「防衛省市谷記念館を考える会」共同代表川口重雄氏は、>フィールドワークご案内の中村延夫「関東大震災千歳村烏山事件100年——記念植樹から慰霊追悼へ」によると、烏山事件の朝鮮人犠牲者の数は、12人、13人両方の説があり、加害者の千歳村自警団が12人、13人。烏山神社に植えられた椎の木の数も12本、13本と2つの説があるそうです。世田谷区編『区制50周年記念 世田谷区、町村のおいたち』(1982年)が、世田谷区が公式に発表した最後の文章で、「13本の椎の木を慰霊のために植えた」と記述しています。一方、大橋場の石碑建立の『栞』には「12名の朝鮮人犠牲者、12名の烏山村の加害者、12本の椎の木の植樹」と記載している。<と、メールに書かれています。
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この朝鮮人虐殺を知らない時に、烏山神社の「椎の木」二本を描きました。水彩画F8号「烏山神社」
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「関東大震災朝鮮人虐殺の記録」世田谷区旧烏山川大橋場跡の碑で献花
朝鮮人虐殺現場「大橋場の跡」で献花をしました。
1923年関東大震災 ジェノサイドの現場「大橋場の跡」で献花しました。
加藤直樹著「1923年関東大震災 ジェノサイドの残響 九月、東京の路上で」徳冨蘆花は、>烏山では到頭労働に行く途中の鮮人を三名殺してしまいました。<
「関東大震災朝鮮人虐殺の記録・東京地区別1000の証言」から世田谷区を抜粋
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『東京日日新聞府下版』(1923年10月21日)
「烏山の鮮人被害者」
長らく記事差止中であった震災当時北多摩郡烏山方面に於ける鮮人被害者の氏名は左の如くである。被害者――
比較的軽傷者:金丁石(25)・魯ロ珍(20)・李敬植(36)・権宜徳(24)・許衍寛(36)・朴在春(32)・朴道先(32)・朴敬鎮(32)・李永壽(23)・金希伯(34)・高學伊(24)・李洪中(25)・宋學伯(23)・鳳虚到(36)・具鐵元(27)・金珠榮(26)・文己出(36)・閔丙?(31)・金仁壽(24)・権七奉(23)・鄭三俊(25)
赤十字病院へ送られし者:金奉和(35)・金威光(28)・成鯉口(37)
絶命した者:洪基台(35)
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現代史資料6 「関東大震災と朝鮮人」
「東京日日新聞府下版」及び「現代史資料6 関東大震災と朝鮮人」の政府調査表から、殺されたのは「洪其白」だけと、結論せざるを得ません。
徳冨蘆花著「みみずのたはこと」
世田谷区誌研究会「世田谷 32号」より『下山新三著 しいの木の訓標』
(了)