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韓国政府は「北朝鮮が地上の楽園」は偽りと公式認定

2024年08月10日 | 韓国・北朝鮮問題

ネットで下記のニュースを読みました。

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「北朝鮮が地上の楽園」は偽りと公式認定 韓国の真実和解委員会 日本や赤十字も「人権侵害を容認、傍観した」 (msn.com)

 【ソウル=木下大資】韓国政府の調査機関「真実・和解のための過去事整理委員会」は7日、1959~84年に約9万3440人の在日朝鮮人らが北朝鮮に渡った「帰還事業」に関する調査結果を発表した。「北朝鮮が差別のない地上の楽園」とする偽りの宣伝が組織的に行われ、だまされた大勢の帰還者やその子孫が人権を侵害されたと公式に認定。北朝鮮の政権と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に「一次的な責任がある」と非難した。

 真実・和解のための過去事整理委員会 韓国政府が設置した独立機関。革新系の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権期の2005年、真実・和解のための過去事整理基本法に基づき設立され、2010年に第1期の活動を終えた。2020年に第2期委員会が発足。過去の軍事政権による人権弾圧などを調査し、真相究明や被害者の名誉回復に取り組んでいる。

ソウルで2022年、「真実・和解のための過去事整理委員会」に申請書を提出後に会見する川崎栄子さん(中央)ら=木下大資撮影

 日朝間の帰還事業に対し、韓国として調査を実施したのは初めて。調査を求めた脱北者らへの聞き取りのほか、当時の韓国政府が作成した公文書や日本側の資料などを分析した。

 その結果、帰還事業に際しては個人の意思を確認する機会が不十分で、意思に反して乗船させられた人もいたと指摘。帰還者の多くは首都平壌(ピョンヤン)以外の協同農場や鉱山などの労働者として配置され、「敵対階層」と見なされて監視や差別を受けたと確認した。

 委員会は、日本政府と日本赤十字社に対しても「北朝鮮の現実と帰還事業の実態を確認できたのに事業を支援・持続させ、人権侵害を容認した」と批判。仲介役だった国際赤十字委員会も「役割を果たせず、傍観した」と指摘した。また、国連に対し、帰還者とその家族の被害や行方などを調査するよう要請した。

 帰還事業で北朝鮮に渡った在日2世で、2003年に脱北した川崎栄子さん(81)=東京=は「韓国政府の正義に対する理念をはっきりと示した決定で、国際社会に大きく影響すると思う」と喜んだ。

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新宿区議会議員時代に、模型店を経営している女性から区の融資相談を受けたことがありました。

その方は、長野県に住んでいたとき、家族8人が北朝鮮に帰国することになり長野駅から列車に乗り込みました。しかし、何故か日本に残りたいと思い一人だけ列車から飛び降りたそうです。その後、日本人と結婚しました。ご主人は電気工事の仕事をしていましたが、自分は模型店を経営することになったそうです。北朝鮮に帰国した姉からは年中、衣類と金を送れと手紙が来ましたので、衣類の下にお金を隠して送ったそうです。

この話を聞きながら、有楽町そごうデパートにあった「よみうりホール」で上映された「映画 千里馬(チョンリマ)」を思い出しました。映画の中身は覚えていませんが、よみうりホールまでの階段を並んだことだけは記憶しています。日本共産党に入党したばかりだったので、多分新宿地区委員会から映画チケットを買わされたのだろうと思います。そこで「帰還事業」は、日本共産党にも責任の一端があるのではないかと考えました。

「日本共産党の百年 1922ー2022」を読んでみました。ソ連共産党と中国共産党についての叙述は沢山ありますが、北朝鮮に関する叙述は下記の一箇所だけでした。「帰還事業」につては何も触れられていませんが、宮本書記長が訪朝可能な関係であり、平壌に赤旗特派員がいたことからも、何かしらの支援をしていたと考察をしています。

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一九六八年の北朝鮮訪間ーー「南進」問題の誤りをただす
 

 このころ、東アジアの平和の見地から大きな懸念をひきおこす動きが、北朝鮮で表面化していました。一九六七年の終わりごろから、北朝鮮が〝南の革命的大事変を主動的にむかえる〟と称して、〝武力南進〟をくわだてる動きをみせたことです(六七年十二月、「十大政綱」)。 
 六八年一月には、北朝鮮が送り込んだとみられる武装グループが韓国・ソウルの大統領官邸を襲撃するなど、憂慮すべき事態が生まれました。アメリカがベトナム戦争で手いっぱいのときに何かをやろうとしているとしか思えない動きでした。 
 党は、これを黙過できない事態と考え、六八年八月、党代表団(団長・宮本書記長)を北朝鮮に派遣し、「南進」のくわだての誤りをただすことにしました。会談で、党は武力介入の危険性と有害性を指摘し、金日成は、「主動的に〔自分の方から〕戦争をはじめるつもりはない」と言明しました。このときは、武装グループの活動も収束に向かいました。 
 この訪間のさいに、党代表団は、宿舎に盗聴器をしかける北朝鮮の秘密警察的なふるまいと遭遇、金日成への個人崇拝の強まりも目撃しました。その後、北朝鮮からは、日本の運動に金日成崇拝と外交路線への支持をおしつける態度がつづき、七〇年四月には、「よど号」乗っ取り犯が、北朝鮮に「亡命」し、反共攻撃に利用されました。 

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友人からメールが届きました。

『日本共産党は、朝鮮戦争についてアメリカと韓国の謀略で仕掛けたのは韓国側だとの見解を長い間とっていましたが、実は金日成がソ連の支援を仰ぎ侵略したとの認定に変えました。北朝鮮の実態を知りながら帰国事業推進側だった日本共産党の責任は免れないと思います。』

(了)

 

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