葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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東京母親大会の靖国分科会感想文

2009年04月06日 | 歴史探訪<靖国神社>

2008年12月7日に開催された「2008年東京母親大会」の記録集が実行委員会から、送られてきました。管理人が講師をした10月26日の見学分科会「靖国神社と遊就館フィールドワーク」のページをアップします。

 『雨も上がり清々しい日、10時に靖国神社の高さ25mもある大鳥居に集まりました。講師の長谷川順一さんに続いて28人が拝殿への真直ぐな道を他の人々から注目されながら歩きました。
 靖国神社の生まれは、明治天皇が2年に東京招魂社を創建、「忠君愛国の至誠と献身殉国の大節に尽くす」ための神社として、12年に別格官幣靖国神社と改称しました。石碑は戦後、宗教法人になったため「別格官幣」の字がカットされたことが判るものでした。
 陸軍の基礎を築き神社の創設者の大村益次郎の銅像が真ん中に、北海道から持ってきたさざれ石、日清戦争からの戦闘場面のレリーフがある海軍・陸軍の東西にある大灯籠などなど見学。
 たくさんの絵馬が飾られていましたが、そのほとんどは、家族の健康や受験の成功などの願いが書かれていてほっとしました。
 午後1時20分から入り口にゼロ戦がある遊就館に入りました。
 展示室は、戊辰戦争から支那事変まで5室、大東亜戦争(第二次世界大戦)だけで5室と豊富な資料が展示されていました。77年間の戦争の歴史がよく解かりました。
 3時20分から近くのさくら館で交流しました。
 長谷川さんは、父親が30歳で上海に行ったが、8月15日は黙って何かを焼いていた。父が何をしてきたか知りたかったので、このガイドをしている。今まで300回、6000人を案内している。』
 参加者の感想
(1)講師長谷川さんのお話について
★反発心で行きたいと思わなかったが、内容を知ってショックだった。右翼色が強く、異様な神社だが、説明を聞いて、歴史、意味、背景がよく解かった。戦争を美化し、正統化しっつ、国民をだましつづけ、たくさんの人を死に追いやったのは天皇をトップとする、帝国主義だったことを子どもたちに伝えたい。戦争の遺跡として、政府や政治家に利用させないよう私たちの運動を強めたいと思う。
★莫大な内容をポイントを押さえ聞き取りやすく説明してくださった。ありがとうございます。
★一人で来た時右翼色の強い異様な神社と思ったが、今回説明を詳しく聞いて一つ一つの歴史や意味・背景を知ることが出来ました。内容が豊富で少々疲れましたが。靖国の意図が良くわかった。
★詳しく何でも知っているのに驚いた。あまりにも豊富な知識は感動もの。最も信頼できるガイドあっての見学でした。
★初めての遊就館でしたが、軍事博物館としての内容は凄い。靖国派の言い分そのものだった。
★靖国は軍国主義の権化という感じがありましたが、解説を聞いて、平和・戦争遺跡としての視点で見ると色々なことが分かりとても良かった。

(2)靖国神社
★細部におよんで説明も行き届き、かなり靖国がクリアになりました。
★反発心もあり、鳥居をくぐる気もしなかったが、今回始めてきました。広い敷地、見学者も参拝者も多く、どういう考えで来ているのかと思ったが、絵馬を見て普通の神社と変わりなくほっとしました。百聞は一見にしかずで来て良かった。
★すべて天皇あってのものだということが良くわかった。単純に戦没者を慰霊する気持ちで来る人も多い中で、政府や政治家に利用させないように私たちの運動を強めなければと思った。
★富国強兵、国体護持のためにいかに国・政府あげて天皇を中心とした日本国を創ろうとしたかを学んだ。
★大きな鳥居、広くきれいな境内にびっくり。初めて入った。
★「招魂」という考えを聞き、どのようにして英霊が創られたかなどたくさんの疑問も解けたように思う。
★将来は、日本の世界の平和祈念館として全世界に解放できたらいいと思った。
★レリーフの説明、絵馬の説明良かった。絵馬に書いてある文字は、戦争賛歌や賛美でなく普通に平和のために活用されていてほっとした。
★見学者の感想文展示のとてろでは、英霊賛美のものが目立った。平和の視点を持って解説を問いて見学しないと危険だなと思った。教育の重要性をひしひしと実感しました。

(3)遊就館
★こうゆう展示館があることを初めて知った。戦争はいちばんの人権侵害だ。
★歴史をねじ曲げず真実を伝えてほしい、若い人たちだって真実を知る権利はある。
★個人は皆真面目に真剣に生きたと思うが、それを利用した力が恐ろしい。神社と戦争がどうして結び付いているのか不思議だったが、靖国が出来たときから天皇と戦死者が結びついた神社だとよくわかった。
★銃剣など現物を見られてよかった。遺書には「無念」など書くことは出来なかったけど、その思いが伝わってきた。
★戦争を美化し、正当化し、国民を騙し続けた戦争の歴史を、短時間ながら学べた。九条守る運動をもっと広げなければと思った。
★沢山の人々の死の上に今の私たちがいる。その沢山の人たちを死に追いやったのは天皇をトップとする帝国主義だったと言うこと。子どもたちにしっかり伝えていきたい。九条があることで戦争は知らないが、これを誇りに思う。
★母の長兄が戦死しているので毎年お参りに来ていた。平和の問題と、遺族の感情と諸々で靖国問題は難しい。それにしても日本の物理的力量から言っても無謀な戦争をしたものだ。
★第二次世界大戦の学習の糸口をつかんだ。伯父さんが沖縄・フィリピンで戦死しているのでもっと調べてみたい。もう一度来ます。

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