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白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ372

2024年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十一月五日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

ねえ飼い主、飼い主の妻が言ってたよ。

 

なんのこと?

 

このまえ圧迫骨折でMR検査に行った時のこと。

 

それで?

 

二〇分くらいかかると聞かされて怖かったんだけど機械が動き出したら飼い主が時々聴いてる音楽にそっくりなんだって。そう思ってるうちにすんなり検査が終わって拍子抜けしたって話。

 

ははは、エクスペリメンタルとかインダストリアルとかだな。こんな感じさ。

あ、タマが日向ぼっこしながら居眠ってたら時々聴こえてくる。あれがそうなの?

 

多分ね。

 

ふ~ん、音楽って色々あるんだぁ。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ヌバイア・ガルシア。新作は三年ぶり。その間にも何かとやっていたような気がするのは他の幾つかのプロジェクトへ参加していたためだろう。アルバム・タイトルは「Odyssey」。自身の意思表示としてはなかなか言えるタイトルではないと思うのだがオーケストラとの共演や何人かの女性ヴォーカルの起用など斬新。「野心的」と思われるかもしれないがこれがもし男性ジャズ作品ならそんな言い方はされない。ジャズ界も長い間男性優位主義だったことを思い起こさせる。


Blog21・「アリス」が暴露する資本主義バッドトリップ

2024年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ジャナサン・ミラーによってテレビ映画化された「不思議の国のアリス」。一九六六年十二月にBBCテレビで放送された。この作品についてマーク・シッシャーはこう述べる。

 

「このテレビ映画は、怠慢、物憂さ、無気力、そしいてときには突然のパニックと絶望に襲われるような雰囲気に包まれている。再びミラーを引用してみよう。『この本は、事象を動物の衣装で飾り立てた変装劇、つまり、夢へと変装させた形で展開する家庭内の茶番劇を提示している。(中略)権威、命令の伝達、服従にまつわるすべてのレヴェルが反映されている』。そこでは、日常世界は理解に苦しむほど支離滅裂、恣意的で、権威主義的であり、奇怪な儀式、反復やオートマティズムに支配されたナンセンスの組織にみえる。日常それ自体が悪夢であり、一種のトランス状態なのだ。アリスを苦しめ、当惑させる大人たちの厳粛で自閉症的な気難しさのなかには、イデオロギーの狂気そのものを見てとることができる。自身が夢であることを忘れてしまったドリームワーク。それは、その切迫性のなかへ私たちを巻き込み、そのおぞましい無茶振りで私たちを当惑させ、あるいは突然、その予測不可能にして惨たらしい暴力で私たちをおびえさせ、夢であることを忘れさせようとするものである。

 

この『アリス』が巻き起こす笑いは、ときに不穏であり、ときに爆発的である。それは、外界からやってきた笑いなのである。すなわちサイケデリックな笑いであり、現状のいかなる価値観をも肯定あるいは正当化することにはほど遠く、それまで常識と思われたことに矛盾や異様さを露呈させる笑いなのだ」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.237~238」ele-king books 二〇二四年)

 

読者として特に注目したいのは次の部分。

 

「日常それ自体が悪夢であり、一種のトランス状態なのだ」

 

日常それ自体が一種のバッドトリップであるという認識。

 

フィッシャー「資本主義リアリズム」を論じつつ木澤佐登志は言っていた。

 

「私たちはLSDを摂取するまでもなく資本主義リアリズムという名のバッドトリップを生きている」(木澤佐登志「気をつけろ、外は砂漠が広がっている」『現代思想・6月号・P.75』青土社 二〇一九年)


Blog21・ゴダール蜜月時代のルグラン

2024年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ミシェル・ルグランといえば「ジャズの人」というのは一般的イメージに過ぎず「映画音楽の人」というのもまた一般的なそれでしかない。

 

ジャズといえばジャズであり映画音楽も結構手がける映画音楽監督でもあったのというのもまた確かなのだが、だからといって「何でも屋」と言ってしまってはまるでかけ離れてしまう。

 

映画監督と映画音楽監督。

 

ゴダールとルグラン。

 

あまりにも突出した芸術家の同居が長く続くことはほとんどない。

 

しかし短いながらいわゆる「蜜月」というものがまったくなかったとは思えない。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて966

2024年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

ギターのエクササイズ。ジャズのフレージング/アドリブを活用する。

 

(1)チャーリー・パーカー「YARDBIRD SUITE」から0:45~0:51付近。この曲の場合勢いのある速いパッセージはギターで弾くと単純なハンマリングとプリングだけでほぼこなせる。それよりこの箇所がなぜ難しく思えるのかというとひとつのフレーズがクロマティック的に色合いを変えていく際に左手の横移動を巧みに組み込まないとパーカーのようなさりげなさが出せない点だろうとおもう。頭を働かせることと体を動かすこととは決して別々の動作でないとよくわかる。

 

(2)チャーリー・パーカー「YARDBIRD SUITE」から1:04~1:13付近。基本的には上昇下降の繰り返し。けれども結構派手な上昇が三箇所ある。単なるストレッチでは多分無理。どの指を使いどんな技術でこなすにしても少し混み入ったことをやらないとそう簡単には行かせてくれない。それがエクササイズになる。

 

音楽を楽しむ時間(電気料金)も削減中。