二〇二四年十一月十二日(火)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
飼い主の妻のことなんだけど。
どうかした?
時代劇って言うの?真似して「てえへんだ、てえへんだ」って面白そうに言ってたからタマも真似しようと思ったんだけど上手く声が出ないんだよね。
真似しなくていいよ。
思い出し笑いっていうのかな、楽しそうだったよ?
じゃなくて。「てえへん」ってのが飼い主の耳には「底辺」って聞こえてくる。
言っちゃダメなの?
そんなことないよ。ただね、今度再選した大統領周辺なんて喧しいのなんの。日本で流行中のフレーズへ意訳すると「(底辺の)人々の正体ってさすがに怖いわー」とか「(底辺?)死んでた、ウヒ」って意味の英語が飛び交ってる。
デマじゃん。ホラーってそういうこと?
英語自体は何にも怖がることはない。よくわからないのはせっかく覚えて育った公用語なのにハーケンクロイツみたいにこの際全部捨ててもいいって人たちが圧倒的多数派支持になったってことかな。「無敵の人」って言うだろ?軍隊志願者を作り続けるには「無敵の人」の増産が一番さ。そんな「無敵の人」の大量生産にまんまと成功した超大国がそれよりさらに悪い意味で「無敵の国」になっちゃった。半分壊れかかったまんまだとそうなるのはわかりきってる。その意味ではいわゆる少数派に転落した政治政党の責任もかなり重い。でもね、どちらに転んでも何かといえば常に日本から吸い上げられるのは確かなんだ。それより時代劇ってえと、その昔、ちゃんばらロックンロールって曲があった。
ふ~ん、歌なの?
歌だよ。中学時代にギターで耳コピした。そんなの誰もやらない中学校でね。平々凡々な公立中学の軽音楽部の分際でエレキギター禁止ってご立派な規則があった。けど問題はちょっと違う。軽音学部でエレキギター禁止なら在校中の生徒は特例でもないかぎり全員禁止かとほとんどみんなが錯覚しちまってた。絶対的校則じゃないのに。でも何らかの部活にはとにかく全員参加しないと許されない決まりがあってね。そこなんだよ。日本の空気の作り方ってのは。青春?何それ?これからという時すでに終わったと思ったね。思い出しただけでぞっとする。
へえ、ホラーって昔から身近にあったんだね。やれやれ。タマは朝夕に窓からぼうっと中学生さん高校生さんの登下校眺めててそのまま居眠ってしまうことが多くてそりゃあ心地いいのさ。でもね、起きてるときに道行く生徒さんたちを眺めてると大抵は端末見てるから思うことはあるわけ。例えば恋愛なんかも端末通して結構ホラーだったりするのかな~とか。発情期の猫だと下手すれば殺し合いになっちゃったりするじゃん、結果的に。
それは目に見える殺しだろ?今の端末だと特権的立場からすればいつでも覗ける。だから中高生も含めて特に社会人とかだと誰かに覗かれてるかもと薄々知りつつそれはそれで仕方ないという諦めがあってさ、いっそ端末限定の言葉ばかりで話を推し進めていく人は随分多いよね。端末って楽だし。するとどこへ出るか。話を推し進めていく過程で話の重要な核心へじわじわ迫っていく気がするだろ?ところが実をいうと重要か重要でないか境界線が消滅していく世界へ向けてころころころころ変わってく。猫の目みたいにさ。
あ、それが言いたかったのか!タマ考えて損しちゃった。寝る。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ダイアレクト。外出時はシャットアウトしたくても否応なく聴こえてくる音楽で溢れかえっているが、それを嫌がる人も多いので、そうなると外出先によってはただ単にアンビエント風の音楽を流しておけば無難だろうみたいな場所が増えてきた。そういう時はアンビエントならアンビエントでその出発点に立ち戻ってみればいいのではと思わせてくれる。う~ん、なるほど。