靖国神社の社報「靖國」3月第776号が配達されました。
隅から隅まで見てみましたが、世界がパンデミック寸前の事態となっているのに「コロナ」の「コ」の字もありませんでした。さらに、4月23日春季例大祭第二日祭の案内状にも「新型コロナウイルスの状況次第によっては、一般参加が出来なくなるかもしれません。」という、但し書きもありませんでした。
8頁に「坂昭夫権宮司帰幽」の記事がありました。2006年に韓国の高校生40名が来日し、靖国神社と遊就館見学をしたとき遊就館担当部長だった坂氏には、大変お世話になったことがありました。また、こんなエピソードもありました。2007年頃だったと記憶していますが 、ある団体を境内と遊就館に案内した時の事です。遊就館一階の展示室11「大東亜戦争」に、「日米交渉」の5㍍もある大きなパネルがあります。
「日米交渉スタート」、「ハル・野村会談」、「第二次近衛内閣総辞職」、「野村・ルーズベルト会談」、「南部仏印への進駐」、「日米首脳会談の申し入れ」、「帝国国策遂行要領」、「第三次近衛内閣総辞職 18日に東條内閣成立」、「白紙還元の御錠」、「ハル・ノート」、「11月26日日本海軍機動部隊ハワイ海域に向けて択捉島単冠湾を出撃」、「ハル、甲案に関心示さず」、「日本政府、ハル・ノートを最後通牒と見なし、開戦やむなしと結論」、「御前会議 対米・英・蘭 開戦を決定」、「12月2日 作戦開始を12月8日と決定」と説明してきて、最後に「開戦の詔書」のパネルの前に来ました。
「開戦の詔書」のところには、開戦の詔書の写真が貼られています。内閣総理大臣 内務大臣 陸軍大臣 東條英機から、内閣全員の名前と署名が並んでいます。最後から二番目にある商工大臣岸信介を指し棒でコンコンと指しながら「この人が安倍晋三総理大臣のお爺さんさんです。」と説明をしていました。ところが監視カメラを見ていたのかもしれませんが、神職姿の坂明夫氏が飛んできて「長谷川さん!傷が付きますのでパネルを叩かないでください!」と厳しく怒られました。以後は、秋葉原電気街で買ってきた赤外線ポインターを使用しています。