管理人は金沢市長に下記の文書を郵送した。
…………〈ここから原文〉………………
金沢市長山野之義殿
2013年8月2日
新宿区議会議員待遇者 長谷川順一
東京都新宿区歌舞伎町1-4-1新宿役所6F新宿区議会待遇者控室
冠省
私は在沢中の2011年6月7日並びに2012年3月17日の二回「北陸新幹線金沢駅開業」についてご提案の文書を差上げてきました。
7月26日に金沢市は「新幹線開業プロモーション・イベント実施計画」を発表いたしました。読んでみましたところ〈(4) 首都圏PRイベント等の開催〉〈 金沢学講座の開催 時期 / 平成25年度 板橋区と連携し、金沢のまちづくりや金沢の魅力などを紹介する講座を開催し、首都圏の金沢ファンを増やす。〉と相変わらず板橋区と連携するだけですね。東京が持っているポテンシャルを全然理解していないことに呆れてしまいました。
泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星は「金沢の三文豪」と云われていますが、鏡花生誕140年に因んで下新町と神楽坂の交流が始まりました。2011年正月「金沢五社めぐり」の帰途、同町“上林金沢茶舗"に寄ったことを切っ掛けに「こまちなみマップ」と「神楽坂商店会マップ」を双方に配り、又東京理科大学敷地内に鏡花の説明板を建立してもらったことなどから実現の運びとなりました。(7月3日並びに9日の北國新聞記事とコラムに紹介)。新宿区立新宿歴史博物館は、11月から常設展示室に「牛込華街讀本」など鏡花に関する収蔵品を展示することになりました。
室生犀星記念館の学芸員に電話で尋ねたところ、犀星は大田区馬込の文士村に住んでいたことが分かりました。(よって大田区長も招待を)
徳田秋聲記念館の学芸員からは質問メールにレスポンスがありました。
(Q1)徳田秋聲は上京して尾崎紅葉の弟子になったときの下宿の住所はどこですか。孫が住んでいるという森川町一番地の現在の住居表示は。
(A1)明治28年1月に上京した秋聲は、4月に博文館という出版社に入社します。6月、紅葉門下に入門が許された頃には、博文館の編集室に寝起きしていたようです。日本橋区本町三丁目(現・中央区日本橋本町)の社屋です。紅葉門下生となったのち、博文館を退社し、神田錦町、牛込箪笥町、牛込区筑土八幡前柿ノ木横丁、本郷区向ケ岡弥生町三トノ十一、小石川区小石川表町百八番地(現・文京区小石川3丁目)、本郷区森川町一番地(清水橋付近)、小石川区富坂と転居を繰り返し、明治39年4月、妻子とともに現存する旧宅・本郷区森川町一番地(後、一二四番地/現・文京区本郷6-〇-〇)へ転居、その家で生涯を閉じます。(八木書店版『徳田秋聲全集』別巻年譜、秋聲自伝小説『光を追うて』参照)【注】新宿区立新宿歴史博物館学芸員の調査によると「牛込箪笥町」「牛込筑土八幡町」「揚場町と下宮比町にかけて柿ノ木横丁」があった。
(Q2)作品の中に東京のことが書かれている作品名は何ですか。
(A2)ほとんどが東京を舞台にしていると言ってもよいように思われます。
旅行先、故郷・金沢でのことももちろん書いてはいますが、25歳で上京して73歳で亡くなるまで東京暮らしをしていますので、代表作のほとんどが東京に暮らす人々の生活を描いています。
(Q3)泉鏡花の作品中、日清・日露戦争や軍人を題材にした作品は「予備兵」「海城の餘波」「琵琶傳」「海城發電」「勝手口」「凱旋祭」「きぬぎぬ川」「軍人の留守宅見舞の文」「外國軍事通信員」「柳小島」と10作ありますが、秋聲は如何でしょうか。
(A3)明治37年、日露戦争の頃に「出征」「通訳官」といった中編小説を書いていますが、その他、あまり見当たりません。短編小説「躯(からだ)」(明治45年)、「戦時風景」(昭和12年)、長編「縮図」(昭和16年)などにも少しその雰囲気がありますが、いずれも戦地でなく残された者に焦点を当てています。
秋聲のお孫さんが、現在も生活してる文京区本郷6丁目は、前田家上屋敷跡東京大学キャンパスの目の前です!。(鈴木大拙が学び、その後講師を務めた東京帝國大學です。)前田家下屋敷があった板橋区だけではなく、文京区と都市間交流があってしかるべきだったと考えます。 秋聲のお孫さんを始め、鏡花、犀星の縁故者を金沢百万石まつりと金沢駅開業記念イベントに招待したならば「文化と歴史の金沢」に華を添えること間違い無しでしょう。キャッチコピーは『「金沢の三文豪」泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星が北陸新幹線に乗ってくる』でしょう。
もう一点ご提案があります。『参勤交代ウォークラリー』です。
ご承知のように前田利長の母芳春院が人質になって江戸屋敷に行くことになりました。以後大名の奥方を江戸に置くことになった「参勤交代と大名行列」制度の下ごしらえを加賀藩がしたと言われています。そこで、金澤城を出発して、終点を前田家上屋敷跡の東京大学とする「参勤交代ウォークラリー」は如何でしょうか。
①出発点 金澤城大手門 到着点 東京大学本郷キャンパス正門
②交流都市である宇都宮市と板橋区の他、北陸道・中山道の宿場町であった市町村に協力を要請し、「金沢の日」としてもらう。
③参加者は、市長、市議会議長・市議、公募参加の石川県民・金沢市民、大学生、高校生、中学生と一般の自由参加者。
④東京大学本郷キャンパス正門の手前数百メートルからは、金沢市ゆかりの著名なスポーツ選手や文化人、俳優、歌手、タレント等が参加した“パレード"として東京都民にアッピールする。
⑤時期は大学生、高校生、中学生が参加しやすい夏休みか春休みとする。
⑥参加者には、皇居東御苑(江戸城と加賀藩が修築した天守台)を見学してもらう。
北陸中日新聞に「えんじょもんの金沢論」(金沢弁・遠所者…遠くからきた人、よそ者)というコラム連載がありましたが、「金沢人二世」の“えんじょもん"だからこそ、金沢の良さを客観的にご提案できると考えています。以前の二回と今回の提言を是非ご検討頂ければ幸甚です。
草々