◇ナチス・ドイツ降伏後の1945年7月17日~8月2日、ドイツベルリン郊外のポツダムに、米国、英国、ソ連の3カ国の首脳が集まって行われた、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談が行われました。(ポツダム会談)
◇7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行されました。翌日には原子爆弾実験の成功が伝えられ、トルーマン大統領は「ロシアがやってくる前に日本はつぶれる」と、ソ連の力を借りずに日本を降伏させる方針に転換しました。7月25日、トルーマンが原子爆弾投下の指令を承認し、ハンディ陸軍参謀総長代行からスパーツ陸軍戦略航空隊総指揮官あてに原子爆弾投下が指令されました。ここで「広島・小倉・新潟・長崎のいずれかの都市に8月3日ごろ以降の目視爆撃可能な天候の日に「特殊爆弾」を投下する」とされました。
◇7月26日、米国、英国、中華民国が共同宣言を発表します。
◇総理大臣鈴木貫太郎は「ポツダム宣言」黙殺と発言します。
歴史に「もし」があったなら「黙殺」ではなく、受諾を検討していると連合国側に通告をしていたならば、トルーマンは原爆投下の指令を延期又は取り消しと変更したかも知れません。
しかし日本政府は、近衛文麿を特使としてモスクワに派遣する計画を立てて、ソ連に和平工作の仲介に力を注いでいました。
トルーマン大統領の指令は実行され、6日広島市に人類初めての原子爆弾が投下されてしまいました。
9日には長崎市に原爆が投下されましたが、9日午前0時ソ連は滿州、樺太に侵攻したのです。ソ連のスターリン書記長は、ヤルタ秘密協定でルーズベルト大統領とドイツが降伏してから三ヶ月後に日本へ参戦するとの約束を果たしたと嘯いていますが、広島市への原爆投下によって日本がアメリカの単独占領になることを我慢がならず、更には中国東北部(滿州)、朝鮮半島、樺太、千島列島への覇権を考えていたのです。米・ソの「冷たい戦争」の始まりでもありました。
『もしソ連参戦がなかったならば、日本の戦争指導者とくに軍部は、広島・長崎への原爆投下にもかかわらず、なお抗戦を継続した可能性が大きかった。その場合、トルーマンは8月21日頃に「第三の原爆を東京、新潟、小倉のいずれかに投下するよう命じた」と推測されている。』(江口圭一著・十五年戦争小史250頁)
日本政府は、ソ連参戦によって和平工作の夢は砕かれ、ポツダム宣言受諾もやむなしと10日、御文庫附属室で御前会議を開き、条件付きで受諾を決定しました。条件とは「天皇の国家統治の大権を変更するとの要求を包括し居らざることの了解の下に」です。
管理人は(ocnブログ人)2010年07月24日 にエントリーしましたが、昨日の宮内庁が公開した「玉音盤原盤と御文庫附属室」に関連するので再録します。
「市ヶ谷台史料」から、ポツダム宣言と天皇に関する情報電報
これを読むと、連合国側は昭和天皇の戦争責任について厳しい見解があったことが良く分かります。だからこそ今上天皇が、現在の憲法(象徴天皇条項)は「知日派」のお陰と述べている意味がここから見えてきます。
電報 昭和二十年八月一〇日
次長宛
「ベルン」瑞西公使館附武官
第三百六十一號
情勢報七日補足
先般來對共同宣言ニ關スル各方面ノ論案中畏レ多クモ天皇ノ御身分ニ關シ云々スル者多キヲ以テ之ヲ一應電約ス
一、英國一般ノ意見ハ天皇ハ神聖ナル存在ニシテ且信仰ノ中心ナルヲ以テ他ノ戦争責任者ノ如ク取扱フベキニアラザルキ其ノ取扱ヲ誤ラバ日本國民ヲシテ愈〃熱狂的タラシメ一種ノ宗教的戰爭トナル長期抵抗アルベシ 然レドモ天皇ハ國内安定治安維持ノ忠タルト共ニ降伏後政治的缺陥ニ基ク混亂ヲ避ケ且發生ヲ豫想セラルル獨裁者ヲ豫防スル爲絶對ニ權力ヲ保持セルレ給フヲ以テ是非存續ノ必要アリ
又米國ニ於テモ右ノ英國流意見ノ外後述支那流意見存ス
二、「トルーマン」ハ諸方面ヨリ檢討シテ結局天皇ノ御命令ヲ認メ日本ヲシテ武器ヲ放棄セシメ得ルヲ期待スルト共ニ他方天皇中心トシテ軍閥ニ反抗ノ結果國民運動ガ國内ニ於テ蜂起スルヲ期待スルモノ如シ是ヲ以テ米國與論ハ此ノ中間ニ在リテ日本ガ天皇御安泰ニ在リセバ自ラ積極的意思表示ヲ可トスベリ
(例ヘバ)之ニ依リ降伏後ト雖モ天皇ヲ上ニ戴ク「チャンス」アリ米國政府ハ公式ニハ現在迄確定的意見ノ發表ナシ
尚從來英國流ノ意見ヲ有シアリシ華府「ポスト」新聞ガ反對意見ニ轉向セルハ注目ヲ要ス
三、支那側ノ意見ハ即チ天皇統帥權獨立ノ問題ヨリ天皇ハ軍閥中心タルノミナラズ軍閥ノ虜トナリ如何ニ平和ヲ保障スルキ「デモクラシー」ノ援助ト協同ハ不可能ナルベシ
従ツテ其ノ絶對神聖ナル存在ハ此ノ場合却ツテ害アリ之ヲ例ヘバ天皇國ノ日本ハ「ヒットラー」ヲ頭首トスル「ナチス」獨逸ニ外ナラズ極端者ハ戦争責任者ノ範疇ニ入ルル者アリ
四、佛國ハ慨ネ支那流ノ意見ニ近シ之ヲ要スルニ共同宣言ニ於テ此ノ問題ガ取扱ハレザリシハ一部見解ノ相違ニ基クト觀ラルベシ
受電綴其二
(防衛省防衛研究所戦史室図書館に於いて 04.8.17ペン書き原文を管理人がメモ書き複写。ワープロで上記の文書にしたもの。敗戦時に市ヶ谷台にあった大本営陸軍部、陸軍省の機密資料を焼却しましたが、防衛庁移転にあたり埋蔵文化財包蔵地として、埋蔵文化財調査時に、地中から焼却されずに発見された書類が「市ヶ谷台史料」として公開されています。)
昨日の東京新聞「玉音放送 原盤公開 平和の尊さ 確認」に靖国神社ガイドをしている東海林次男さん(元中学校教諭)が、次のようなコメントを載せていました。
「都内で歴史教育に携わる教員やOBでつくる東京都歴史教育者協議会の会長で、公立中学校の非常勤教員を務める東海林(とうかいりん)次男さん(64)は『中学の授業時間は短く、太平洋戦争を五時限ぐらいで終わらせないと教科書全体を教えられない。その意味では、良い教材になる。例えば、当時の国民が使っていた簡素な防空壕と付属庫を比べ、戦前の天皇はどのような地位だったかを考える足掛かりとしたり、玉音放送の内容を生徒同士で議論するといった使い方が考えられるという。「過去の日本の過ちを認めない歴史教科書が出る中で、一次資料に触れることは重要だ。』」
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