二〇〇八年リーマン・ショックは主に先進諸国で資本主義とは何なのかを問う様々な社会運動を起動させた。リチャード・ケープスのインタヴューにマーク・フィッシャーは答えている。ケープスの質問が興味深いのは特に学生運動についてフランスの学生運動とイギリスのそれとの二つに分けて問うている点。
フィッシャーがイギリスの大学で教壇に立っていたこともあるがフランスとイギリスとの違いだけでなくイギリスの学生運動がフィッシャーのいう「再帰的無能感」(ここでは「うつ病の別名」としても使われている)からの脱却へ切り開かれた点が評価されている。まずフランスの学生運動について。
(1)「『現状維持=不動化(immobilisation)』のような言葉は、資本主義を停止させるという意味で私自身も使っている用語です。歴史が資本のものであるということ、あるいは、歴史が資本というひとつの方向にしか進まないということを認めている限りにおいて、それらの活動は資本主義リアリズムの支配に加担することがあるということを、そのような表現を使うことで問題にしたいのです。結局、私たちにできることは、資本の必然的な勝利に対する妨害、抵抗、あるいは先延ばしだけだという。そのような考え方には、明らかに問題があるように思います。いまだに資本主義リアリズムの一環であることに変わりはないのです。なぜそれが大幅に資本主義リアリズムに迎合しているかというと、『未来は私たちのもので、私たちは自分でつくる未来へと向かって前進できる』という感覚を失ってしまっているからです。むしろ、資本に委ねられたと自分たちで認めてしまった未来に対して、バリケードを張っているにすぎないのです」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.50」ele-king books 二〇二四年)
次にイギリスの学生運動について。フィッシャーの著書「資本主義リアリズム」に登場する「再帰的無能感」の平易な説明になっているわけだがそれだけでない。そもそもフィッシャーはイギリス社会を覆い尽くしている「階級」というものについて曖昧にするのではなくその「明確な政治化」を運動の中に求めていた。
(2)「それほど大きな違いがあったようには思いません。多くの左派デモと同様、何に抵抗しているかはしっかり伝わってくるのですが、何を望んでいるかはあまり伝わってきませんでした。それでも私にとって力強かったのは、少なくとも英国の若者たちが、慣例によって『無関心』と呼ばれる、ある種の引力から抜け出してきたということです。だけど〔無関心という〕言葉は好きではありません。著書では『再帰的無能感(reflexive impotence)』という言葉を使っていますが、この表現の方が英国の若者の多くが抱えている問題をよりよく捉えているのではないかと思います。なぜ『再帰的無能感』かというと、人々は何もできないと感じ、その何もできないという感覚がまさに何もできないという状態につながる、あるいは、実際に行動に移す力をさらにもぎ取ってしまうのだということは解ってはいるものの、それでもなお、そうした自覚が行動を可能にしてくれるわけでもないからです。再帰的無能感は、うつ病の別名とも言えるでしょうね。うつ病患者の気持ちは、そういうものだから。自分の態度によって自分の無力さがさらに悪化され、気分はさらに悪くなるのですが、それがわかったところで行動を起こすことにつながりはしないのです。それどころか、よりいっそう落ち込んでしまう始末です。これがイギリスの若者、二〇〇八年までのイギリスの若者の大半が経験した状況をまとめていると思います。
また、学生の抗議行動を見ていて勇気づけられることのひとつに、政治が可能な選択肢になったということもあります。いわゆる脱政治化のレヴェルは若者の間では非常に高かったため、挫折した、あるいは欠点のある政治化の試みでさえも勇気づけられるものに感じるのです。というのも、私が話しているうつ状態の一端は、政治そのものの消滅と関係していると思うからです。資本主義リアリズムを当然のものと受け止めているイギリスの多くの若者は、自分たちの将来を思い描くこと、面白そうな将来を思い描くことができないのです。〔就学のために〕借金を重ね、せいぜい、とくに興味のもてない仕事にありつけるくらいだろうーーーそれがたぶん、彼らの視点なんでしょう。そして、このような状況に政治的な形で抵抗できるというのは、彼らの多くにとっては考え得ることのできないことだったのだと思います。それを再び想像可能にしたことが、学生運動について心強く感じた部分です」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.50~51」ele-king books 二〇二四年)
フィッシャーは、あり得る、あり得るだろう、これからのオルタナティヴについて未来を垣間見ていたということは言えるだろうと思える。
また独自の「再帰的無能感」=「うつ病」と政治との関係には大いに共感を覚える。日本では一部を除いてなぜかマイナーな思考として捉えられがちなのだが新型コロナ流行以前すでに「加速主義」との関連で意外に早くから紹介されていた。にもかかわらず日本のマス-コミは決してメイン・ストリームとして取り上げることがない。