昨日のETV特集「隠された毒ガス兵器」の記事中「季刊戦争責任研究」第65号2009年秋季号の論考「毒ガス裁判と毒ガス被害者を支える人々の系譜」をアップしました。第65号は「特集 自衛隊と歴史認識」でしたが、愛知教育大学教授の南守夫さん(故人)の「日本における戦争博物館の復活①ーー戦争博物館の復活状況の概観」が掲載されています。
2008年10月立命館大学平和ミュウジアムで開催された「第6回国際平和博物館会議」分科会に於いて南守夫教授は「国内の平和博物館と戦争博物館」について発言しました。
南教授は、遊就館は勿論戦争博物館であるが、昭和館も千人針や戦時中の生活用品を並べてあるだけで、平和のメッセージがないから戦争博物館だと言われていました。一方、同じく九段下にある戦傷病者史料館しょうけい館は平和博物館であると推奨していました。
発言する南守夫教授
管理人も「靖国神社の平和ガイド」をスライドで報告しました。
「日本における戦争博物館の復活①ーー戦争博物館の復活状況の概観」から抜粋します。
(三)人間の破壊
戦闘行動の本質は、敵の戦力の破壊であり、戦力の中心は武器とそれを作り使う人間であるから、破壊された戦力、すなわち、破壊された人間を示さなければ戦争を展示することは本来不可能である。ところが、日本軍の戦没将兵は展示するが、日本軍が破壊した敵の戦力、その中心である敵国の人間の死は示さないという展示も数多く見られる。敵国の一般市民の殺害はもちろん、自国の一般市民の死を含めて、日本国憲法前文の「政府の行為による戦争の惨禍」を展示しない戦争関係博物館は、戦争の美化につながるものと言わざるをえない。銃後の「国民の労苦」のみを主題として戦場の現実を示さない「昭和館」を戦争博物館に敢えて分類し、人間の破壊を主題とする「しょうけい館」を平和博物館に分類するのはこの理由による。
また、広島と長崎の原爆関係博物館が平和博物館であるのは、自国に限ったものであれ、まさにこの「戦争の惨禍」を克明に人類史的視点を持って展示してきたからに他ならない。さらに、沖縄県平和祈念資料館や大阪国際平和センター(ピースおおさか)、立命館大学国際平和ミユージアムなどは、被害及び加害の両面における「戦争の惨禍」や反戦抵抗運動を示す点で特色があり、反戦博物館の性格をも帯びている。
参考Blog記事「中国人遺棄毒ガス被害問題を支援された野中広務氏のご逝去を悼みます」