『新宿の戦争遺跡は「加害」と「被爆」そして「反戦」の歴史が学べる第一級品』
新宿には二つの顔があります。繁華街と超高層ビルの新宿です。もう一つは軍事都市だった新宿です。
市谷亀岡八幡宮境内に残る「陸軍省所轄地」「陸軍用地」と刻み込まれた御影石の境界石は、隣地が明治9年以来陸軍士官学校であり、士官学校が移転した後は陸軍省が存在していたことを示す明白な戦争遺物です。
富久町の北東に小さな公園があります。その片隅に「市ヶ谷刑務所刑死者慰霊碑」が建っていますがそれは富久町一帯が市ヶ谷刑務所であり幸徳秋水などが処刑された死刑場があったところがいま公園となっているのです。南西の小石川工業高校正門前には日本共産党員渡辺政之輔のお母さんが治安維持法で収監された活動家に差し入れなどをする「赤色救援会」(現国民救援会)の事務所がありました。
戦後ビキニ環礁の水爆実験でマグロ漁船第五福竜丸が被爆。 乗組員は国立東京第一病院(当時)に入院し、退院する時に船の模型を寄贈しました。今でも国立国際医療センターのロビーの片隅に飾られています。久保山愛吉さんはここで亡くなりました。
陸軍軍医学校跡地から発見された「人骨」は日本軍国主義の加害責任を告発しているのです。戦争遺跡は平和教育の生きた教材であり、その地域における戦争の語り部でもあります。平和ガイドとしてご案内しますのでお声をかけてください。
画像はサンデー毎日が紹介した戸山ハイツにある戸山教会(左)と地下部分である陸軍戸山学校将校会議室(中)。陸軍戸山射撃場跡に今も残る境界石(右)