二〇二四年十一月一日(金)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝晩はなるほど冷えるようになってきた。とりわけこんな雨の日は。
夕食後のタマはどこへ行ったのかと探していたら二階の窓辺から夜の雨の住宅街をぼんやり眺めている。
どうしたタマ?
別にどうってことないけど、あのさ、飼い主この前に映画観たら話してくれるって言ってたじゃん。
言ってた。
あれからどうなったの?
どうもこうも。うちは貧乏だから限界にぶち当たることが多々あるんだが、まあ、面白そうな映画はやってるし映画論もたくさん出てる。けどお金がないから交通費込みで映画をひとつ観に行って帰宅したらその日は食べるものがないってこと。
飼い主とその妻とタマだけなのに?
そうさ。日本の低所得者層ってそんなものだよ。いわゆる大衆の側に立ってる評論家もいるにはいるけどね。それでも今の日本の低所得者層から見たらずっと上のほうにいて身内だけで盛り上がってるとしか見えようがない。だから日に日に白けてますます無力感に打ちひしがれていくんだけどね、この傾向は何もうちだけに限った話じゃない。疎外って言ってタマにすればそうだなあ、家猫として何年も生きてきてある日突然これといった理由もなく誰の目にもつかない深山幽谷へ捨てられて帰ってこれなくなったとしてごらんよ。でも実をいうと迷子になって衰弱して野垂れ死んでいく様子をこっそり撮影してるカメラがあってだな、それを眺めて冷笑してる連中がわんさといるって感じかな。
それっていじめじゃん。
いや、単なるいじめとはちょっと違う。人間社会には階級格差ってのがあってね、下のほうの人間は全部そうなるようにできてるんだな、これが。働けば働くほど報われるとかいう大ボラがまかり通ってる。
政治家さんたちは何かしてくれてるの?
絶望的だね、残念ながら。低所得者層の生活改善や障害者差別反対を掲げて出てきた「れいわ新選組」もつい最近選挙宣伝のために作った動画でさ、たどたどしい日本語をしゃべる外国人を真似て笑いものにして有権者の注目を集めようとする悪質な内容の言語障害者差別をやらかした。
そうなの?それじゃあ猫だけじゃなく犬さんにも象さんにも、もっと他のどの動物にも精神障害を患うケースがあって笑いものにされてる日常なんて知るはずないってことなのかな。
今回の選挙で躍進したと騒がれてその気になってる「国民民主党」の党首なんて動物を通り越して人間、アイヌ民族差別容認派として有名なんだが、他に人数がほしい政治政党がラブコールを送り出す始末さ。
映画どころじゃないって?
この物価高と差別主義的復古主義ジャパンじゃあな。
タマはどうなるの?
う~ん、しばらくは折り紙で我慢てところか。
折り紙って言ってもうちではふつうのメモ帳やスケジュール帳が買えないから飼い主がA4用紙を切り貼りしてメモ帳作ったりしてるじゃん。たりなくなっちゃうよ。
そうなんだけどね。低所得者層や障害者には一刻も早く死んでほしいと願ってる政治家ばかり増えたから何でも工夫してしのいで行くしかないな。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。モスキート。テイラー・デュプリーのアンビエント作品は以前から好きだったのだがele-king評を見るとそのデュプリーがマスタリングを手がけているらしい。だからというわけではないが聴いてみると今作のモスキートはある意味懐かしい音響で脳内を満たす。過去への遡及が同時に未来を朧げに照射しつつずっと聴いていたくなるような感覚をもたらしてくれる。