白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ368

2024年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十一月一日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝晩はなるほど冷えるようになってきた。とりわけこんな雨の日は。

 

夕食後のタマはどこへ行ったのかと探していたら二階の窓辺から夜の雨の住宅街をぼんやり眺めている。

 

どうしたタマ?

 

別にどうってことないけど、あのさ、飼い主この前に映画観たら話してくれるって言ってたじゃん。

 

言ってた。

 

あれからどうなったの?

 

どうもこうも。うちは貧乏だから限界にぶち当たることが多々あるんだが、まあ、面白そうな映画はやってるし映画論もたくさん出てる。けどお金がないから交通費込みで映画をひとつ観に行って帰宅したらその日は食べるものがないってこと。

 

飼い主とその妻とタマだけなのに?

 

そうさ。日本の低所得者層ってそんなものだよ。いわゆる大衆の側に立ってる評論家もいるにはいるけどね。それでも今の日本の低所得者層から見たらずっと上のほうにいて身内だけで盛り上がってるとしか見えようがない。だから日に日に白けてますます無力感に打ちひしがれていくんだけどね、この傾向は何もうちだけに限った話じゃない。疎外って言ってタマにすればそうだなあ、家猫として何年も生きてきてある日突然これといった理由もなく誰の目にもつかない深山幽谷へ捨てられて帰ってこれなくなったとしてごらんよ。でも実をいうと迷子になって衰弱して野垂れ死んでいく様子をこっそり撮影してるカメラがあってだな、それを眺めて冷笑してる連中がわんさといるって感じかな。

 

それっていじめじゃん。

 

いや、単なるいじめとはちょっと違う。人間社会には階級格差ってのがあってね、下のほうの人間は全部そうなるようにできてるんだな、これが。働けば働くほど報われるとかいう大ボラがまかり通ってる。

 

政治家さんたちは何かしてくれてるの?

 

絶望的だね、残念ながら。低所得者層の生活改善や障害者差別反対を掲げて出てきた「れいわ新選組」もつい最近選挙宣伝のために作った動画でさ、たどたどしい日本語をしゃべる外国人を真似て笑いものにして有権者の注目を集めようとする悪質な内容の言語障害者差別をやらかした。

 

そうなの?それじゃあ猫だけじゃなく犬さんにも象さんにも、もっと他のどの動物にも精神障害を患うケースがあって笑いものにされてる日常なんて知るはずないってことなのかな。

 

今回の選挙で躍進したと騒がれてその気になってる「国民民主党」の党首なんて動物を通り越して人間、アイヌ民族差別容認派として有名なんだが、他に人数がほしい政治政党がラブコールを送り出す始末さ。

 

映画どころじゃないって?

 

この物価高と差別主義的復古主義ジャパンじゃあな。

 

タマはどうなるの?

 

う~ん、しばらくは折り紙で我慢てところか。

 

折り紙って言ってもうちではふつうのメモ帳やスケジュール帳が買えないから飼い主がA4用紙を切り貼りしてメモ帳作ったりしてるじゃん。たりなくなっちゃうよ。

 

そうなんだけどね。低所得者層や障害者には一刻も早く死んでほしいと願ってる政治家ばかり増えたから何でも工夫してしのいで行くしかないな。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。モスキート。テイラー・デュプリーのアンビエント作品は以前から好きだったのだがele-king評を見るとそのデュプリーがマスタリングを手がけているらしい。だからというわけではないが聴いてみると今作のモスキートはある意味懐かしい音響で脳内を満たす。過去への遡及が同時に未来を朧げに照射しつつずっと聴いていたくなるような感覚をもたらしてくれる。


Blog21・忘れりゃいいってもんじゃない

2024年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム

リチャード・ケープスのインタヴューにマーク・フィッシャーは答えている。全体は長いのだが面白く読めたところを折りに触れて引用したいと思う。差し当たり次の箇所。

 

「資本主義がその勝利の頂点に至った時点で、共産主義の要素がその中に芽生えはじめるという現象です。私がスターバックスについてよく言うことですが、スターバックスは共産主義への欲求を表していると思います。なぜなら、スターバックスについて言われることはすべて、共産主義について語られたことそのものだからです。均質的であるとか、汎用的であるとかですね。人々は、スターバックスに何を求めているのでしょう?コーヒーじゃないと思いますよーーーまあ、ひどい味なので、そうでないことを願いますが。人々がスターバックスに求めるのは、慣れ親しんだもの、ありふれたもの、つまり公共空間のひとつの形態であり、ある種の均質な公共空間なのです。ポスト資本主義は、これをスターバックスよりもうまく、そしてより安く提供することができると主張できるのです。公共空間への欲望と、均質で複製されたものへの欲望は同義語になりうるのです。しかし現在、私たちにあるのは、スターバックスのような、その劣化版だけなのです。

 

大量生産が資本主義だけの特徴だと考える理由はないでしょう。私たちにはロボットとかもあるじゃないですか。そういうのは、資本主義に頼らない経済をどうやって構築できるかという具体的なチャレンジのひとつです。私とある種のアナーキズム的なアプローチとの違いはたぶん、ただ単に私が、資本主義のグローバルな勝利がポスト資本主義の前提条件であるというマルクスの考えに賛同している点にあると思います。資本主義がグローバルであるならば、私たちもグローバル、ないしは十分にグローバルでなければならない。資本主義はグローバルな政府によって運営されているわけではありませんが、その活動を世界各地で連携させるための十分なシステムを備えているので、反資本主義闘争の有効性を最小限に抑えることができるのです。私たちにも同じようなグローバルな連携のシステムが必要で、そのなかには、例えば資源の有効活用を保証するような資源管理が含まれると思います」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.76~77」ele-king books 二〇二四年)

 

これだけでも長年にわたる重苦しい鬱病の中にあってなお少しは未来がありそうに思えてくる。

 

多分次に引用したくなる箇所があるとすれば「なんの役にも立たない」の項からだろう。けれども課題は入試問題のように順番に解いていけば済むようなものではまるでない。例えば日本では衆院選が終わり予想通りおかしな結果が出てきたばかりの時期ゆえ、なおのこと「ヴァンパイア城からの脱出」は極めて今日的な問いとして受け止める必要があるに違いない。

 

そんなところかな。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて962

2024年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

ギターのエクササイズ。ジャズのフレージング/アドリブを活用する。

 

(1)チャーリー・パーカー「AN OSCAR FOR TREADWELL」から1:00~1:09付近。スウィープだけでなく案外スライドやエコノミーを試してみたほうがエクササイズになる。1:05辺りの瞬速パッセージはハンマリング、プリング、スウィープを用いると思いのほか単純なので慌てずゆっくりから始めよう。

 

(2)チャーリー・パーカー「AN OSCAR FOR TREADWELL」から1:19~1:25付近。クロマティック(半音)進行や上昇下降が多い。その間にスウィープを使うと便利な箇所があったりする。左手は結構せわしない動きが要求されるわけだがそんな時でも右手の位置はしっかりブリッジ付近に固定しておき決してぶれないよう心がけることが大切だろう。

 

音楽を楽しむ時間(電気料金)も削減中。