白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ375

2024年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十一月八日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

アメリカの大統領選の結果が出ているのをタマは見ていた。

 

米国の下請けの日本ではさっそく日産が九千人解雇すると。

 

御用経済コメンテーターの予想通り保護主義の世界化がまた一段と加速。

 

しかしタマは猫だからかちょっと違っていて中東戦争の猫事情を尋ねにやってきた。

 

飼い主さあ、タマはよくわからないんだけどね、サイバー戦争の時代って言うみたいだけどテレビ見てたらなんで地上戦なの?

 

軍需産業依存体質から抜け出すつもりがこれっぽっちもないってのがある。地域限定紛争は儲かるし他国の女・子供・障害者の血を吸い上げてお金に換金、それで自分たちの国の子育てとか教育無償化に当てるということに躊躇いがなくなってきたからね。特に日本人は何かと言えば「他にわれわれの家族を食べさせてくれる方法があるのか!」って極端に視野の狭い自分たちの無能ぶりを大いにがなり立てつつ頭の悪さをアピールして憚らない。でも地上戦ってことが気になるってのは地上で生きていくしかない猫ならもっとも話だな。

 

なんでなの?

 

タマが生まれる随分前にNATOのバルカン空爆ってのがあったんだけどね。民族紛争を解決するって言ってバルカン全土を大規模爆撃して実質「更地化」し直した。「更地化」ってのは不動産として再利用するってことさ。まず爆撃で再不動産して見せる。すかさず世界中の巨大ゼネコンがスムーズに入ってきやすい風景ができ上がりつつありますよとテレビで宣伝する。都市の再整備計画には大きな道路網を作ってさらに儲ける仕掛けが組み込まれてる。道路網ができるのを見越して日本の自動車メーカーも次々参入して大儲けする。ひと通り儲けたらとっととバルカンから引き上げたんだけど民族紛争はほとんど解決していない。ジェノサイド(大量殺人)は儲かるってだけでなくてそのために部品作ってる中小零細企業に仕事を回してやることで巨大資本に依存させてすべての異論反論を封じ込める。いつものやり方なんだけどそのためには目に見えにくいサイバー戦争よりも地上戦で派手に不動産をぶん獲っていくスペクタクル戦争のほうがはるかに効果的ってこと。目の前に剥き出しの地面が見えるから。

 

でも土地が手に入れば入るほど移民難民問題は解決しないで逆に深刻化するのはなんで?タマにはさっぱり。

 

移民難民のほとんどは少数民族とかのマイノリティなんだけどね。マイノリティはマイノリティなりに時々対立しつつも相互扶助的な共同体のあり方をその都度工夫し直して生きてこれてた歴史はあるわけ。ところがそこへわざわざ民族対立・宗教対立を陰に陽に煽り立てて和解の余地をなくしてしまい超大国に依存させる方法が有名な東西冷戦時代にできたのさ。冷戦が終わって新自由主義一強になるとたちまち全世界が帝国主義のアップグレードに取り掛かっておぞましい独裁的カリスマ待望論が出てきた。

 

う~ん、タマにはますます理解できそうにないや。ところで飼い主がこのまえ言ってた「ヴァンパイア城」ってなんなの?

 

フィッシャーの造語だね。アメリカの民主党は実際のところセレブだらけでイスラエルのユダヤロビーが根回しする軍需産業を仕切ってきてて、文字通り吸血鬼の大聖堂に立てこもってるんで「ヴァンパイヤ城」ってわけ。今度は共和党が民主党政権の「ヴァンパイヤ城」をぶん獲った。

 

日本の軍需産業は相変わらずその下請けなの?

 

そうだね。もっと悪いことに和解しちゃいけない資本と労働とが仲良く和解しちゃってて、これはもうさらに最悪としか言いようがないって感じかな。でも猫さんや犬さんは世界のどこかで愛されて生きていけると思うよ。危機管理能力は人間なんかより遥かに鋭い。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。コッペ。前作のリミックス・ヴァージョンなのだが前作はジャズのスタンダード・ナンバーが多かった。コッペと親交の深いアーティストたちがそれをリミックスしたらどうなるか。日本のマス-コミではなぜかますます全盛期の焼き直し的繰り返しばかり計画されていそうな下品この上ない「感動ポルノ」とはまるで無縁の世界でぷかぷか浮かびながら過ごす時間はいいものだ。


Blog21・撤退し過ぎた日本の小説、でも何から?

2024年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム

文学賞の選考「基準」について保坂和志はいう。

 

「『お手本どおりに出来たら上等』という考え方があるんだろうが私は小説にお手本があるという考え方が嫌いだ」(保坂和志「鉄の胡蝶は夢に歳月は記憶は彫るか(76)」『群像・12・P.257』講談社 二〇二四年)

 

どういうことかというと。

 

「読みやすかった」

 

「ちゃんと書けていた」

 

「安定感があった」

 

という点を「基準」として「推す」ことや、あるいはそういう小説は「嫌いだ」と。

 

読者としてはそれらの同類に「真正面から取り組んだ意欲作」というキャッチコピーを見かけない日はないと半ば辟易しているわけだが、そういうキャッチコピーに常につきまとう隠蔽機能というものがある。

 

意欲的に取り組む姿勢がどうこうということではなくて「真正面」という言葉の中にある「真」というものに「嫌疑をかけてみる」ということから撤退し出した。だいたいでしか言えないとしても一九九〇年代一杯を通して大変多くの小説がそれをやらなくなった、手放してしまったという印象がとても強い違和感としてわだかまっている。

 

「真正面」という言葉の中にある「真」というたったひと文字はあまりに巨大過ぎて胡散臭いにもかかわらず実に狡猾迅速陰湿な浸透の仕方でいろんなことをいとも容易に覆い隠してしまう。「文学か政治」という黴臭い二元論に関係なく。

 

なんとかして~、って感じ。

 

もっとも「こういうやり方もある」と提示していた小説がかつてはあった。あまり売れなかったけれどあるにはあった。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて969

2024年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

ギターのエクササイズ。ジャズのフレージング/アドリブを活用する。

 

(1)チャーリー・パーカー「CHI-CHI(Take6)」から1:20~1:27付近。技術的な問題はほぼない。そのぶん基礎的なテクニックをどこまで身に付けてきたかがもろに見えてしまう箇所。あまり「コブシ」を効かせると「おっさんジャズ」になってしまうので「タメ」過ぎず逆に軽くさりげなくクールに仕上げたい。

 

(2)チャーリー・パーカー「CHI-CHI(Take6)」から1:34~1:43付近。ひとつのフレーズがクロマティック(半音)進行的な感じで規則的に移動していく。ギターに置き換える際に幾つかのポジションが考えられるけれども横移動を重視してストレッチのエクササイズにしてしまうとニュアンス的に近くなる。できればだけどこれ、さらに二倍速でやれるようにしておくと体の目覚めによい。

 

音楽を楽しむ時間(電気料金)も削減中。