管理人が2010年11月に金沢市へ転居した際、泉鏡花記念館を見学して鏡花が牛込区神楽町二丁目二十二番地(当時)で生活していたことを知りました。同時に東京理科大学が校舎新築時に敷地内に「泉鏡花と北原白秋旧居跡」石碑を建立したことを、和装小物「助六」さんからの情報がありましたので、同大学長に説明板の建立の要望をしたり、生誕地の下新町会「こまちなみマップ」と神楽坂通り商店会のマップを両会に配布したりしてきました。さらに、何度も金沢市長山野之義氏に対して、「金沢百万石まつり」には東京・板橋区長のみならず新宿区市谷加賀町との縁がある新宿区長、新宿区議会議長を招待すること、北陸新幹線金沢駅開業の駅前広場祝賀イベントには新宿区無形文化財鉄炮組百人隊を出演させることなどを提案してきましたが、残念ながら前向きな検討すらなされていません。
しかしながら、鏡花生誕140年を迎えたことを機に、生誕地の下新町(しもしんちょう)と、文筆活動を行った神楽坂の住民有志が連携し、文豪を軸にした「鏡花を追ってプロジェクト」実行委員会」を立ち上げて、地域づくりに取り組むことが始まったと7月3日の北国新聞に報道されました。本籍地金沢市高尾町、生れは淀橋区(現新宿区)十二社(じゅうにそう)の「金沢人二世」が訴えてきたことの一部が実現できて大変喜んでいます。
神楽坂通り商店会阿波踊り大会で地元神楽坂連の先頭で踊る管理人
神楽坂2-22理科大敷地内説明板
千代田区六番町鏡花旧居跡説明板
北國新聞記事によると「鏡花を追ってプロジェクト」実行委員会メンバーは、▽顧問 嵐山光三郎(作家)秋山稔(金沢学院大学長・現泉鏡花記念館館長)高橋基(北國新聞社社長)▽委員長 砂塚降広(同営業本部長)▽委員 佃一成(老舗佃食品社長・文学・ロマンの町を考える会会長)澤田光夫(下新町町会長)加藤正人(久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)権禰宜)織田勉(下新町町会庶務)越田尚徳(同町会庶務)渋谷信一郎(東京神楽坂組合理事長)加藤伶(志満金代表取締役)相田雅世(和菓子「五十鈴」経営者)浅野比呂實(画廊「五感肆バレアナ」店主)飯田公子(中華料理「龍公亭」代表取締役)石井圭子(和装小物「助六」経営者)日置圭子(「粋まち」代表取締役)水洞幸夫(金沢学院大学文学部長)宮本佐智天(北國総合研究所常務理事)▽事務局長 福田信一(同事務局長)となっています。(敬称略)
北國新聞の7月3日記事と7月9日付嵐山光三郎氏の〈コラム〉北國文化「愉快な日々」の新聞切り抜きは、下新町町会庶務織田勉氏(上林金沢茶舗社長)から送られてきましたので、中山弘子新宿区長にも【コピー】を郵送しました。当ブログのカテゴリー「金沢日誌」にはこれまでの経過を記事にしてあります。