「11歳の時、奥日光の学童疎開先で父昭和天皇の玉音放送を聞きました。15歳の誕生日に戦争責任者だった父昭和天皇の身代わりとして7人の戦犯が絞首刑になりました。」「この辛い体験があったらこそ、二度と戦争をしてはならないと、新年にあたっての挨拶で、満州事変からの歴史を学んで欲しいと国民に訴えたのに、総理大臣である貴方は、私の気持ちをちっとも分かろうとしませんね。安保法案は、廃案にしなさいとの『聖断』を下したい位の心境ですよ。」
戦後70年に合わせ、皇居内に作られた防空壕の「御文庫付属庫」の写真や「終戦の詔書」の玉音放送の原盤レコードと音声が1日、公開されました。付属庫は、ポツダム宣言の受諾を決めた御前会議が開かれた場所。玉音放送は昭和天皇が自ら戦争の終結を国民に告げたラジオ放送。ともに歴史の転換点を伝える資料ですが、宮内庁は今上天皇からのご指示で公開に踏み切ったと思っています。
宮内庁ホームページ「当庁が管理する先の大戦関係の資料について」
ポツダム宣言受諾にあたっては軍部とりわけ陸軍の抵抗が強かったと聞いています。その核心が「国体護持」、要するに天皇制の維持だったとのことです。確かに国内を見ても多くは敗れた勢力の長には「自死か死刑」あるいは追放しかありませんでしたね。いずれにしてもすべてを失うのが常でした。今上天皇にとって安倍政権の動きは「戦勝国の寛大な措置を」蹴飛ばすように感じたのでは
「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
誕生日のお言葉ですが、グルー駐日大使のことを知日派と言っているのでしょう。昭和天皇自身もマッカーサーも知日派だったから天皇制を存続させてくれたと感謝していたのでしょう。
昨晩の下村宏総裁のドラマを見ました。さすがにNHKですね。宮内庁の発表に合わせたと感じました。