日本中国友好協会東京都連事務局長北中一永さんからのメールを転載します。
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各位様、7月9日の和田春樹講演会(文京区民センター3階A)で添付のチラシを配布します。5・3集会での朝鮮中高級学校のスピーチ全文です。
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民族教育の場守る誇り胸に
2018年5月3日憲法集会東京朝鮮中高級学校生徒の訴え
差別判決に屈さぬ決意
弾圧と闘った歴史受け継ぎ
私たちは東京朝鮮中高級学校の合唱部です。毎年、NHK主催の全国学校音楽コンクールにも参加し、日本の高校生たちと合唱を通し交流を深めています。私たちは日本の高校生たちと同じく、勉学に励み、放課後には部活で汗を流し、青春を謳歌しています。
しかし、私たちと日本の高校生たちの状況は同じではありません。
私たち朝鮮民族は、日本の植民地時代、自分の名前や民族の言葉、朝鮮人として生きるすべてを奪われました。
三十六年間の植民地支配から解放されても、在日朝鮮人に対する民族的差別や弾圧は続きました。そんな厳しい状況下でも、同胞たちはあきらめることなく、奪われた言葉、文化、歴史を子供たちに教えようと、日本各地に朝鮮学校の原点となる小さな講習所を作りました。朝鮮学校が建ち、私たちは異国の地でも民族教育を受けてこられました。
今でもこの日本では、私たちに対する補償はおろか朝鮮学校だけを高校無償化の対象から除外するという差別が続いています。
同胞たちほみなたちあがり、ずっと闘い続けて来ました。
たくさんの日本の方々も一緒に闘ってくれています。
私たちも高校に上がり、この間題の当事者として、毎週金曜日には文科省の前に立ち、当たり前の権利を勝ち取るため声を上げ続けています。
二〇一三年には東京朝鮮中高級学校の生徒たちが原告になり、国を相手に訴訟を起こしました。私は当たり前の権利を主張するこの裁判は必ず勝つと確信していました。昨年の九月一三日、裁判の判決日。結果は不当判決でした。私たちは民族の言葉や文化、歴史を習っています。自分のアイデンテティーを守るため、民族のアイデンテティーを育むというこく当たり前のことをしているだけです。なぜこんなにも差別を受け続け、否定され続けなければならないのでしょうか。
今までの口頭弁論の過程を見ても、この裁判は間違いなく勝つべき裁判だと思っていました。それなのに裁判長は何の説明も無く、私たちに「棄却」という判決だけを言い渡し、その場を立ち去ったのです。
同胞や支持してくださる日本の方々の活動、努力のすべてをこの判決に踏みにじられました。
民族教育が否定され、日本で朝鮮民族として堂々と生きる権利をまたも否定されました。
一九四八年の四月当時、GHQ(占領軍司令部)と日本政府によって朝鮮学校閉鎖令が敷かれた時、学校を守ろうとした同胞たちは、武装警察隊の銃の乱射により尊い血を流しました。
七〇年前のように私たちは銃を突きつけられてはいません。
しかし朝鮮人に対する弾圧は七〇年前と何も変わってはいません。
私たちは先代の遺志を継いで勝利を勝ち取るその日まで最後まで闘い続けます。
このような民族差別や戦争の負の歴史は、もう二度と繰り返さわてはならないと思います。
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各位様、7月9日の和田春樹講演会(文京区民センター3階A)で添付のチラシを配布します。5・3集会での朝鮮中高級学校のスピーチ全文です。
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民族教育の場守る誇り胸に
2018年5月3日憲法集会東京朝鮮中高級学校生徒の訴え
差別判決に屈さぬ決意
弾圧と闘った歴史受け継ぎ
私たちは東京朝鮮中高級学校の合唱部です。毎年、NHK主催の全国学校音楽コンクールにも参加し、日本の高校生たちと合唱を通し交流を深めています。私たちは日本の高校生たちと同じく、勉学に励み、放課後には部活で汗を流し、青春を謳歌しています。
しかし、私たちと日本の高校生たちの状況は同じではありません。
私たち朝鮮民族は、日本の植民地時代、自分の名前や民族の言葉、朝鮮人として生きるすべてを奪われました。
三十六年間の植民地支配から解放されても、在日朝鮮人に対する民族的差別や弾圧は続きました。そんな厳しい状況下でも、同胞たちはあきらめることなく、奪われた言葉、文化、歴史を子供たちに教えようと、日本各地に朝鮮学校の原点となる小さな講習所を作りました。朝鮮学校が建ち、私たちは異国の地でも民族教育を受けてこられました。
今でもこの日本では、私たちに対する補償はおろか朝鮮学校だけを高校無償化の対象から除外するという差別が続いています。
同胞たちほみなたちあがり、ずっと闘い続けて来ました。
たくさんの日本の方々も一緒に闘ってくれています。
私たちも高校に上がり、この間題の当事者として、毎週金曜日には文科省の前に立ち、当たり前の権利を勝ち取るため声を上げ続けています。
二〇一三年には東京朝鮮中高級学校の生徒たちが原告になり、国を相手に訴訟を起こしました。私は当たり前の権利を主張するこの裁判は必ず勝つと確信していました。昨年の九月一三日、裁判の判決日。結果は不当判決でした。私たちは民族の言葉や文化、歴史を習っています。自分のアイデンテティーを守るため、民族のアイデンテティーを育むというこく当たり前のことをしているだけです。なぜこんなにも差別を受け続け、否定され続けなければならないのでしょうか。
今までの口頭弁論の過程を見ても、この裁判は間違いなく勝つべき裁判だと思っていました。それなのに裁判長は何の説明も無く、私たちに「棄却」という判決だけを言い渡し、その場を立ち去ったのです。
同胞や支持してくださる日本の方々の活動、努力のすべてをこの判決に踏みにじられました。
民族教育が否定され、日本で朝鮮民族として堂々と生きる権利をまたも否定されました。
一九四八年の四月当時、GHQ(占領軍司令部)と日本政府によって朝鮮学校閉鎖令が敷かれた時、学校を守ろうとした同胞たちは、武装警察隊の銃の乱射により尊い血を流しました。
七〇年前のように私たちは銃を突きつけられてはいません。
しかし朝鮮人に対する弾圧は七〇年前と何も変わってはいません。
私たちは先代の遺志を継いで勝利を勝ち取るその日まで最後まで闘い続けます。
このような民族差別や戦争の負の歴史は、もう二度と繰り返さわてはならないと思います。