テンプテーションズのヒット曲「クラウド・ナイン」。
曲の終わりくらいで次の有名な歌詞が流れてくる。
”And you’re a million miles from reality ”
原曲の曲調を考慮して日本語訳すれば「現実から百万マイルも離れて」というのが近い。マーク・フィッシャーはこの「現実から百万マイルも離れて」という部分に注目する。
「意識の変性状態で人は『現実から百万マイルも離れた』ところに連れ出されるという主張には問題がある」
と。
もう少し読んでみたい。
「しかし、意識の変性状態で人は『現実から百万マイルも離れた』ところに連れ出されるという主張には問題がある。というのも、それは意識の変性状態が権力、搾取、儀式のシステムに対して、通常の意識『以下』ではなく、それ『以上』に明晰な知覚を与える可能性があるという考えをあらかじめ排除してしまうからである。意識がますます広告や資本主義のスペクタクルが作り出した幻想やイメージに包囲された六〇年代において、サイケデリックな意識が離れようとしたその『現実』とは、いったいどれほど確固たる『現実』だったというのだろうか。そうしたスペクタクルに感化されやすい意識状態とは、覚醒や自覚というよりも、むしろ夢遊病に近いものではなかったのか?
今思えば、一九六〇年代のサイケデリック文化の最も興味深い特色のひとつは、以上のような形而上学的な問いを大衆化したことである。サイケデリックなものは、決して新しいものではなく、資本主義以前にも、多くの社会はサイケデリックなヴィジョンや幻覚剤の使用をその儀礼的実践の中に採り入れてきた。新しかったのは、サイケデリックなものが特定の儀式化された空間や時間、またはシャーマンや魔術師のような特定の実践者の支配から抜け出したということである。意識をめぐる実験は、もはや原則上、誰にでも開かれているものとなった。サイケデリック文化には神秘主義や似非スピリチュアリズムがつねにつきまとっていたにもかかわらず、それらの実践には、実は脱神秘化と唯物論の次元も潜んでいたのである。幅広く行われるようになった意識実験には、神経学そのものの民主化、つまり、脳が現実として経験されるものの生成において果たす役割に関する新たな認識を広めることへの期待があった。アシッド・トリップに参加した人たちは、自分の脳の働きを外在化させ、場合によっては、異なる脳の使い方を学ぶ機会も得られたのである。
しかし、サイケデリックな体験は、ドラッグを摂取した人たちだけに限られたものではなかった。ベトナム戦争とともに、サイケデリックな発想を大衆に届けたマスメディアそのものもまた、意識の変性をめぐる膨大な実験室に他ならなかった」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.234~235」ele-king books 二〇二四年)
こうある。二箇所。
(1)「新しかったのは、サイケデリックなものが特定の儀式化された空間や時間、またはシャーマンや魔術師のような特定の実践者の支配から抜け出したということである。意識をめぐる実験は、もはや原則上、誰にでも開かれているものとなった。サイケデリック文化には神秘主義や似非スピリチュアリズムがつねにつきまとっていたにもかかわらず、それらの実践には、実は脱神秘化と唯物論の次元も潜んでいたのである」
(2)「アシッド・トリップに参加した人たちは、自分の脳の働きを外在化させ、場合によっては、異なる脳の使い方を学ぶ機会も得られたのである」
もはや社会運動に接続されつつあったこのような動きを資本が見逃しておくだろうか。資本は大衆から一定の薬物をそこそこ取り上げる代わりにもっと巨大なシステムを与えた。
一九七〇年代。日本を含む先進諸国で奇妙な出来事が多発していた時代でもある。一見すると個々はなるほどばらばらに見えはするのだが、しかし次第に明確化していくひとつの流れが描かれていることがわかるだろう。
「ベトナム戦争とともに、サイケデリックな発想を大衆に届けたマスメディアそのものもまた、意識の変性をめぐる膨大な実験室に他ならなかった」
日本でも特にテレビは、そのインフラ化へ向けた動きを加速させていた。多くの人々がテレビ画面に釘付けになった。十年も経たないうちにこれまた大多数の人々が口にするようになった。「人間が生き延びていく上で資本主義の他にどんな選択肢があるというのか?」と。
一九九〇年代に入ると呆れ返るほかないというべきか、あまりに無惨にもマス-メディア研究の専門家までが訳知り顔で大手を振ってそう口にし出した。言葉を置き換えてみよう。
「脱神秘化と唯物論の次元」あるいは「資本主義というバッドトリップ以外の生活の仕方があるということ」
たったこれだけのことを覆い隠すのに十年もかかったと十分に言うことができる。
それはともかく。
新自由主義をさらに押し進めていくと自分たちで自分たちの首をますます締め上げることになるわけで、いつものことだがアメリカのような「ハッスル文化」が称揚される国ではアッパー系の薬物がもはや「神」の座に居座ったままほとんど疑われる気配がない。一方その同じアメリカ国民は心身ともに実は深刻な鬱状態に陥っている。心身ともにまいっている。
さらに。取り締まろうと思えば取り締まれる薬物は幾つもあるわけだが、しかしそれをしばしばちょろちょろ流出させたり流出するような回路をわざわざ残しておくのはどうしてだろうか。で、時おり有名人が薬物使用で「劇的に」逮捕されるスペクタクルなシーンを「テレビを通して」見せつける。するとどういうわけかテレビのほうはまるで安全に見える。種も仕掛けも見え見えの演出ばかりでかえってしらける。
だからといって「取り締まれ」と言いたいわけではまるでない。新型コロナ/パンデミックが盛り上がった時、どこへ行っても「コロナ警察」と化した一般市民の姿を見ない日はないほどだった。しかし一時は「コロナ警察」と化した人々なのに薬物についてはほとんど何ひとつ「警察化」しない。この落差はどこから来るのかと問いたいのである。
ところで資本から見捨てられる音楽について。今朝方こんなふうに少し触れた。
「メタルってのは基本的に何でもありなんだよ。様式美とかよく言われるだろ?でも様式美をとことん追求していくとそれこそ転調百一連発とか砂漠でひとりぽつねんと尺八を吹くみたいなところまで行っちゃうわけ。そこまで行くと資本から見捨てられる。それが面白いんだよね。するとかつては絶対的に相容れないと思われていたアンビエントと出会ったりしてなかなか見逃せない発見があるのさ」
ちょっと考えてみたい。なるほど「見捨てられる」、しかしその瞬間、その音楽とそれを成立させている生活諸条件がある、複数あるという瞬間が丸見えになる。資本はときどき我を忘れて資本主義以外の場所が実在する場面を世界中に向けてぽろりと垣間見せてしまう。その意味では「ポンコツ」。
日本でも一九九〇年代、いかにも不可解なリバイバルが見うけられた。
最初期こそチャーリー・パーカーから学んでいたものの、かなりベタなジャズをやることで有名なルー・ドナルドソン。あまりにもベタ過ぎて胸焼け気味のアルバム「Blues Walk」(一九五八年)がヒットした。好きな人は好きでいいと思う。むしろあのブルージーさがたまらないという人もたくさんいる。問題は一九六七年発表「Aligator Bogaloo」。
発表から三〇年ほども経った日本で「アシッド・ジャズ」として大々的に宣伝された。当時CDショップに立ち寄ると店員の手書きポップが目に入ったものだ。「三〇年も前すでにこんな新しいことをやっていたなんて!」。
新しくも何ともない。ただ単に当時の流行に乗っただけ。ルー・ドナルドソンにしてみればいわゆる「黒歴史」でしかない。
だから問題は今なお「われわれは何をしているか」ではなく「何をやらされているか」ということになってくる。