル化によるストレスのなかでも、宗教は人々に本当の安らぎを与えることを望んでいるのです。認知行動療法で誰かと一時間ほど話したり、あるいは抗うつ剤で気分を和らげたりすることによって、人々の気分はたしかに良くなるでしょうけど、宗教と同じように、そもそもそのような不幸の原因を突き止めることはできませんし、むしろ、それを隠蔽するものです。
資本主義リアリズムの台頭を考えるなら、反精神医学の衰退に注目することも可能でしょう。反精神医学が衰退するにつれて、資本主義リアリズムは成長してきました。両者には関係があると思います。ストレスの私有化に伴う不幸の正常化は、資本主義リアリズムの台頭にとってきわめて重要でした。
では、どうしたらそれを乗り越えられるのでしょうか?いったん何らかの形で、反精神医学が提起した問題に立ち戻ることです。反精神医学の主張がすべて正しかったと言うわけではありません。反精神医学は、六〇年代に台頭した他の多くの反権威主義的な左派と同様に、新自由主義的な右派によってそのレトリックを流用され、取り込まれてきました。では反精神医学はいつ姿を消したのか?ある意味では『コミュニティ内部でのケア(Care in the Community)』などが主張されたときですね。しかし、もちろん、それだけが唯一の要因だったわけではありません。ケアにまつわる制度的な改革について考えたり、家庭環境や人の脳の化学的構成といった狭い焦点から視点を移すことへ意識を向けたりすることによって、こうしたことをより明確に表現することができれば、非常に大きな影響力を持つことができると思います。
『資本主義リアリズム』の読者のひとりが、私にデイヴィッド・スメイルという人物の仕事を紹介してくれました。本人は、たぶんそのような呼び方は好まないでしょうけど、一種の『セラピスト』ですね。彼はさまざまな著作で、左派的な心理療法の確立を呼びかけてきました。スメイルは、幸福な精神状態とは根本的に公共世界の中から、つまり公共的な世界を背景にして生まれるものだと論じており、そして、公共の概念がこれほどまで凶暴かつ体系的に糾弾されてきた社会においてストレスが増えるのは当然だと述べています。また、私も同意見ですが、彼も精神治療の支配的な諸形態は、精神病に挑むどころか、むしろそれを悪化させてきたとも主張しています。スメイルのこうした考えをさらに発展させることは、非常に大きな力になるだろうと思います」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.47~49」ele-king books 二〇二四年)
この箇所は「なんの役にも立たない」の項と内容の重複が見られるけれども、あるいはインタヴューのほうが読みやすい気がする。
「うつ病」というより「その治療の保守性の問題」といっていいだろうと思う。
特に日本のテレビではしょっちゅう見かける。いわゆる有識者が出てきて「うつ病は認知の歪みである」というステレオタイプ。そこで「認知行動療法(behavioural therapy)」によってポジティヴ思考へ変えるのが大事だという主張。ところがうつ病患者としてはむしろ逆に首を傾げざるを得ない。一般的に「ポジティヴ思考」と言われているのは周囲を変えようとするより自分が変われというもの。そうすれば楽になれると。
しかしタイミング的にいい事例として上げれば今回の衆院選の結果が物語っているように、あからさまな差別主義者やカルト団体や原発推進論者が押し進めどんどんあれこれ整備していく暴圧的社会環境の中で生きていて、その流れに合わせるよう折り合いをつけるのが良く、そうでなければ「認知の歪みである」とされるのはどう考えても納得がいかないのである。
そんなわけで個人的には抗うつ剤の処方を受けつつ、その使い方はその都度の精神状態に合わせて自分自身で適度に調整できるようにしてもらっている。
さらに抗うつ剤といっても初期の頃に欧米で出回ったSSRIの中でも「ハッピー・ドラッグ」とされるものはなぜか全然「ハッピー」にならない。体質的に合わないのだろう。現在処方されているものでも単体ではまるで効果がなく他の薬剤と組み合わせることでかろうじて生きているだけという感じでしかない。
アルコールや薬物にばかり依存することはフィッシャーのいうように「宗教と同じように、そもそもそのような不幸の原因を突き止めることはできませんし、むしろ、それを隠蔽するもの」であるに違いないとしか思えないのだ。
フィッシャーが「左派的な心理療法」として一部紹介しているスメイル。
「スメイルは、幸福な精神状態とは根本的に公共世界の中から、つまり公共的な世界を背景にして生まれるものだと論じており、そして、公共の概念がこれほどまで凶暴かつ体系的に糾弾されてきた社会においてストレスが増えるのは当然だと述べています」
ここで「幸福な精神状態とは根本的に公共世界の中から、つまり公共的な世界を背景にして生まれるものだと論じており、そして、公共の概念がこれほどまで凶暴かつ体系的に糾弾されてきた社会」とある。
公共世界に対して誰が「これほどまで凶暴かつ体系的に糾弾」してきたか。簡単な話で、いわゆる「新自由主義支持者」である。
木澤佐登志のいうように「資本主義リアリズムという名のバッドトリップ」から少しでも早く目醒めることが大切だろうとおもう。