新自由主義の登場は一九六〇年代カウンター・カルチャー出現に対する「正当性のある」バックラッシュ(反動)だとする「神話」。しかしそんなただ単なる「神話あるいは捏造された《物語》」がなぜ今なお当たり前のような顔をして平然と流通しているのだろうか。「義務的個人主義」というひとつのキーワードがある。
「もし『カウンター・カルチャーが新自由主義を生み出した』のならば、カウンター・カルチャーは存在しないほうがよかったのではないか?だが、実際には、正反対の主張のほうにより説得力があるように思われる。つまり、六〇年代以降の左派の挫折は、それがカウンター・カルチャーが解き放った夢想を否定したこと、あるいは、その夢想に関わろうとしなかったことのほうに深い関係があるのではないか、ということである。新右派がこれら新たな思潮を乗っとり、義務的個人主義(mandatory individualisation)と過重労働のプロジェクトに組み込んだことに、不可避なものは何もなかった。
仮にカウンター・カルチャーが、望める最善の結果ではなく、足元のおぼつかない初めの一歩に過ぎなかったとすればどうだろう。そして仮に、新自由主義の成功が資本主義の必然性の証ではなく、自由になりえたかもしれない社会の亡霊がそれに突きつける脅威の程度をあらわすものだとすれば、どうだろう?」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.222」ele-king books 二〇二四年)
こうある。
「新右派がこれら新たな思潮を乗っとり、義務的個人主義(mandatory individualisation)と過重労働のプロジェクトに組み込んだ」
この流れは避けることができたし阻止することもできた。だがそもそも「新右派がこれら新たな思潮を乗っとり」、「義務的個人主義(mandatory individualisation)と過重労働のプロジェクトに組み込」むことができたのはなぜなのか。ドゥルーズ&ガタリはいう。
「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.303」河出書房新社 一九八六年)
フィッシャーに戻ってみる。
「一九七〇年代の再読を通じて、『六〇年代が新自由主義を生み出した』という単純な物語をはるかに超える形で、新自由主義の反革命にあった大胆な知性、獰猛なエネルギー、そして臨機応変な想像力を理解することが可能になる。資本主義リアリズムの確立は、ただ単に古い情勢の復元ではなかった。というのも、新自由主義が押し進めた義務的個人主義は新しい形の個人主義であり、六〇年代にまくしたてられた様々な集団性へ抗う形で定義された個人主義であったからだ。この新しい個人主義は、それらの集団性を凌駕し、忘れさせるために設計されたものである。それゆえに、これら集団性の諸形態を再び思い起こすことは、追憶の行為というよりも《忘却を取り消すこと》を意味し、自由になりえたかもしれない世界の亡霊を再び呼び覚ます逆・悪魔祓い(counter-exorcism)なのである」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.223~224」ele-king books 二〇二四年)
ここで「新しい個人主義は、それらの集団性を凌駕し、忘れさせるために設計された」とある。実にもっともだと思える。
日本でも大きく目立った動きとして八〇年代バブルのどさくさ紛れに国鉄分割民営化が行われた。大学も大手のものは早くから幾つかのキャンパスに分割され、学生は「新個人主義」とも言うべき学習環境の中で、言い換えれば「監視下へ」分割されていく。長引く不況の三〇年を通してこの動きはますます加速した。「大学法改正」の動きはもうその頃から顕著化し出していた。
今の大学生は何を学んでいるのか。ではなく、何を学ばされているのか、なぜ目の前のテキストなのかと、問う暇ひとつ与えられない。疑問に思った学生が何人か集まるとしよう。しかし「集まる」ということ自体が、フィッシャーの言葉を借りれば「集団性の諸形態」のひとつとして、こっそりデジタル警察を呼び寄せるよう出来上がってしまっている。ところがヘイト集団が集まるのはなぜか大目に見られやすいという差別構造が逆に日本政府の体質をあからさまに浮かび上がらせることになった。なのでもはや「お先真っ暗」なのかといえば完全にそうだとも言い切れない。
なお「アシッド」についてはいろんな批評家が述べているので繰り返すのもどうかと思われるが、しかしそもそもフィッシャーはヒッピー嫌いで有名だった。と同時に学生たちがアシッドを用いる用いないに関わらずともかく集団で歌い踊り「階級」だけでなく年齢・性別・人種・宗教を越えつつどんどん新しい運動を創造していく光景を見てある種の憧憬にも似たシンパシーを感じていたこともまた有名である。
さらにフィッシャーの場合たいへん若い頃からうつ病に苦しんでいたため一般に違法とされるアシッドで盛り上がるのはどこか馬鹿馬鹿しく見えていた反面、合法とされる巨大製薬会社の商品の多くが生み出し引き延ばし続ける病気とさらなる資本との関係に余計ただならぬ悪臭を感じ取っていたに違いない。日本のマス-コミはもはや巨大広告代理店の役割を果たしているからか伝えようとしないのだが。
ちなみに日本ではアルコールと合法ドラッグとの両方に与えられている特別な機能があり、それはどういうことかというと誰もが知っている。多少なりとも心身にダメージを与える代わりにその日の過労を和らげて疲労程度に見せかけるというもの。そして翌日からまた生き生きと搾取されに赴き資本と労働との間の裂け目を曖昧にしてしまう行為に加担する。忌野清志郎の言葉を借りれば「呆れてものも言えない」ということになるだろう。