白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ369

2024年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十一月二日(土)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食後の運動。いつもの折り紙で。

 

ところが遊んでやる際、折り紙に使うA4用紙がだんだん減ってきた。

 

昨日書いたようにメモ帳やスケジュール帳を作るのに使っているので減り方が激しいのは当たり前。もっと簡単な簡易型のメモは薬局でもらう処方箋を切り貼りして作る。処方箋の裏側は白紙なのでメモに使える。A4用紙までいかなくても広告用紙を利用すればブックカバーもできるし。

 

そんなわけでパソコンやギターを触っている時以外でも家事労働を入れれば日常的になんやかやと手作業はある。で、タマの手を見る。

 

爪が伸びている。そろそろ切らないとと居間で新聞紙を広げる。といっても片づけの時と違う位置で広げる。この半年くらいで察しが早くなったタマは掃除の時と違う広げ方を見るやいなやこそこそ逃げ出す。

 

先に抱っこしておいてから新聞紙を広げればいいのにと思うだろう。ところが二代目タマは猫の中でも極端に抱っこ嫌いなタイプ。無理に抱っこしながら新聞紙を広げつつその上に乗っけた途端、新聞紙をばらばらに引きちぎってしまう。

 

タマさん、でも何でわざわざばらばらなの?

 

わかんない。

 

わかんないかぁ。ストレスって言ってしまえばストレスだからね。

 

うん。

 

でもさ、猫ならわからなくて仕方ないかも知れないけど中東戦争とかウクライナ戦争で大儲けしている軍需産業はどんなふうに考えてるんだろうな。

 

どういうこと?

 

他人の乳幼児の血を吸い上げてお金に換金、それを自分たちの育児や教育無償化に充当するって話さ。

 

中東やウクライナの猫さんや犬さん、たまに映像で見かけるよ。テレビに映る。街歩きとか前にもやってた。

 

ただ単に二つの陣営だけの争いってんならまだ話は早いんだけどね、その間に挟まれて捕虜になってゲリラ化せざるを得ない少数民族もあるのさ。幾つもある。それが解決できないままさらに金、金、金と際限なく要求してくる軍需依存路線に乗っていくわけ、これからの日本も。

 

街歩きもおちおちやってられなくなったら犬さんや猫さんのお散歩はどうするの?

 

生きてりゃ野良になったりするけど上手く生き延びて逆に肥えてきた猫とか発見されると、旨そうだとか言い合いながら人間が近づいてくる。大国の間に挟まれた国境地帯なんかだとね。

 

見たことないなあ。

 

所詮テレビだし。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。モスキート。テイラー・デュプリーのアンビエント作品は以前から好きだったのだがele-king評を見るとそのデュプリーがマスタリングを手がけているらしい。だからというわけではないが聴いてみると今作のモスキートはある意味懐かしい音響で脳内を満たす。過去への遡及が同時に未来を朧げに照射しつつずっと聴いていたくなるような感覚をもたらしてくれる。


Blog21・「新自由主義=バッドトリップ」の悪夢

2024年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム

マーク・フィッシャーが支持したいとする「左派的な心理療法(leftist psychotherapy)」。リチャード・ケープスのインタヴューに答えてフィッシャーはいう。

 

「うつ病にかかった人は非常に多く、その原因の大半は社会的、政治的なものだと私は考えています。したがって、うつ病を政治的な怒りへと変化させていくことは緊切した政治的プロジェクトでしょう。もちろん、うつ病だけではありません。これは、この社会に潜むさまざまなレヴェルの実際の苦悩や苦しみに関するものでもあって、それらは、個人的で私的なものを前提とするこれまでの精神疾患の主流となっている治療法では対処しきれないものです。この国でいうと、それは認知行動療法(behavioural therapy)ですが、これはプラス思考と軽い感じの精神分析との組み合わせで、患者の家庭環境に焦点を当て、ネガティヴな思考パターンをポジティヴな思考パターンに変換することに重点を置いています。まずこれですね。また一方では、脳の化学的性質へ注目する傾向もありますよね。後期資本主義によって引き起こされたストレスから救うために、多国籍の大手製薬会社が人々に薬剤を売りつけるという悪循環です。どちらもあまり効果的ではありません。というのも、うつ病の実際の原因に対処するのではなく、人々のうつ病を大まかに封じ込めるものにすぎないからです。

 

宗教は大衆のアヘンである、というマルクスの宗教に関する主張をそのまま当てはめることが可能です。いろいろな意味で抗うつ剤とセラピーは、今や大衆のアヘンです。何も効果がないというわけではないんですよ。多くの場合、人々が経験しているひどい苦しみを和らげてくれます。しかし、そこは宗教と同じです。マルクスが言ったように、宗教は残忍で無慈悲な世のなかで人々を楽にさせるのですが、絶え間ない競争やデジタル化によるストレスのなかでも、宗教は人々に本当の安らぎを与えることを望んでいるのです。認知行動療法で誰かと一時間ほど話したり、あるいは抗うつ剤で気分を和らげたりすることによって、人々の気分はたしかに良くなるでしょうけど、宗教と同じように、そもそもそのような不幸の原因を突き止めることはできませんし、むしろ、それを隠蔽するものです。

 

資本主義リアリズムの台頭を考えるなら、反精神医学の衰退に注目することも可能でしょう。反精神医学が衰退するにつれて、資本主義リアリズムは成長してきました。両者には関係があると思います。ストレスの私有化に伴う不幸の正常化は、資本主義リアリズムの台頭にとってきわめて重要でした。

 

では、どうしたらそれを乗り越えられるのでしょうか?いったん何らかの形で、反精神医学が提起した問題に立ち戻ることです。反精神医学の主張がすべて正しかったと言うわけではありません。反精神医学は、六〇年代に台頭した他の多くの反権威主義的な左派と同様に、新自由主義的な右派によってそのレトリックを流用され、取り込まれてきました。では反精神医学はいつ姿を消したのか?ある意味では『コミュニティ内部でのケア(Care in the Community)』などが主張されたときですね。しかし、もちろん、それだけが唯一の要因だったわけではありません。ケアにまつわる制度的な改革について考えたり、家庭環境や人の脳の化学的構成といった狭い焦点から視点を移すことへ意識を向けたりすることによって、こうしたことをより明確に表現することができれば、非常に大きな影響力を持つことができると思います。

 

『資本主義リアリズム』の読者のひとりが、私にデイヴィッド・スメイルという人物の仕事を紹介してくれました。本人は、たぶんそのような呼び方は好まないでしょうけど、一種の『セラピスト』ですね。彼はさまざまな著作で、左派的な心理療法の確立を呼びかけてきました。スメイルは、幸福な精神状態とは根本的に公共世界の中から、つまり公共的な世界を背景にして生まれるものだと論じており、そして、公共の概念がこれほどまで凶暴かつ体系的に糾弾されてきた社会においてストレスが増えるのは当然だと述べています。また、私も同意見ですが、彼も精神治療の支配的な諸形態は、精神病に挑むどころか、むしろそれを悪化させてきたとも主張しています。スメイルのこうした考えをさらに発展させることは、非常に大きな力になるだろうと思います」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.47~49」ele-king books 二〇二四年)

 

この箇所は「なんの役にも立たない」の項と内容の重複が見られるけれども、あるいはインタヴューのほうが読みやすい気がする。

 

「うつ病」というより「その治療の保守性の問題」といっていいだろうと思う。

 

特に日本のテレビではしょっちゅう見かける。いわゆる有識者が出てきて「うつ病は認知の歪みである」というステレオタイプ。そこで「認知行動療法(behavioural therapy)」によってポジティヴ思考へ変えるのが大事だという主張。ところがうつ病患者としてはむしろ逆に首を傾げざるを得ない。一般的に「ポジティヴ思考」と言われているのは周囲を変えようとするより自分が変われというもの。そうすれば楽になれると。

 

しかしタイミング的にいい事例として上げれば今回の衆院選の結果が物語っているように、あからさまな差別主義者やカルト団体や原発推進論者が押し進めどんどんあれこれ整備していく暴圧的社会環境の中で生きていて、その流れに合わせるよう折り合いをつけるのが良く、そうでなければ「認知の歪みである」とされるのはどう考えても納得がいかないのである。

 

そんなわけで個人的には抗うつ剤の処方を受けつつ、その使い方はその都度の精神状態に合わせて自分自身で適度に調整できるようにしてもらっている。

 

さらに抗うつ剤といっても初期の頃に欧米で出回ったSSRIの中でも「ハッピー・ドラッグ」とされるものはなぜか全然「ハッピー」にならない。体質的に合わないのだろう。現在処方されているものでも単体ではまるで効果がなく他の薬剤と組み合わせることでかろうじて生きているだけという感じでしかない。

 

アルコールや薬物にばかり依存することはフィッシャーのいうように「宗教と同じように、そもそもそのような不幸の原因を突き止めることはできませんし、むしろ、それを隠蔽するもの」であるに違いないとしか思えないのだ。

 

フィッシャーが「左派的な心理療法」として一部紹介しているスメイル。

 

「スメイルは、幸福な精神状態とは根本的に公共世界の中から、つまり公共的な世界を背景にして生まれるものだと論じており、そして、公共の概念がこれほどまで凶暴かつ体系的に糾弾されてきた社会においてストレスが増えるのは当然だと述べています」

 

ここで「幸福な精神状態とは根本的に公共世界の中から、つまり公共的な世界を背景にして生まれるものだと論じており、そして、公共の概念がこれほどまで凶暴かつ体系的に糾弾されてきた社会」とある。

 

公共世界に対して誰が「これほどまで凶暴かつ体系的に糾弾」してきたか。簡単な話で、いわゆる「新自由主義支持者」である。

 

木澤佐登志のいうように「資本主義リアリズムという名のバッドトリップ」から少しでも早く目醒めることが大切だろうとおもう。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて963

2024年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

ギターのエクササイズ。ジャズのフレージング/アドリブを活用する。

 

(1)チャーリー・パーカー「BLUES FOR ALICE」から01:03~1:07付近。音程差の大きい箇所が出てくる。歌わせ過ぎると大げさになって白けるので強弱が案外むずかしい。技術よりセンスが問われる。

 

(2)チャーリー・パーカー「BLUES FOR ALICE」から1:09~1:12付近。どの指でも苦手意識なく均等に使えるようになるためのいいエクササイズになる。譜面に起こしてみると16分音符ばかりきっちり並んでいるわけではなくてところどころ速いパッセージが組み込まれていて独特の風味を担ってもいる。一音々々確実にこなしたいところ。

 

音楽を楽しむ時間(電気料金)も削減中。