葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

葵から菊へ そして「**」へ

2012年02月23日 | 管理人のこと

 管理人は『 天皇の手術に関連した記事をブログにエントリーしました。』と知人友人にメールをしたところ、ある友人から次のようなレスポンスがあった。

『「葵から菊へ」の「菊」で留まっている「ブログの銘」が気になります。「葵から菊へそして** へ」にはならないでしょうか。「**」へ民衆の「花」を先取りしてもらえませんか。民衆はとっくの昔から「菊」は「残菊」あつかいしていますが、菊を再び生き返らせようと懸命に暗躍していた輩が、このところ公に活動し始めていますから。』

 管理人も「**」に花を考えたことがあり、「桜」が良いと思ったが陸上自衛隊制帽の徽章となっているので止めた。08年12月11日に、ブログのタイトルを「葵から菊を訪ねて」を「葵から菊へそして今みどり」と変更した。しかし、ブログタイトル名を印刷した名刺を渡して、初対面の方に説明するときには、タイトルはできるだけ簡単な方が良いことに気づき「葵から菊へ」と再度変更した。

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防衛省市ヶ谷記念館一階に展示されている旧一号館時計台下の徽章

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旧一号館の写真

 新宿平和委員会が2000年7月7日に発行したブックレットは「葵から菊へ 軍都新宿の歴史を訪ねる」(絶版)であった。その後、靖国神社ガイドブックは「葵から菊へ 20世紀の戦争遺跡から21世紀の平和を学ぶ」としてきた。管理人の投稿記事から「菊」を容認しない姿勢を訪問者には理解してもらえると信じ、このままのタイトルで行こうと考えている。

 08年12月11日タイトル変更時のコメント

 京都から東京に遷都された後は、徳川御三家の大名屋敷跡地に軍事施設が設置されました。「葵から菊を訪ねて」はその東京戦跡を訪ねることをテーマにしていましたが、戦後は平和憲法の下でその軍事施設が公園や公営住宅、学校、病院などになり平和な施設になった実態も説明していますので「今みどり」を追加しました。例外は市ヶ谷台の陸軍士官学校、陸軍省、大本営陸軍部、参謀本部が防衛省・自衛隊となっていることです。日本版ペンタゴンとして日米軍事同盟の中枢を担っています。

尾張徳川家上屋敷防衛省・自衛隊、日本学生支援機構、警視庁第五機動隊、総務省情報衛星センター、「ザ・センター東京」超高層マンションなど)

同中屋敷(東京女子医科大学と付属病院、東京韓国学園、都営若松住宅など)

同下屋敷(国立国際医療研究センター、国立感染症研究所、都営住宅戸山ハイツ、学習院女子大学、都立戸山公園、都立戸山高校など)

水戸徳川家屋敷(東京ドーム、都立小石川後楽園、日中友好会館、トヨタ東京本社ビル、文京区役所、東京都慰霊堂、中央大学後楽園キャンパス、東京メトロ丸ノ内線後楽園駅など)

紀州徳川家屋敷(青山御所、迎賓館、学習院初等科、ホテルニューオオタニなど)

安家・清水家屋敷(北の丸公園、武道館、国立近代美術館、国立公文書館など)

一橋家屋敷(気象庁、東京消防庁など)

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2 コメント

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 尾張徳川家中屋敷は(東京女子医科大学と付属病... (Yang Yukui)
2012-06-22 16:28:58
 尾張徳川家中屋敷は(東京女子医科大学と付属病院、東京韓国学園、都営若松住宅など)ではありません!今上智大学キャンバスの所です。後、他にもいくつかの間違いがあります。きちんと調べてから書いた方が良いでしょう。
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上智大学付近が尾張家屋敷跡だったことは承知して... (管理人)
2012-06-22 20:04:20
上智大学付近が尾張家屋敷跡だったことは承知しています。
紀伊家、尾張家、井伊家があったので「紀尾井町」となりました。
地図の出展は新宿区教育委員会発行:「地図で見る新宿区の移り変わり」です。
できる限り正確を期していますが、もし間違っている箇所、文があればご指摘下さい。
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