日中全面戦争のきっかけとなった陸軍の「盧溝橋事件」が起きた日から85年である。
海軍は謀略によって「大山中尉殺害事件」(「大山中尉殺害事件は謀略」が定説となるまでの、笠原十九司名誉教授の論考系譜)を起こしたので「第二次上海事変」として全面的な日中戦争へと拡大した(笠原十九司著「海軍の日中戦争」)。
父は金沢第九師団輜重兵連隊に応召して、9月に上海へ上陸した。母は3月に生まれたばかりの管理人を連れて、蒲田区御園町(現大田区)にある実家で生活をした。
父が輜重兵連隊の戦友たちと宿泊した大阪の民家で。男の子を抱いているのが父である。
母が戦地の父に送った写真である。
管理人が「靖国神社ツアー」のガイドをする時、遊就館展示室10「支那事変」の展示パネルの前では次のような説明をしている。(2020年7月1日より遊就館内の説明は不可となった。)
『日本共産党参議院議員だった吉岡吉典さんは、中国軍が日本軍に発砲したとしても北京議定書(北京と天津にあわせて1771人の守備隊。)に違反して、豊台に駐屯していた支那駐屯軍が「夜間軍事演習」をしていたので、仮に中国軍が発砲したとしても正当防衛であると、著作「日清戦争から盧溝橋事件」で書かれています。』
図録「遊就館」より
しんぶん赤旗より
(了)
豊台駐留は第1次、第2次豊台事件の処理でもって
あっちは認めてる形だからただのテロだよ。
笠原十九司著「日中戦争」(上)から引用しますのでお待ちください。
「第1次、第2次豊台事件の処理」についての文献史資料を教えてください。