廃止あるいは存続。死刑制度の「本質」という言葉がもし妥当だとすれば、本当にそういうことが問われているのだとしたら、あまりにも短絡的なのではと首を傾げたくなる。
もう何度か述べてきた。問題は死刑自体ではない。死刑がどのように利用されてきたかということだと。ニーチェから八箇所。まず最後の(8)に目を通してから(1)に戻って読んでみるのが理解に資するかもしれない。
(1)「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫 一九四〇年)
(2)「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫 一九四〇年)
(3)「債権者は一種の《快感》ーーー非力な者の上に何の躊躇もなく自己の力を放出しうるという快感、《悪を為すことの喜びのために悪を為す》愉悦、暴圧を加えるという満足感ーーーを返済または補償として受け取ることを許される。しかもこの満足感は、債権者の社会的地位が低くかつ卑しいほどいよいよ高く評価され、ややもすれば債権者にとって非常に結構なご馳走のように思われ、否、より高い地位の味試しのようにさえ思われた。債権者は債務者に『刑罰』を加えることによって一種の、『《主人権》』に参与する。ついには彼もまた、人を『目下』として軽蔑し虐待しうるという優越感に到達するーーーあるいは少なくとも、実際の刑罰権、すなわち行刑がすでに『お上(かみ)』の手に移っている場合には、人の軽蔑され虐待されるのを《見る》という優越感に到達する」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.72」岩波文庫 一九四〇年)
(4)「犯罪者は何よりもまず『破壊者』であり、これまで関与してきた共同生活のあらゆる財産や快適に関して言えば、《全体に対する》契約や言質の破棄者である。犯罪者は、単に自己のあらかじめ受け取った便益や前借を返済しないばかりか、債権者に喰ってかかりさえもする債務者である。それゆえに彼は、その後は当然これらの財産や便益をことごとく喪失するのみならずーーーむしろ今や《それらの財産がいかに重要なものであったか》を思い知らされる。被害者たる債権者、すなわち共同体の怒りは、犯罪者を再び法の保護外の野蛮な追放の状態へ突き戻し、そういう状態からの従来の保護を解く。つまり共同体は犯罪者を除斥するーーーそして今やあらゆる種類の敵意は彼の上に注がれてよいことになる」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.81~82」岩波文庫 一九四〇年)
(5)「共同体は次第に力を増すにつれて、個人の違背をもはや重大視しなくなる。それというのも、個人をもはや以前ほど全体の存立に対して危険なもの、破壊的なものと見なす必要がなくなるからである。非行者はもはや『法の保護の外におかれ』たり、追放されたりはしない。一般の怒りはもはや以前のように、無制限に個人の上に注がれることを許されない。ーーー非行者はむしろ今やこの怒りに対して、殊に直接の被害者の怒りに対して、全体の側から慎重に弁護され、保護される。非行を差し当たり仕かけられた人々との妥協、事故の範囲を局限し、より広汎な、まして一般的な関与や動揺を予防しようとする努力、等価物を見つけて係争全体を調停しようとする試み(《示談》)、わけても違背はそれぞれ何らかの意味で《償却されうる》と見ようとする、従って少なくともある程度までは犯罪者と犯行とを《分離》しようとする次第に明確に現われてくる意志ーーーこれらは刑法の爾後の発達においてますます明瞭に看取される諸相である。共同体の力と自覚が増大すれば、刑法もまたそれにともなって緩和される。共同体の力が弱くなり危殆に瀕すれば、刑法は再び峻厳な形式を取るにいたる。『債権者』の人情の度合いは、常にその富の程度に比例する。結局、苦しむことなしにどれだけの侵害に耐えうるかというその度合いそのものが、彼の富の《尺度》なのだ。加害者を《罰せずに》おくーーーこの最も高貴な奢侈を恣(ほしいまま)にしうるほどの《権力意識》をもった社会というものも考えられなくはないであろう。そのとき社会は、『一体、俺のところの居候どもが俺にとって何だというのか。勝手に食わせて太らせておけ。俺にはまだそのくらいの力はあるのだ!』と言うこともできるであろうーーー『一切は償却されうる、一切は償却されなければならない』という命題に始まった正義は、支払能力のない者を大目に見遁すことをもって終わる。ーーーそれは地上における善事と同じく、《自己自身を止揚する》ことによって終わりを告げる。ーーー正義のこの自己止揚、それがいかなる美名をもって呼ばれているかを諸君は知っているーーー曰く、《恩恵》。言うまでもなく、それは常に最も強大な者の特権であり、もっと適切な言葉を用いるならば、彼の法の彼岸である」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.82~83」岩波文庫 一九四〇年)
(6)「最上の権力が反抗感情や復仇感情に対して採用し、かつ実行する最後の手段ーーー最上の権力は何らかの方法によってこの手段を採用しうるだけの力を得るや否や常にこれを採用するーーーは《法律》の制定である。すなわち、一般に何がその最上の権力の眼から許されたもの、正しいものと見なさるべきか、何が禁じられたもの、正しからざるものと見なさるべきかについての命令的な宣言である。最上の権力は、法律の制定の後は個人または集団全体の侵害や専横を法律に対する侵犯として、最上の権力自体に対する叛逆として扱うことによって、隷属者の感情をそういう侵犯により惹き起こされた直接の損害から逸れさせ、やがて長い間には被害者の立場のみを見かつ認めるような、すべての復讐が欲するものとは正反対なものにまで到達するーーー。それから後は、眼は行為を次第に《非個人的に》評価するように訓練される。被害者自身の眼すらもそのように訓練される」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.87」岩波文庫 一九四〇年)
(7)「刑罰の『意味』がいかに不安定であり、いかに追補的であり、いかに偶然的であるか、同一の処分がいかに相違した目的に利用せられ、適用せられ、準用せられうるか、これについて少なくとも一つの見当を与えるために、比較的小さな偶然の材料に基づいて私自身に思い浮かんだ見本をここに並べてみよう。危害の除去、加害の継続の阻止としての刑罰。被害者に対する何らかの形における(感情の上の代償でもよい)損害賠償としての刑罰。均衡を紊(みだ)すものの隔離による騒擾の拡大防止としての刑罰。刑の決定者および執行者に対する恐怖心の喚起としての刑罰。犯罪者がこれまで享有してきた便益に対する一種の決済としての刑罰(例えば、犯罪者が鉱山奴隷として使用せられる場合)。退化的要素の除去としての(時としてはシナの法律におけるが如く、一族全体の除去としての、従って種族の純潔を維持し、または社会型式を固定する手段としての)刑罰。祝祭としての、換言すれば、ついに克服せられたる敵に対する暴圧や嘲弄としての刑罰。受刑者に対してであれーーーいわゆる『懲治』ーーー、処刑の目撃者に対してであれ、記憶をなさしめるものとしての刑罰。非行者を常軌を逸した復讐から保護する権力の側から取りきめた謝礼の支払いとしての刑罰。復讐が強力な種族によってなお厳として維持せられ、かつ特権として要求せられている場合、その復讐の自然状態との妥協としての刑罰。平和や法律や秩序や官憲の敵ーーー共同体にとっての危険分子として、共同体の前提たる契約の破棄者として、反逆者、裏切者として、また平和の破壊者として、あたかも戦争に用いられるような武器をもって打倒せらるべき敵ーーーに対する宣戦および作戦としての刑罰」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.93~94」岩波文庫 一九四〇年)
(8)「わけても軽視してならないのは、犯罪者は裁判上および行刑上の処置そのものを見るというまさにそのことのために、自分の行為、自分の行状を《それ自体において》非難さるべきものと感じることをいかに妨げられるかということだ。というわけは、犯罪者は、それと全く同一の行状が正義のために行なわれ、そしてその場合は『よい』と呼ばれ、何らの疚(やま)しさを感じることもなく行われているのを見るからである。つまり彼は、探偵・奸策・買収・陥穽など、警官や検事側の弄する狡猾老獪な手管の全体、それからまた諸種の刑罰のうちに際立って示されているような、感情によっては恕(ゆる)されないが原則としては認められる褫奪・圧制・凌辱・監禁・拷問・殺害など、ーーーこれらすべての行為を、彼の裁判者たちは決して《それ自体において》非難され処罰さるべき行為としては行なわず、むしろ単にある種の顧慮から利用しているのを見るからである」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.95」岩波文庫 一九四〇年)
また(2)で「《債権者》と《債務者》との間の契約関係」とあるけれども、これはあくまで資本主義ビジネス感覚に心底まで浸かりきった人々にのみ当てはまる意識であると言うのが適切だろうと思える。しかしこのような売買関係を通して身に付いた資本主義ビジネス感覚であるにもかかわらずそこに「罪悪感」がちらちら発生するのはどうしてなのだろうか。罪悪感の発生を払拭するためにさらなる新自由主義で払拭しようとすればするほどますます罪悪感のポストモダン的巨大化が生じてくるのはなぜかと問いかけないと見えるものも見えてこないに違いない。
罪悪感の発生と除去。それは限りなく「儀式」に似てくる。押し進めると「宗教」になってしまう。多くはマス-コミを通して政治的失敗を覆い隠す装置の役割を果たしもする。政治的課題を覆い隠して国民の不満をどこかまったく他のところへひょいと誘導する機能を請け負ってもいる。これでは死刑制度について無関心というより無関係だとする「思い込み」を蔓延させていくばかり。
さらによくない事態はもう二十世紀後半から随分進行している。どういうことかというと、多くの人々の間で死刑制度について無関心というより無関係だという「思い込み」がどれほど巨大な政治的機能として立ち働いてやまないかということさえさっぱり意識に上らないところまで行き着いてしまっている点。しかしそのことに気づくためにはまだ経験が浅いあるいは「十分でない」のかも知れない。どん底を見ていない、二、三十歳を過ぎてなお、なるべく「幼稚園児のままでいたい」と思っているのかも知れない。