白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ382

2024年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十一月十五日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

お昼に述べたAutechre「Dael」。

タマに聴いてもらった。特に抵抗感を見せるふうは全然なく部屋の中をうろうろ。本棚のそばで横になったかと思うとお腹を見せて尻尾を振って見せる。リラックスしているのだろうか。

 

特に食事時などに合わせて飼い主が飼い猫と一緒にいつも同じ音楽を聴いて暮らしているような家猫の場合、飼い主との信頼関係がメインだからどんな音楽でも基本的に構わないらしいのだが始めて耳にする音楽だと思わぬ過敏反応を示すことがある。びっくりさせないよう気を付けないといけない。

 

そこで何曲かセレクト。

 

同じくオウテカでは「DekDre Scap B」も気に入ったようだ。

似たような反応を見せてくれた曲にはこんなのも。

Vladislav Delay「Rakkn」

ZONAL「Wrecked」

Moor Mother「After Images」

これで二代目タマが好きそうな音楽についてだいたいの傾向はわかる気がする。

 

一般的に高音を好むと言われている猫だがヴァイオリンやピアノの場合まったく知らん顔でスルーしてしまうタマ。でも飼い主がギターでハーモニクス音を鳴らしながらアーミングして聴かせると何かな何かなという感じでそろそろ近づいてきて70センチほど離れたところからじっと耳を傾けている。

 

さらにギターだとふつうは弾かない箇所なのだがヘッド部分のナットからペグの間の弦を適当にピックでかき鳴らしてみるとお座りしながらどれどれって感じで見入っている。

 

タマさん、気に入ったのあった?

 

んとね、最初のかな。

 

ゴロゴロ音だけじゃなくて擬似的金属音がすぐさまソフトクリームみたいに溶ける処理で刻まれるリズムが繰り返し適度に鳴ってるからかも。小さな昆虫が逃げたり新聞紙を握りつぶす時のカサコソって音に似てるけどあんな感じだよね。ほんのちょこっと入ってればタマにはたまんないだろう。

 

ところで飼い主さあ。

 

ん?

 

タマもパソコンほしい。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ダイアレクト。外出時はシャットアウトしたくても否応なく聴こえてくる音楽で溢れかえっているが、それを嫌がる人も多いので、そうなると外出先によってはただ単にアンビエント風の音楽を流しておけば無難だろうみたいな場所が増えてきた。そういう時はアンビエントならアンビエントでその出発点に立ち戻ってみればいいのではと思わせてくれる。う~ん、なるほど。

今日ももうひとつ。Jiselle。ひたすら安全牌ばかり取ってきた日本の歌謡界がとうとう追い抜かれる日はもうそこまで迫ってきている予感がする。実際に一日分追い抜かれたと気づいて慌てて挽回することにしたとしよう。でも他国のアーティストもみんな一日分やるわけで一度開いた距離がさらに開くことはあっても近づくことはない。


Blog21・「自称=変人(フリーク)」の罠

2024年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

こうある。

 

「マルクーゼが前衛芸術の大衆化を憂慮していたのは、文化の民主化によって芸樹がその純粋性を失うというエリート主義的な懸念からではなく、むしろ、芸術が資本主義によって管理された商業空間のなかへと吸収されることで、芸術と資本主義文化の相容れなさが隠蔽されてしまうだろうと考えていたからである。資本主義文化が、ギャングスター、ビートニク、ヴァンプたちを『異なる生き方のイメージ』から『同じ生き方のなかの変人(フリーク)や別タイプ』に変えてきた様子を、彼はすでに眼のあたりにしてきたのである。同様のことはやがてカウンター・カルチャーにも起こるだろう。痛烈にも、彼らの多くは変人(フリーク)を自称する人々であった」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.220」ele-king books 二〇二四年)

 

特に。

 

「『異なる生き方のイメージ』から『同じ生き方のなかの変人(フリーク)や別タイプ』に変えてきた」

 

確かにそういう経過を辿った。

 

フィッシャーが拾い上げたり語ったりする言葉には逆説や挑発やユーモアがたくさん盛り込まれているわけだけれど、そういうスタイルも昨今は新自由主義陣営の人々が手際よく加工し用いて支持者を増やすことに一役も二役も買うようになってきた。

 

ユーモアひとつ身に付けていない政治家ってもはや一人もいなくなったんじゃないかなあと。皮肉を連発し挑発的に誘惑してくる資本ばかりになってしまうとかえって面白くない。所詮パクリしかできないのかと。少しは自分で考えてみては?


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて976

2024年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

年末年始のお金の使い方を考えると頭痛がする。

 

水をひと口飲んで気持ちを落ち着かせる。

 

そこで思い出した。

 

井上園子「きれいなおじさん」を始めて聴いた時のこと。フォーマットは定形なのだがそれはそれとしてどこか日本ではない印象を残しているところがかえって印象的。アメリカのブルーグラスが好きだという。

 

でもそれだけじゃないなあと思っていたら何だかアコースティックギターを手に取りたくなってきた。で何を思い出したかというとアンプラグドの世界的大流行が吹き荒れる遥か以前にエリック・クラプトン自身が時々楽曲に付けていたアコースティックギターのソロパート。

 

例えばこんなの。2:38~3:04付近。