阪急旅行社「能登周遊10景めぐり3日間」三日目は、ホテルを9時に出てから「のと鉄道能登中島駅」です。
「鉄道開業150周年記念」の中で、中曽根民活路線による最悪の国鉄民営化によって地方鉄道は赤字路線になりました。SL列車を走らせている大井川鉄道や秩父鉄道等は、観光事業に力を入れています。今回の旅行に参加した一番の目的が観光事業としての「のと鉄道」の列車に乗車できることでした。
能登中島駅待合室で、ガイドから「のと鉄道の由来」、「能登演劇堂での無名塾」、「国内にわずか二両の鉄道郵便車」を説明を受けました。
「のと鉄道特別記念乗車証」と駅窓口で購入した「普通入場券」です。穴水駅には「鉄道の日 2022・10・14」と押印した「普通入場券」を依頼してあります。
能登中島駅
池袋サンシャインで上演した、無名塾「どん底」のポスターです。(サーチン役の仲代達也)
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<文字起こし>
のと鉄道 能登中島駅構内に保存されている
鉄道郵便車「オユ10 2565」
現代の郵便物は大半が、自動車や航空機で輸送されていますが、かつては鉄道が輸送の主役でした。
わが国最初の鉄道が明治5年に品川・横浜間で開業したとき、車内に郵便物を積み込んだのが、 鉄道郵便輸送の始まりで、鉄道路線の開業ごとに輸送区間も広がリました。
戦時中の混乱をのりこえながら、経済の復興、高度成長と共に増え続ける郵便物を運び、 昭和61年に廃止されるまでの114年間、日本国有鉄道(現在のJR)や一部私鉄の路線を 鉄道郵便車が走りながら、全国津々浦々に郵便物を届けていました。
郵便車には鉄道郵便局に所属する郵政の乗務員が乗り、ただ郵便物を運ぶだけでなく、車内の設備を使って区分作業をしながら沿線の駅で積み降ろしをしたことから「走る郵便局」とも 呼ばれました。
鉄道郵便車オユ10形式は、旧郵政省が保有した昭和時代後期を代表する形式で、昭和32年 から昭和46年までの間、総数72両が製造されました。
「オユ10 2565」は主に東京と北海道間の郵便輸送に活躍していました。
同形式の大半が昭和61年の鉄道郵便輸送の廃止を待たずに昭和59年頃までに廃車された中で奇跡的に生き残り、石川県の第三セクター「のと鉄道」に譲渡され、旧能登線甲駅(石川県穴水町)にて保存軍両となりました。
平成10年には「ふるさと鉄道保存協会(鉄道郵便車保存会に改称)」がのと鉄道より譲渡を受け、車体補修をしながら公開イベントを開始し保存活動が始まりました。
車内は走行中に郵便物の区分作業を行う作業室と郵袋室があり、郵便車乗務員による車内作業の再現をしています。
平成16年11月 能登中島駅(石川県七尾市)に移転のため18年ぶりに線路上を走行。
平成25年6~9月 穴水駅車庫にて外装の全面塗装を実施。
平成27年4月 車内見学用のスロープをホー厶に設置。旧3番線から引込線に保存場所移動。
4月29日に運行開始した観光列車「のと里山里海号」の見学スポットとなる。
平成30年 保存活動開始20周年。
これまでの活動と今後のイベント予定はホームページをご覧下さい。
★鉄道郵便車保存会ホームページ http://oyu1 0.web.fc2.com/
★お問い合わせ先メールアドレス burnpost102565@yahoo.co.jp
[2020.11]
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貴重な鉄道歴史遺産です。
仕分け棚は、車体の振動で郵便物が落ちないように傾斜している。
和倉駅方面。
穴水駅方面。
走行中にシャッターを押してもらいました。
穴水駅
「のと里山里海号」土日祝日のみ運行している観光列車。
>阪急旅行社「能登周遊10景めぐり3日間」三日目「輪島朝市」、「白米千枚田」、「すず塩田村」、「能登ワイン」<に続く。
全国に二両しかない鉄道郵便車(オユ10)
国立市郵便大学校で「鉄道郵便車」を見学①
国立市郵便大学校で「鉄道郵便車」を見学②
国立市郵便大学校で「鉄道郵便車」を見学③