ポリス・スラヴィンスキー著 共同通信社刊「日ソ戦争への道」492~493頁に北海道を分割する「スターリンとトルーマン――日本の降伏問の調整 」があったこと。更には、「米ソ間で合意に達した朝鮮の占領地域を三八度線に沿って分割する協定」の記述があります。この朝鮮に関する協定についての詳細はありませんでした。
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スターリンとトルーマン――日本の降伏問題の調整
一九四五年八月一五日、目本政府は、米国、英国、中国、ソ連などの連合国の勢力に無条件降伏を表明した。これ以上、抵抗しても無意味だと確信したためである。これと絡んで、ワシントンでは日本軍の降伏について詳細を記した命令第一号が早速、作成された。八月一五日、この文書は調整のためにモスクワに送られた。スターリンは、基本的にはこれに賛成したが、文章に次の修正を加えるよう提案した。
1、クリミアにおける三大国の決定に従って、日本軍がソ連軍に降伏する地域にソ連の領土となるべき千島列島全体を含めること。
2、日本軍がソ連軍に降伏する地域に、サハリンと北海道との間にある宗谷海峡に北で接する北海道島の北半分を含めること。北海道島の北半分と南半分の間に、島の東岸の釧路市から島の西岸の留萌市まで境界線を引く。
上記の市は島の北部に含める。
後の提案は、既に米ソ間で合意に達した朝鮮の占領地域を三八度線に沿って分割する協定や、中国の領土取得、反ヒトラー連合国によるドイツの共同占領等を勘案して、クレムリンが作成したと推定することができる。
【注】ソ連外務省『1941ー45年の大祖国戦争期のソ連閣僚会議議長と米国大統領および英国首相との書簡の交換』第二巻、「F・ルーズヴェルトおよびH・トルーマンとの書簡の交換」(1941年8月ー45年12月)、第二版、モスクワ、1989年、285頁、さらにソ連外務省『書簡の交換』
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管理人が加筆
歴史学者故畑田重夫さんが、日本平和委員会の機関紙「平和新聞」上で「朝鮮半島38度線は、南朝鮮と北朝鮮に配置していた陸軍に由来する。朝鮮問題を研究するものにとっては常識である。」と言われました。
管理人は旧日本軍が中国東北部(旧満州)に土中や河川に遺棄した化学兵器による中国人被害者救済運動をしていたときに、関東軍について研究をしました。防衛庁防衛研究所戦史室著の「戦史叢書 関東軍①②」を読み、敗戦直前の関東軍配置から第34軍が朝鮮半島の満州寄りの北側部分を、新たに本土部隊の第17方面軍が南側部分を受け持ちっていたことを知っていました。
また、神田古書店で入手した「輝く陸軍寫真帖 帝國軍備配備圖」から朝鮮半島は第19師団と20師団が配備されていたことも知っていました。
そこで畑田さんの間違った認識を糺さなければと考えて「朝鮮半島38度線の由来」を作図しました。
「輝く陸軍冩眞帖・陸軍軍備配備圖」から朝鮮半島部分
管理人が作図した「朝鮮半島38度線分割図」
(了)