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陸軍科学研究所の毒ガス問題と陸軍軍医学校の人骨問題

2011年05月11日 | 人骨の会・731部隊・石井四郎

陸軍科学研究所の毒ガス問題と陸軍軍医学校の人骨

 

(2011年4月3日 「人骨の会」お花見フィールドワークの解説 於新宿区戸山生涯学習館)                                                                          川村一之 (元日本社会党新宿区議会議員)

 お花見ウオーク参加者の皆さん、お疲れ様でした。今日は健脚コースだったので本当にお疲れになったのではないかと思います。出発地のJR大久保駅から少し北に向かって歩くと旧陸軍の戸山ケ原錬兵場だったところに出ます。関東大震災の後、そこに陸軍科学研究所(その後、第六陸軍技術研究所として毒ガス研究部門が拡充される)がつくられ、毒ガスの研究が始まります。  戦後、研究所の周りに復員した人々の越冬住宅ができました。その住宅に住んでいた人の目撃談として、研究所の敷地内にイペリット爆弾が埋められたという証言があります。

 研究所の跡他は都立衛生研究所(現在の東京都健康安全研究センター)になりましたので、立替の際、証言に基づいて調査が行われました。そうしたら毒ガス弾そのものは出てこなかったんですが、塩素ボンベが発見されました。その後10年近くたって、茨城県の神栖市で旧軍由来の毒ガス成分によるヒ素被害が出て環境省が毒ガス弾の全国調査を行いました。そのときも証言に基づいて環境省が金属探知機などを使って調査しました。結局、金属探知をやっても反応しないということで、そこに埋められていてもそのままにしておくことになったんです。その周りの地下水を採水して調査しても漏れ出していることは考えられないので、今後土地を改変する場合は、例えばそこに大きな建物を建てる場合は、埋められているかもしれないのできちんと調査をするという事にしたわけです。もし埋められたのが事実ならば、今も埋められているままです。以上が百人町の陸軍科学研究所にまつわる話です。

 それでは陸軍軍医学校で発見された人骨問題について話します。1998年の7月22日に、国立予防衛生研究所(注:現在は国立感染症研究所と国立健康栄養研究所がある戸山合同庁舎となっている)の移転工事中【画像は川村一之氏提供】

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に100体以上の人骨が発見されました。ちょうどその時、私は新宿区の区議会議員をしておりました。当時は35体と言われていたのですが、掘り出された所が陸軍の軍医学校の跡地である、そこは731部隊との関係があるということで、731部隊【画像は中国・哈爾浜市平房区にあった関東軍第731部隊のボイラー室。関東軍は1945年8月9日、ソ連が参戦した直後施設を爆破し、マルタと呼ばれた囚人を殺害した。石井四郎中将らはいち早く鉄道で朝鮮半島から日本に逃げ帰った。】

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の人体実験に関係しているのではないかということがマスコミで報道されました。ですから人骨の取り扱いについてどうするかが、新宿区議会でも問題になりました。

 発見された骨は警察が鑑定をして、20年以上経っていて事件性がない(当時、殺人事件は15年で時効)ので新宿区に引き取ってほしいということになりました。731部隊の人体実験の儀牲者ではないかと報道されているわけですから、このまま引き取り手のない骨として自治体の新宿区が火葬して埋葬すれば国際問題になりかねないので、新宿区は厚生省に対して身元確認をしてほしいと要請したわけです。しかし、厚生省は法律に則って新宿区で埋葬してほしいというので、物別れになりました。そうしている間に、厚生省の方で調査をしないなら、新宿区で鑑定をやろうということを当時の新宿区長が決断したんです。それが非常に英断だったと思います。鑑定をした結果わかったことは、35体と言っていた骨は100体以上でした。それも人一人分全体の骨があったわけではありません。頭蓋骨であったり、手足が切断されていたりというものでしたので、そういう骨を新宿区が引き取って埋葬するというのはおかしい話です。ようするに陸軍軍医学校時代の人体標本、それも死体の一部であるという事ですね。それが非常に重要だと思います。それから十数年経って、厚生労働省も戦地から運んできた死体の一部であると認めて、遺棄しているということ自体問題だということを国が認めました。そこで、厚生労働省は新宿区が預かっていた骨を引き取って、納骨施設にそのまま保管をしました。

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 731部隊との関係でいえば、発見された頭蓋骨がピストルで撃たれていたり、ドリルで穴をあけられていたり、脳外科手術の実験とか、そういうものに類する骨であったので、731部隊でやっていたような感染症の実験との関連性は兄いだせなかったと鑑定人は言っています。ですから中国の731部隊による犠牲者遺族の方々が、自分たちの身内の骨ではないかという申し立てをしても、厚生労働省は731部隊との関連性は見いだされていないことを理由にして、その方たちに何らの報告もしていません。

 今回ご覧になった発振現場というのは防疫研究室の敷地内にあります。【画像は1940年代の防疫研究室。建物の左側が掘削調査現場である。】

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ここは731部隊と関係が深い地域ですので人骨が発見されれば関連性が明らかになる可能性もあります。防疫研究室に勤めていた軍属の人たちは研究室の屋上には華に入った「人体」がいくつもあったと証言されています。そういうことから考えても、「人体」を敗戦後に遺棄した可能性が大きのではないかと思います。発掘調査が進められて、臓器類の標本なども出てくるかもしれないわけです。そうすると感染症実験との関係も明らかになる可能性もないとは言えないわけです。そういう風に考えると今回の調査は重要な意味を持っていると思っています。
 元看護師さん【軍医学校で日赤看護婦として働いていた石井十世さん。新宿平和委員会主催の講演会で証言をしている写真。】

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の証言では、今回調査している場所と違って、遺棄するのを手伝ったというもう1ヶ所の新たな場所があります。そこは元看護師の方が直接手伝ったと仰っているわけですから、「人体」が発見される確率が高いわけです。そこは今、財務省の敷地になっています。ここも調査をすることになると思います。

 私自身も人骨が発見されてから軍医学校の関係者に何十人と直接会って話を聞きに行きました。だけどもなかなか直接つながるような話をして下さる方はいなかったですね。例えばある方は、会いに行ったときはすでに亡くなられていましたが、奥様に話が聞けました。その話によると、発見された当時はまだ存命で、ニュースを知ったときにご主人は「あれは中国の囚人の骨だ」と仰っていたということでした。軍医学校の教官だった人からは「あれは731から持ってきたものだ」と直接言ってくれた方もありました。しかしその話もなかなか直接骨に結びつかない。例えばその方も軍医学校内での人体実験はなかったと言うために、731部隊からそういうものが運ばれたという言い方もされているのではないかなあと思える節もありまして、自分たちの責任逃れのために仰っているという印象も受けました。それでも文献とか状況証拠で731部隊から標本が軍医学校に運ばれていて、なおかつ生徒にその標本を見せて教育を行ってきたということも実際に本にも書かれていますので、それは間違いないと思います。軍医学校から戦地に行って蒐集した標本を軍医学校に運んだという方もいらっしゃるわけです。

 そういうことから考えるとこの骨というものが私たちに教えることは非常に重要だろうと思います。というのは軍陣医学、戦争中の医学というものがどういうものだったかということがこの骨が教えてくれると思っていますし、戦争責任を考える意味で骨は物的な証拠でもあります。戦時医学の真相をきちっと明らかにしていく義務が日本人にはあるんじゃないかということで私たちはこの活動を続けています。

 以上申し上げて、今日のフィールドワークを皆さんの今後の活動に活かしていただきたいと思います。  

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