友人の川口重雄さんからのメールを転載します。3月30日第1信並びに31日第2信と第5信です。
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各位 3月30日〔BCC、本日第1信〕
お早うございます。
3月28日(土)・29日(日)首都圏は小池東京都知事が呼びかけて、神奈川・千葉・埼玉・山梨各県知事が同調した外出自粛「要請」で、あっちもこっちも閑散としていました。
3月28日は、ヒューマントラスト渋谷で、映画を2本観ました。
『ナイチンゲール』(ジェニファー・ケント監督、2018年豪・加・米合作映画)19世紀イギリス植民地時代の「監獄島」タスマニアが舞台の映画です。
『ミッド・サマー』(2019年アリ・アスター監督、米・スウェーデン合作映画)スウェーデンの白夜の地で開かれた「90年に一度の祝祭」で繰り広げられたこと。
いずれも観客は15人ほど。
午後6時前に映画館を出た渋谷の街は、表情のない街でした。
友人から届いた情報です。
つとめ先の学校の中等部社会科・歴史の教科書は学び舎版。
口惜しそうに『産経新聞』が検定結果を書いています。
それでは。川口重雄拝
追伸:昨日は雪の止んだ地元・新丸子のトンカツ屋さんで友人と濃厚接触。
-----Original Message-----
従軍慰安婦」「南京事件」自虐記述は適切か 皇室表現に疑問も(産経)200324
https://www.sankei.com/life/news/200324/lif2003240041-n1.html
24日に検定結果が公表された中学校の教科書(令和3年度から使用)で、社会科では「従軍慰安婦」の呼称が復活したほか、「南京事件」などについて自国の近現代史をことさら悪く描く記述が一部でみられた。天皇の役割についても「国民全体でコントロールする」と、一般的な国民感情とはそぐわない記述もあったが、いずれも検定意見はつかなかった。新学習指導要領で自国の歴史や文化への愛情を深めることが求められる中、自虐色が強く、天皇への敬意に欠けた記述は適切なのか。
「銃剣を持った日本兵が家に侵入してきました。逃げようとした父は撃たれ、母と乳飲み児だった妹も殺されました。祖父と祖母はピストルで、15歳と13歳だった姉は暴行されて殺されました。私と4歳の妹は、こわくて泣き叫びました。銃剣で3カ所刺されて、私は気を失いました…」。合格した学び舎の歴史教科書に掲載された南京事件をめぐるコラムの描写だ。
犠牲者数などで論争が続く南京事件については全社が取り上げ、東京書籍や日本文教出版などは「(日本軍が)捕虜のほか、女性や子どもを含む多数の住民を殺害」などと、より踏み込んで書いている。
学び舎の教科書には他にも日本軍の冷酷さを強調する記述が少なくない。その一方、中国共産党の八路(はちろ)軍の活躍をコラムで取り上げたり、朝鮮半島で1919年に起きた三・一独立運動を朝鮮側の視点で書いたりする記述もあった。
「従軍慰安婦」については平成7年度の検定で全社が取り上げたものの、呼称に対する疑問や生徒の発達段階に配慮していないとの批判が噴出し、16年度検定からは慰安婦そのものを全社が扱わなくなった経緯がある。しかし、前回の26年度検定で学び舎が「慰安婦」の表記で記述。今回は山川出版が「いわゆる従軍慰安婦」と記述した。
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各位 3月31日〔BCC、本日第2信〕
高嶋道さんから、3月25日に朝刊各紙が報じた中学校教科書検定の記事からです。
添付の資料もご提供いただきました。
『東京新聞』3月25日号は技術家庭の教科書の大幅改定に紙面を割いていました。
文部省予算で中学生1人に1台PC(クロムブック)を持たせる―コロナウイルス禍で自粛休校中にも授業配信が可能だと、与党文教族は勇ましいです。
まさに焼け太り。
それを進めるためにも技術家庭の時間にPC教育を。
ベネッセはじめ教育予算に群がるやからには、おいしい話です。
それでは。川口重雄拝
Sent: Monday, March 30, 2020 11:45 AM
Subject:
今年の教科書検定報道は、新型コロナウィルスとオリンピック延期問題で、吹っ飛んだ感があります。
学習指導要領の改訂に伴い、四年間使用する教科書は大きな問題だと思います。
新聞各社は、従来は一面の掲載をはじめとして扱いは大きかったのですが、今回は小さく、予定稿とは随分違ったのではないかと想像しました。
産経新聞はすでに電子版をお読みですが、25日の紙面を添付しました。
これには南京虐殺について一覧表がでているからです。。
こだわりがよく分かります。「慰安婦」と、南京虐殺、天皇制などです。
なお不合格になった自由社が文科省への抗議した記事もご覧ください。
ご覧になっていると思いますが、東京新聞は25日の報道解禁日は関係記事が見当たらず、26日の第二社会面に掲載されたのは添付の記事でした。
他社の触れてない視点が記されていて重要でしたが、歴史教科書の記事はありませんでした。
これも既読されていると思いますので、余計なことと思いますが、、念のため、お送りします。
各社、今後いずれ何らかで触れるかも知れませんので、教育欄など注意したいと思います。
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各位 3月31日〔BCC、本日第5信〕
友人から届いた情報です。
昨日・今日(本日第2信の高嶋道さんからの情報)お送りした教科書検定についての分析記事です。
それでは。川口重雄拝
-----Original Message-----
教科書に国民全員が関心を持ち続ける事の重要性(economic)200329http://economic.jp/?p=88563
文科省が来年4月から中学校で使う「教科書」の検定結果を24日公表した。社会科の歴史教科書に「南京事件」「従軍慰安婦」といった記述があり、客観性の高い内容になっている。大学教授らでつくる文科大臣の諮問機関「教科書検定審議会」が政治介入のない環境が一定機能したといえよう。
特に教科書の歴史記述における客観性は重要だ。南京事件などの記述に自虐的とする声もあるが、誤った行為における反省の上に立ってこそ、成長はある。国家が都合のいいように史実を歪めたり、特定思想の形成に利用したりすることはあってはならない。
今回、不合格となったが、新しい歴史教科書をつくる会が進める自由社の皇室に関わる部分、仁徳天皇に関する記述では「日本の皇室は神話の時代から現代まで続く」とあり、検定では『神話を史実と誤解する』と指摘。「仁徳天皇は世界一の古墳に祀られている」との記述には『表現が一般的でない』とした。
「祀る」という表現は精神性や宗教色が強い表現で、宗教法人や信者が自ら崇敬する神社や寺院に対し、祭主を表現するのには問題ないが、教科書における古墳紹介では「被葬者」が誰かに過ぎない。感情の入らない客観的な事実のみを表現した記述こそが大切だ。
検定にパスした教科書では従軍慰安婦について「戦地に設けられた『慰安施設』には朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)」(山川出版)との表記が認可された。
南京事件では「首都の南京で占領し、その過程で、女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました」(東京書)、「占領した首都の南京では捕虜や住民を巻き込んで多数の死傷者を出しました」(教育出版)などのほか、リアルな描写の囲みも認定された。
学び舎の囲み資料は当時8歳だった夏淑琴(シアスーチン)さんが目の前で起きたことをそのまま描写したもので、「昼近くに銃剣を持った日本兵が家に侵入してきました。逃げようとした父は撃たれ、母と乳飲み児だった妹も殺されました。祖父と祖母はピストルで、15歳と13歳だった姉は暴行されて殺されました。私と4歳の妹はこわくて泣き叫びました。銃剣で3か所刺されて、私は気を失いました。気がついたとき、妹は母を呼びながら泣いていました。家族が殺されてしまった家で、何日間も妹と二人で過ごしました」と記載している。
衝撃的な描写だが、日本が歴史の中の一時期、自国の都合で中国など周辺国に侵略戦争を行った歴史的な過ちを犯し、その反省の上に立っ、現在の平和憲法(憲法9条、戦争の放棄)を保有することとなったことを認識することにもつながり、重要な資料提供といえよう。
今回の検定結果に不満を抱く「歴史修正主義」勢力は検定の在り方に不満を抱き、見直しを求めるかもしれない。しかし、教育基本法16条(教育は不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は=中略=公正かつ適正に行われなければならない)ことを順守すること、教育行政、教科書に対して国民全員が関心を持ち続けることが重要だ。
今回の検定が完璧ということもない。東京新聞が「公民教科書」についてとりあげたどこかの教科書の記述に対する指摘でも一端がわかる。それによると「二大政党制」をめぐる記述で、当初の表記を修正したと伝える修正後の文言でも「自由民主党以外に安定的に政権を担うことができる政党が形成されなかった」と自民党を評価する記述といえそうな表現になっている。これはさすがに問題記述だ。元文部科学事務次官の前川喜平現代教育行政研究会代表は「こんな検定、やったらだめ」とツイッターで駄目出しした。
こうした点でも教科書には関心を寄せ続けることが大事。5月からは検定修正過程がわかる資料が東京、高知、岐阜、北海道、宮崎、和歌山、茨城の図書館などで公開される。詳しくは文部科学省HPに告知されている。(編集担当:森高龍二)
あの日、私は一度死んだ 渡嘉敷島「集団自決」75年 父に首絞められ(琉球新報)200329
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1098028.html
【渡嘉敷】1945年3月28日、沖縄戦時に渡嘉敷島で「集団自決」(強制集団死)が起きた。この日、渡嘉敷村の金城鶴子さん(91)=当時15歳、旧姓内原=は北山(にしやま)で「天皇陛下、万歳」の声を聞いた。その直後、背後から首を絞められ気絶。
目を覚ました時、家族は死んでいた。生き残った金城さん。再び「戦争に近づいている」と感じるようになり、メディアに初めて体験を語った。
金城さん一家は23日の空襲で大見謝山にある壕に避難していたが、警察官の指示で大雨の中、阿波連集落から北山へ向かった。27日夜中に到着。雨と寒さをしのぐために寄り添い合って眠った。
28日昼すぎ、すぐ近くで「天皇陛下、万歳」の声が上がり次第に大きくなった。「日本が勝ったんだ」。一緒になって「万歳」を唱えた。その直後、タオルで首を絞められた。
次に目覚めた時には、そばに母と姉2人の死体が並べられ、父親は首をつって死んでいた。後に聞いた話によると「万歳」は「集団自決」を覚悟した人たちの声だったという。「父は家族を並べて最後に首をつったんだろう。あの日、私は一度死んだ」。金城さんは父親に首を絞められたようだった。
「米軍に見つかったら何をされるか分からない」。7カ月のおいを背負って逃げた。米軍の通訳をしていた男性に「米軍は誰も殺さないからおいで」と言われ、「どうせ死ぬ」と諦めてついて行った。座間味島へ集められ、復興作業を手伝い配給を得た。
3カ月がたった頃、寂しさに襲われ始めた。配給のおにぎりは、空腹でも全部は食べられなかった。「おなかすいていたよね」。父の分、母の分、姉の分―と、おにぎりを分けて置き、残りを食べた。「寂しくて何度も死のうと思った」
戦後75年。「辺野古に基地を造る話など、穏やかではない。地獄だった戦を忘れてはならない」。握った拳に力が入った。(嘉数陽)
夏淑琴さん(撮影管理人)