二〇二四年十一月十八日(月)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
おいおいタマさん。何をごそごそやってるのかと思ったらそれプルーストじゃん。引っ掻いちゃダメ。
飼い主の匂いが沁み付いてる本がダンボールに入ってるのを見つけたからこの際タマの匂いも沁み付けとこうって思って。
そうだ、ちなみに初代タマが生きてた頃のことなんだけどね、本棚の上に乗って最初に爪で引っ掻いて落とした本がある。
?
ヘーゲルの大論理学って大きいやつ。
どんなの?
ん~と、奥のほうへ置き換えたかも。ああそうだ、これだね。見てみるかい?
む、重そう。二代目としてはさりげなくダンボールに詰め込んで隠してあったのを見つけ出して引っ掻き回すのが好きだなあ。
隠したなんて人聞きが悪いぞ。ぴったりの大きさのダンボールがあったから文庫本を整理するのに使ったんだ。隠したんじゃない。
そんなのただ単なるロジックなんじゃないの?
ロジックってお前さんね、言葉だけ覚えて使えそうな時には後先かえりみず連発するのはちょっと考えものだよ。誤解を招く。
正解って何さ?
知りたい?
あ、なんだか誘導されてる気がする。
うん。お昼にブログで引用した大谷能生のいう「デジタリティに携わることの出来る領域」ってことなんだけど、明治の新聞小説と「地続き」っていうことはまあ言える。
夏目漱石の話なのかな。飼い主の本棚のいつでも取り出せる位置に文庫本で並べてある。猫さんを持ち出して上手く社会風刺して苦笑いをとることができたのも猫さんのおかげってこと?
それもある。猫は昔から愛されキャラだったし。
タマみたいな黒猫さんもいたの?
いたよ。結構うろうろしてたらしい。
ふ~ん。でもそれと「デジタリティに携わることの出来る領域」とどう繋がるのかな。
明治と「地続き」ってのは随分乱暴な繋ぎ方なんだけど比較的若い読者、とりわけ未来ある十代の読者に向けて読んで考えてもらうためにはやむを得ないんだろう。飼い主が言いたいのはそういうデジタル次元で「地続き」ということで言えば今はもっと桁違いに「地続き」な場所があるってこと。パレスチナとかウクライナとかは当然としてね。
そうさ、中東の猫さんたちはタマの親戚だらけなんだ。
ガザでイスラエル軍がやってるジェノサイドについちゃあマス-コミは無論のことSNSでアップしても片っ端から一方的に消去されるだろ?そこまであからさまな政治的SNS戦略の末路はもう半分先が見えたようなもの。戦略自体がごっそりフェイクになり得る。でもインターネットとその端末は多分確実に残る。端末と自分だけの世界に引きこもってばかりいるのは日常の精神的苦痛に耐えられなくなった人々の一時避難としての引きこもりとはまったくかけ離れた単なるオナニズムでしかない。日本で多発してる身近な例でいえば不同意性交でぶちまけられた精液の海の中で逆に気分よく世界と乖離していることに気づかなくなる装置だってわけ。端末と自分だけの世界へ引きこもる「パパ-ママ-ボク」で構成されて家父長制を支え続ける「オイディプス三角形」とiPodを組み合わせたおぞましいオイディポッドワールドのバージョンアップを繰り返しせっせと儲ける巨大既得権益網の一環として自分がいいように組み込まれこき使われてるってことに気づく時間なんて鼻から奪われてる十代二十代はまだまだどん底を知らない、それを知るには「十分でない」って時点でまんまと宙吊りにされてる。
それってフィッシャーって人が言ってたって飼い主が言ってた。
オイディポッドのことか。でもフィッシャーが言う前すでに日本の大学では一九九〇年代初頭から九〇年代一杯を通してもうだいたい見当を付けてる学生がいたんだけどね、圧倒的少数派だったからかほぼ無視されたのさ。おまけに二十一世紀初頭には「馬鹿でいいじゃん」という心根の小説家が芥川賞を受賞しちゃったりするという笑えない珍事さえ発生してきた。そのツケをなんで今日明日に生まれてくる乳幼児が十五年後くらいに労働できるようになるや否や支払わせないといけなくなり自動的に借金漬けにしてしまう構造をわざわざ作り上げる必要があったのか。そこまで問いかけてみても序の口なわけ。
わかんなくなってきた。
心配ない。そんな時代になっても猫は愛されキャラだから。
人間ってどん底を見せつけられてなおおぞましいってこと?
そういう人間が爆発的に増殖した。でも少子化傾向は止まらない。
タマの飼い主も人間だよ、飼い主もおぞましいんだ。
おいおい、そいつはちょっと違
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ダイアレクト。外出時はシャットアウトしたくても否応なく聴こえてくる音楽で溢れかえっているが、それを嫌がる人も多いので、そうなると外出先によってはただ単にアンビエント風の音楽を流しておけば無難だろうみたいな場所が増えてきた。そういう時はアンビエントならアンビエントでその出発点に立ち戻ってみればいいのではと思わせてくれる。う~ん、なるほど。
今日ももうひとつ。orange flavored cigarettes。ひたすら安全牌ばかり取ってきた日本の歌謡界がとうとう追い抜かれる日はもうそこまで迫ってきている予感がする。実際に一日分追い抜かれたと気づいて慌てて挽回することにしたとしよう。でも他国のアーティストもみんな一日分やるわけで一度開いた距離がさらに開くことはあっても近づくことはない。