『ビデオ「本土初空襲の犠牲者」早稲田中学校生徒』をブログにアップしたことを、メル友約100人にメールをしたところ、「国民学校一年生の会」と「ばけだす」(大阪大学新制6回化学科卒業生の会)で、二回も管理人の靖国神社ガイドを聞いて頂いた岩本哲さんから、神戸市を空襲したB25を見ていたとのメールを頂きました。
『Doolittle 中佐がこの空襲の指揮官でして、彼はこの空襲で二階級特進し、日本敗戦時には中将になっていました。特進し、日本敗戦時には中将になっていました。この空襲のB25は東京、横浜、川崎、横須賀、名古屋、神戸市、新潟方面を空襲し、すべて大陸に逃走し、名古屋を空襲した1機のみが運悪く中国大陸の日本軍占領地に落下傘で降下しまして、その後に大変な運命に成りました。それ以外は全員無事降下して、中国人に大歓迎され、無事祖国に生還しました。
神戸に飛来した1機を私はこの日母親と妹三人で見ており、「あの飛行機 敵機か友軍機か」と考えている間に機影は芦屋、神戸に消え、そこで爆弾を落として、中国へ飛び去りました。あくる日になって敵機であることが判明し、腰を抜かせました。東京でも空襲警報が鳴ったときには、もう退去していたという話でした。
名古屋を空襲した1機の搭乗員が前述のように、日本管理下の中国に降下して、忽ち日本兵に逮捕され、軍法会議にかけられ、全員死刑判決を受けたが、下っ端だけは天皇の恩赦で終身刑になりましたが、3人は刑死しました。』
岩本さんが開設されている二つのホームページをご紹介します。
「第二次世界大戦の引き金」「1942年(昭和17年)4月18日の日本初空襲のドーリットル隊長、デシェーザー爆撃手と1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃の淵田総司令官」