カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

東京の空港の事・街の事などあれこれ・・・

2010-08-11 | エッセイ

羽田空港の新滑走路の増設部分がほぼ完成に近づいているようである。私はこれは始めからよい案だと思っていた。羽田の充実の必要性は以前から言われていた。都心部の上空を飛ぶことになれば騒音がひどいのでは、という事が言われたりしたが、羽田の場合ほとんどこれは心配無いのだった。海から、あるいは海への発着でほぼ済ますことができるとかつて聞いた。風向きなどよほどの事がない限り都心部の上空を飛ばなくて済むのである。そういう設計になっているということだったと記憶している。その点は例えばバンコクの空港などと少し事情は異なるのである。実際に、近くで釣りなどしたこともあるが、騒音はほとんど気にならなかった。航空機は海から来て海へ飛んで行くのだった。
かつて、大前研一氏が確か都知事選に出馬していた頃(政治にはあまり詳しくはなく、記憶があいまいである)、全国のいたるところに空港を造って、ハブ空港も充実させればよい、と、ぶち上げていたが、その後、大前さんは都知事選には落ちたものの、空港建設の提案だけはていよく利用され、全国の都道府県に嫌というほど万遍無く建設されてしまった。横並び好き、隣がやれば我も我も、各県知事の建設招致合戦で各県にできてしまったのである。過剰設備と言われても仕方がないだろう。優先順位の付いた青写真を考え、作る人間がこの国にはいないのかと思うくらい(たぶん本当にそうなのだろう)、場当たり的なおかしな政策であった。政策であったのかすら分からないのである。
 大前さんの、航空機をかつてのように重く考えるのではなく移動手段としてのエアバスと捉える考え方は、ありそうでなかなか発想の転換の効かない、日本では時代を先取りしたコンセプトなのだった。話にそのあたりのところが強く感じられるのであった。同じ言葉だけを使っても駄目な人がほとんどなのである。役人なども駄目である。そこは良かったのだが後は、この国のいつもの光景で我も我も、である。情けない。同様の海外旅行の団体パック集団行動も現地の人々の目にはどう映っていたのだろうか。
 話は変わるが、空港もそうだが、街中の超高層、マンション、建て売り住宅に至るまで、建設会社の「建て逃げ」の感じがある。マンションなど売れなくて値下げ、投げ売りをして、赤字をかぶったりつぶれたりするのは間に入った銀行に密着した不動産会社だったり日本的デベロッパーだったりする。始めからそうなった時でも逃げられるような準備がなされているのではないかと思われるようなペーパーカンパニー的なものもありそうである。いざとなったら不良債権処理されるだけ、それも会社が、自分は社員だし・・・。その時はもう建設会社は立てた後だし、建設費はもらっているしで、仕事は終わっているということなのだろうと思う。空港についても必要も採算性もないのにコンクリート敷いて逃げただけ、ということではないだろうな、と目を凝らしたくなるのである。この場合、建設費は建設会社に流れただけで一般人には何も関係ない。景気浮上効果ももちろん無い。さて、できた空港は費用対効果が十分に発揮されるかといえば、どうもそうではなさそうである。いくらエアバスの時代といったって程度があり、必要もないのに飛行機に乗って喜ぶ裕福な人などいる訳はないのである。費用対効果どころか運営すればするほど赤字になるという状況にならないか懸念するのである。これなど大前さんなどに責任を押し付けるとすれば、それは方向違いだろう。責任があるとすれば県なども含む役人と建設会社あたりか? 後は無責任な政治家と。目がそこらあたりにどうしても向くのである。
 私は成田、羽田の重点整備は適切だと思うし、関西でも同様だと思う。あとは、その次として、九州、東北のどこか、ここらあたりに国際線の比較的充実した空港があれば、使いでがあるだろうと思う。もちろん十分なリサーチは必要だ。しかし、横並びで造ってしまった後では計画は立たないだろうと思う。

                                           

役人は、住民へのサービスを削ることばかりを政治家とやっているようだが(もちろんそこだけを取り上げれば、それはそれで良いのだが)、自分たちの使う必要経費を競争入札させたりして圧縮したり削ったりすることは考えないのだろうか。民間企業なら直ぐにそれをやらされる。それも給料から減らされる。役所の感覚は異常なのかもしれない。一時期、国土交通省だけが叩かれているようだったが、無駄遣いをしている省庁は、ズラリと並んだ省庁の数だけあるはずである。全部やらないと財政の収まりは付かないだろうと思う。ゼンブ。いくらそうではないと屁理屈を言っても、いずれそれは歴史が明らかにするだろう。そうなった時はもう問題は恐ろしくも巨大なものとなってしまっているだろう。
またもやお騒がせ好きの東京都知事が東京の経済活性化のためカジノの誘致を言っているそうである。ウンザリだ。やりたければやれば、との言葉を投げつけたくなる。ラジオのDJなどは、それに乗っかったもの言いをしているようだった。「世はお祭りオンリー」という観点だけからなら、かろうじて私も何とか頭の病気にならずに語ることができるかもしれない。カジノができれば私はもちろん遊びに行くつもりだ。楽しみだ。そのとき正気であるかどうかは別として・・・。
この都知事は、日本橋など橋なんだからどこかに移したらいいじゃないか、と苛立ったように言っているのがTVに映っていたことがあったが、その部分だけを見て理解に苦しむ。その言説に至った経緯を仮に見たとしても、たぶん理解できないだろうと思う。東京都の人々が住みにくくならないようにと祈るばかりだ。その人たちが選出した人である。


                                                                                      
                                                                                     

JALの再生計画はあの様子では上手くいかないと思う。既に投入された1兆円近いお金が無駄になるだろう。それだけでは足りないかもしれない。稲盛さんが頑張ってはいるが、ダメだと思う・・・。

                                           


スカイツリー。何かと話題になっている。独立した電波塔としては高さ世界一。デザイン的にはどうかなと思う。何か鈍くさいな、と。でも、注目である。
辺野古米軍滑走路増設は不必要だと思う。防衛は考えつつも単純に米軍に返ってもらうのが良いと思う。時代は変わって行く。
八ッ場ダムは手順をよく考えて中止を貫徹するのが良い、と思う。

                                           
                                           

追記:訂正・説明など・・・(オーマイゴッド!)。 
上記、一気呵成に書いたのでお詫び、訂正が出そうだと自分でも思っていたのですがやはり出ます。

上記の中ほど 「◆役人は、住民へのサービスを削ることばかりを政治家とやっているようだが(もちろんそこだけを取り上げれば、それはそれで良いのだが)、」というのは、それはそれで良いわけではないのでした。これは最近進行中の「事業仕分け」の事を書いたつもりでした。しかしこれでは読むほうが勘違いします。これは、「不必要になった住民へのサービスを削る時に限り、それはそれで良い」ということです。つまり事業仕分けの事です。経費削減と称して必要な、ちょっとした住民サービスも削られたりはしょられたりしているのではないかと、その辺りを言いたいと思ったのでした。(3時頃PM. 2010/08/12)

                                           

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時として、海で思う事・・・11Aug2010

2010-08-11 | エッセイ
海について

あの感覚・・・である。海での感覚。
 7月の始め、東北へ旅をした。三陸の海岸沿いに鉄道で移動したのだ。あの時、三陸のリアス式海岸を目の当たりにして感じたのである。もう20何年か前に、四国の足摺岬でも感じたあの感覚をまた呼びさまされたのである。
 丁度、東京では相撲界の不祥事が問題となっていた。暴力団に絡む問題で、もと相撲取りが暴力団となり相撲界に絡んでいるというようなもので、日本の歴史とも絡むような実に根の深いものであると思われた。実際に、東京の良識ある相撲好きの人々の間では危機意識もあったに違いないのである。しかし、それらをよそに、その海辺はポカンと晴れた空間が広がっているのみだった。そこにいると東京で起きている様々な問題ある出来事がまるでないかの如く感じられるのであった。同じ日本なのに、である。危機感を共有することがまるでない空気だった。では、そこが日本ではないのかというと、とてつもなく紛れもなく日本的なのである。政治、経済、文化などなどの日本の諸問題がまるで遠くにあり希薄に感じられるのに、まごうかたなき日本の空、海がそこにある、というあの感じだ。それは、誤解を恐れずにあえて言うと、どうしようもないくらい自民党的だ、という事でもある。中央の影響が希薄であるにもかかわらずそうなのである。希薄であるからこそそうなのである。案の定、その遠くの空気が逆流して作用したかのごとく、その後、相撲の方の問題は実に日本的な雰囲気の中で、なんとなく要領を得ないまま収まって行くという経過を辿っているようだ。
 私は三陸の浜辺を歩いた。天気は良かった。太陽はどこまでも太陽らしく照り付け、空も海もどこまでも青くそこにあった。おそらくそこのすぐ近くで戦争が起きていても、何か危機的な天変地異が起きていても、気付かぬくらいポカンとした恐ろしく平和的といえば言えなくもない時間がそこにあったのである。足摺岬で感じたのと同じ吸い込まれていくようなその感覚。たぶん昔から、そうした空気の中で殺戮も行われてきたし、危機的状況も起きて来たのだ。その空気がまさに日本の空気である。ある特殊な海辺で特に強く感じられる空気感だ。ザックリと言ってしまうと、この日本的空気にへばりつき不可分になっているのが、例えば政治で言えば自民党であり、あるいは文化で言えば相撲なのである。この事に気付かぬ限り、あるいは気が付いていても、日本の政治やスポーツ(相撲がスポーツと言えるかどうかはここでは別として)などの根本は変わらない。だから変えなければならない時に変えようとしてもなかなか変わっていかない。
 太陽が照りつけるその浜辺で、すぐそばで起きている戦争に気が付いた時はもう死はすぐそこに迫っているのだ。何事もなく災いが起き、そして多くの死が訪れた後・・・も、ポカンと晴れた空と青い海は、どうしようもなくやるせないくらい平和的にそこにあるに違いないのだ。沖縄のあの美しい海でも、かつてそうであったのだろう、と思う。

                                          
                                           
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10Aug2010という一日

2010-08-10 | エッセイ

白のゴーヤ(ケータイ動画)

昨日のblogで、菅首相に対し、自民党議員が非難の言葉を使っていたという旨の事を書いているが、その同じ顔の議員がその後TVに出ていて、テロップに「みんなの党」となっていた。自民党だと思ったのは私の間違いだったのだが、私にとってはほとんどどうでもよい間違いで、野党だがら全部自民党ぐらいにしか思っていないのである。本人にとってはそれが通ってしまえば大変な間違いということになるだろうと思う。ところで、みんなの党の、みんなって誰のことなのか。自民党が、自民盗ではないかと思うくらい政治は分からないのだが、みんな?というからには、そのみんなには私は入っているのだろうか。参加、加入した覚えはもちろん無い。政党名には何なのかと思うものが多く、「立ちあがれ、日本」というのも最初何かと思い、変だと思った。日本といういわば大き過ぎて抽象的ですらあるものに向かって、立ちあがれ!と叫んでも仕方がないような気がしたのだ。始めは、江戸っ子か何かで、「立ちやがれ!」とでも煽っているのかと勘違いしたくらいである。立ちあがれ、とくれば世代として昔懐かしビッグX(エックス)の歌詞を思い浮かべるのだが、立ちあがった日本がX(エックス)ではなくて、大きな×(ばつ)印に見えて「没」だなどと言ってもシャレにも何にもならないのである。

このところ朝日新聞の1面にAIR NEW ZEALANDのCMで女の「唇拓」が載っている。キスマークというやつだ。色まで付いて紙面上でそこだけ雰囲気が違う。なまめかしい、という感じにはなっていない。この唇の主、どんな顔で何を考えているのだろう。
ふとなぅ~、これは原寸大か?

ルナについて・・・  IZA「書」なぅ~・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  以前、パソコンにLUNAという名をつけていると書いた。これは最近よくあるアニメやファミコンなどの少女風ゲームキャラクターのイメージで付けたのでは、まるでない。私にはそういった趣味はあまりないのだ。そこからの発想ではなかったと覚えている。むしろ、逆にパソコンというハードなものに対して名をつける時の、よくある感覚としてつけた。名を入れないと設定ができないようになっていたからである。そうでなければ、メンドウで頭をひねることはしなかっただろう。感覚としてよくある・・・バカでかい、鉄の塊ともいえる船などに、柔らかな女性の名をつけたりしている、あの感覚である。

・・・閑話休題
昼と夜について古代の人々の中には、これを昼と夜で2日と捉えた人たちもいたらしい。昼は太陽の光の満ち満ちた世界。夜は冷え、冴えた(これは古くからの日本人の感覚でもあるようだ)、imageの膨らむ世界。まだ地球と月、太陽の物理的関係を知らぬ時代の事だから、そう捉えてもおかしくはないし、想念としては今でも通じるところはあるだろうと思う。夜は闇の世界のイメージなのだが、実は、現実は、夜の天空には昼と同じように光は満ち満ちているのだ。唯一月だけがそれを知り、それを知らせてくれる。光は光源でない限りそれが照射する物があってはじめて、そこに光があると人は知るのだ。

まぁ~な。
                                          

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白のゴーヤ 8 Aug2010

2010-08-08 | エッセイ
◆夏もたけなわだったのだが、暦では立秋を迎えた。幾分、太陽光に上り調子のぎらつきがなくなったかと感じるのは気のせいか。自宅の庭には昨年とは違って白のゴーヤが植わっている。白の実が成る少し珍しい種類なのである。よく見ると初めての小さな実が付いている。これを機にこれから立て続けに実が成るだろう。
◆夏が好きだという人は多い。私は毎年、日に日にうねるように暑くなっていく今頃までの時季は、どこかじりじりと鉄板の上で焼かれているようで落ち着かなく、あまり好きな季節ではない。これは、多分に気持ちのモンダイでもあり、もう夏なのだ!と諦めてしまえばあっさりと過ごし易くなったりするのだ。汗もかくまではためらいがあるが、一度ドバッとかいてしまうと、後はどうでもよくなるようなものである。
・・・・・話題変わって
◆猛追なぅ~。
Jリーグの順位を見ていて注目しているチームが、猛追なぅ~、だった。そう思っていたら二つくらい下げていた。猛追されなぅ~、というシビアな状態だということに気がつかなかったということだ。
前の獲物を追っていて、はっと気づくと、背後に敵が廻っていたようなものである。
・・・・・
◆フォトは、付いたばかりの白いゴーヤの実。葉っぱの手前、フォト中央のへその緒の様な細長い代物がゴーヤの実だ。

◆歌舞伎の市川海老蔵、小林麻央の挙式のことがTVなどで話題になっている。費用が5億円だそうである。祝儀の平均が30万円だそうだ。名古屋人は見栄っ張りだと言われるが私は疑問に思っている。タモリなどが、かつてかなり悪く名古屋人のことを宣伝したようだが。経験では嫌になるくらい実質的だからだ。話を元に戻して、この世で最も見栄っ張りなのは芸能人だろう。芸能人が3人寄れば話は限りなくどんどん大きくなるし見栄も張る。
それで花火をどんと打ち上げた後は、夢の後、ということだ。
労せずして夢を見たい人々の祭り好き、担ぎ揚げ好きということもあるだろう。
しかし、一般人とのこの違いは何なのか。
同じ人間なのにな。

◆8月7日の朝日新聞、朝刊3面に、官房機密費の事が書かれている。昨年の総選挙直後に2億5千万円の官房機密費を自民党の河村健夫官房長官(当時)が不当に引き出したとして、大阪の市民団体が詐欺と背任容疑で訴えているそうだ。全くもって同感である。泥棒だ、などというと厳密にはそれには当たらないなどとまた自民党得意の揚げ足を取るのだろう。話は変わるが今国会の菅首相に対する質問の中で、「盗人猛々しい・・・」と非難の言葉を使っていた自民党議員がいたようだが、私には意味が理解できなかった。相変わらず野次もひどい。盗人というなら自民党政権による、先の機密費の持ち出しがまさにそれではないか、と思うのだ。そもそも機密費というものが必要なものなのだろうかと疑問に思う・・・

◆足にばい菌が入り激痛だったのがほとんど治まった。が、まだ腫れと今度は関節の硬さが取れない。歩くとぎこちないのだ。いろいろなところで、夏の風物詩、花火大会が行われている。浴衣姿で歩く人も見かける。これらを横目で見つつ治療に専念していたのだが、そろそろ耐えられなくなってきて、花火大会情報一覧、などというのを眺めたりしている。しかし、厄介な病気だと思う。健康で元気なのに歩く事が出来ないというのは、バランスが悪過ぎて、実につらいことであった。
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5Aug2010・・・昨今話題のニュースなどについて

2010-08-05 | エッセイ
■昼のTVのニュースで、所在の分からない老人の問題がトップニュースとして取り上げられていた。菅首相の映像が次に出て、何か政府として対策をこうじる旨のことが述べられているようだった。このところマスコミは「所在不明老人問題」について慌てたようにそれらを伝えているが、役所など何十年も放置していたわけだし、なにも今更、ドタバタと報道することもないのではないか、と思う。政府はしっかりと対応するようだ。
■「所在不明老人問題」がなぜ問題になるかというと年金などの不正受給が絡んでくるお年寄りがそれらの中にいる、ということらしい。そこは大モンダイだ!
■それとは別に今、年金の査定が長きにわたり行われているが、どうしても分からない所については、政府が、どこで線引きするかこちらの責任で決めたいと思う、と言っていたが、それはどうかと思う。中には不正受給の可能性があることは否めないだろう。名前を伏せるなどの配慮はしつつ、実際にどういったケースがあるのか代表的なところを公開すべきだと思う。その上でどうするか、の話だと思う。
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この頃の話題・野球のことなど・・・4Aug2010

2010-08-04 | スポーツ

       

        
                         ◆


野球のペナントレースで、セ・リーグはジャイアンツが1位から転落し現在、2位と1位の間をフラフラしている。長い間、横目で野球を見続けていると(まともに見ると、時間と労力が大変なのだ)、ああ、今、ジャイアンツはそういう時期なのだなと思う。どのチームにとってもそうだと思うのだが(いつも最後尾の横浜についてはよく分からない)長いペナントレースの間に落ち込むことは1度や2度はあるものなのだ。それが大きく落ち込むか小さくて済むか、ということである。投打のバランスが悪くなるのが原因といった言われ方をする。大体、このところのジャイアンツは投打の「投」の方が崩れることが多いと私は見ている。何らかの理由でピッチャーのローテイションをいじらなければならなくなった時に起きる事が多い。たぶんその時期なのだろうと思っている。阪神は逆に今の時期、投打がかみ合って勢いづいているように見える。次はマイナスに転じるしかなく、そのうち落っこちて行くだろうから、ジャイアンツとしてはここは踏ん張りどころである。ジャイアンツが落っこちて行くのだと困るのだがそういったことは考えないことにしている。何とか5分5分くらいで進んで行っていれば、また、投打がかみ合ってくるだろうと思う。昨日は阿部君もホームランを上手く打って調子良さそうだ。頑張ってほしいな、と思う。

セ・パ交流戦のトータルの結果が出ている。いつも思うことなのだが、こういうデータを作る人にはほんとにご苦労さんと言いたい。分かってはいてもなかなか手間なことなのだと思う。IT化やPCの発達で、やり易くはなっただろうけれど、それでも事細かにデータを入れて行かなければ、結果は得られないだろうと思うのだ。それで、それを見るとどうなっているかというと、セリーグの6球団全部がジャイアンツを先頭に勝率でパ・リーグの後塵を拝しているのだ。1位はオリックスだった。
 しかし、こうして厳然とデータとして付きつけられると改めて今はパ・リーグが優勢なのかなと思う。セ・リーグには頑張ってもらいたい。セ・パ交流戦はやってみて絶対に良かったと思う。たとえ望まない結果が出ても勝敗を競うゲームをやっているのだからそれでいいのだ。仮に社会人チームの1位と試合してみていつも負けるプロ球団があれば、入れ替えてもいいと思う。構わず試合えばいいのである。ジャンルは大きく異なるが、負けたらどうするなどということを言わず、そういったメンツなどにもこだわらず試合をする空手の極真会のスピリットに私は敬意をはらうのである。いろいろなところと自由に試合を楽しめばよいと思う。


                                          

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Drawing・JUL2010

2010-08-03 | アート

DRAWING



drawing                    JUL2010




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裁判員制度の事など・・・

2010-08-02 | エッセイ

最近、新たに取り決められ、施行、運用されている法律でおかしな法律だなと思うものの一つに、「裁判員制度」というのがある。あれは自民党政権の時に決められたものである。2000年に入り、小泉政権などの頃から特におかしな法律、取り決めが多くなった。それらの経緯を見ていていつも思うことなのだが、これらの法律のおおもと、つまり最初の言いだしっぺ(あまりきれいな言葉ではないが)は一体誰なんだ?という事を思うのである。自民党議員というのは成長経済の中で役人の作ったシナリオに上手く乗れるというだけの能力の人が多く、役人やそれを利用する人々から便利がられた。言ってみれば神輿の上で踊れるという昔ながらの旧態依然の人間なら誰でもやれて、それらを便利に利用したのである。今はもう、この手の議員では駄目である。当時、裁判員制度を通そうとした議員たちの中に、多くのこの手の議員がいたことはまず間違いない。彼らは言いだしっぺ、つまり発案者ではないはずだ。それでは誰なのだろう? これは役人の中に、巧妙に隠れているのではないかと思うのだ。初期の段階の役所のナントカ会議で決まったというかもしれない。どこの会議だ? そして、その中の「誰」が言いだしたのか? その人間には外部の世界との利害関係はどの程度あったのか? 国会にかけられる法案のほとんどに通じる疑問点のように思えて仕方が無いのだ。
裁判員制度は私は悪法だと思う。天下の悪法というのはよくあるものなのだ。裁判員制度が言われ始めた頃、TVはそれに拍車をかけるように、裁判所の裁判官の質の低下、弁護士の質の低下を言いだし、このままだと弁護士資格を持った人間の数が少なく一人一人に裁判での負担がかかるという趣旨の番組を流した。だから一般の人々の参加が必要、という理屈を次に展開したのだったが、このような理屈と実行は拙速で、誰でも思いつく安易な筋道である。(一般の人々が裁判に関心を持つことが必要というのなら、それは裁判の経過などを知らせる
広報の問題であって、上手く公開していけばよいだけの話である) ここで、今一つ踏ん張った見解として、優秀な裁判官、優秀な弁護士を育てる仕組みの整備を時間は少しかかるもしれないが整えて行こう、というような建設的な意見があったかというと、まるで聞かれなかったのである。いつも、び縫策ばかりなのだ。TV側は何を考えたのか、歴史も成り立ちも違うアメリカの陪審員制度まで引き合いに出し、おまけに、財政ひっ迫の折、一般人の参加で経費節減などという論調もまじえて、何も考えず突き進む鼠の大群のごとく、ニュースの大群を垂れ流したのであった。TVというのは、ニュースなどで少し流すだけでも、何百万人の人々が見るのだから、「大群」なのである。それに加えてTVというのは景気を持ち上げるための掛け声をかけるのに必死で、普段から実に思慮が浅く落ち着きが無いのだ。
だから、たぶん、今でも、悪事に実に鈍感な質の悪い裁判官、悪徳であることに無自覚な弁護士などの数は減っていないと思う。優秀な裁判官、弁護士も育っていないと思う。


                                           

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今日・1Aug2010

2010-08-01 | エッセイ

今日もまた暑い! 夏も8月に突入といったところ。各地で花火大会や盆踊りなどが開催されているようだ。

暑いのだがそうも言っていられず、近くのスーパーへ食糧の買い出しに出かけた。スーパーで買い物をするのは

嫌いではない。肉、野菜関係よりもとりわけ、魚貝類の生鮮食料売り場が良い。今日は、アメリカ産のカレイの切り身

などが目に入ったが、とりたててこれといったものはなく、冷凍保存用に「エビむき身」というのだけを買った。

売り場の買い物客の中に2,3歳の子供をワゴンに乗せ、魚を物色している若夫婦がいた。このまだ20代前半と思しき旦那の方は、

魚の刺し身が陳列されたケースを見下ろし、「なんじゃこりゃ!」を大声で連発するのだった。わざとらしい声のはり上げ方

だったが、なぜ、魚の売り場を目の前にして、あんなに聞えよがしの声を上げなければならないのだろう。

よくは分からないが、躁状態の感じを受けるのである。Tシャツ姿のラフないでたちで、サッカーのサポート大好き、といった

人々によくいそうな印象を受けた。こちらはスーパーへ買い物に来ているだけなのだが、ほんと、疲れる。

チカレタビ―というやつである。

特に不思議な魚はそこには並んでいなかったと思いますけど・・・。

そこは、酒類も併設して売られている。一般の酒は普通の棚に普通の値段で並んでいる。そことは少し別の、ひと際高い棚に

値段も高い酒が鎮座していた。ウィスキーだ。あまり買う人はいないのだろう。一品ずつ横に並べて飾っているという感じだった。

サントリーのウィスキーだった。「響き」と「山崎」 ともに1本、7千円、8千円くらいだった。年数によっては同じ銘柄で

2万円近くなるようで、それらも飾ってあった。置いてあるところを見ると、これらのウィスキーを買う奇特な人(何が

奇特か分かったものではないが店にとっては奇特な人だろう)もまた、いるのだろう。

発泡酒が安い。種類もいろいろある。最近は増え過ぎて何が何やら分からない。しかし、私にとってはそれはあまり関係が

無いという事で済みそうだ。尿酸値が高めでいつも気を付けねばならず、ビール、発泡酒などプリン体を多く含むアルコール類

は禁物なのだ。今回の足の痛みはばい菌が原因なので関係はないのだが、それでも、注意は必要のようだ。医者にそう言われた。


                                              


インターネットのプロバイダーは、ここまで来るとどこもそんなに変わらない気がする。事実、私が選ぶ時もどこも、

甲乙つけがたしと言った感じだった。その事が始めから大体分かっていたので、パンフレットや申し込みの書面などのパッと

見の印象や電話などの応対を選ぶ基準にしてみようと思っていたのである。建築の設計は使うメーカーの種類が膨大である。

その経験でもそれほどはずれはないものなのだ。それで選んだプロバイダーは良かったと思っている。パンフレットのイメージガール

に相武紗希嬢がなっていて、ほぼこのフォトを理由に決めたと言ってもよい。後は電話の応対。うちは通信会社なので・・・と

少し済まなそうに、他社に比べキャンペーン攻勢の少なさを詫びていたが、私はそれでよかった。申込書類も返って来た受付書類も

パッと見で何か確かな感じがした。印字であるか手書きであるかはここでは関係が無い。書式の整理のされ方などのどことは言うに

言えないところのことである。それが良いと思った。今でもそれは変わらない。その後、blogに加入して載せるようになったが、

最近、投稿完了ボタンを押すと会社は違うがそこにも相武紗希嬢が現れるようになった。 まあ、いい感じだ。

 まあ、いい感じだと言っても不動産関係のCMで貼りついているのが少し気に入らないが・・・。

プロバイダーの申し込みなどの書式については、今後のなお一層の精進も期待したい。少し大袈裟だが、昨年の今ごろの事を

思い出した次第。


                                           


今日、久々に村上龍の「龍言飛語」という動画を2カ月分くらいまとめてみた。サッカーのWcupや選挙の事、相撲の事などに触れていて、共感するところも多々あり、そうでないところもありで、面白く聴き流していた。その中で、芥川賞・直木賞について言及しているところがあり、それを聴いていてあることを思い出した。つまりこういう事である。芥川賞などの賞の選考委員などをやると、選考委員の間でよく話題になることのひとつに、この作品は神の視点をもっている、ということがあるそうである。それもどちらかというとタブー視されたマイナスのイメージで語られることが多いそうである。何かでちらりと読んだか見ただけなので詳しくは知らないが次のようなことであったと思う。
 まず、書き手がAという人に寄り添って書くとすると、1人称であれ3人称であれ、Aの視点で物事を記述していくことになる。Aはこう思う、こう感じた、というように書いていくわけだ。まあ、そうだと思う。ところで、次に、Bという人物が出て来た時に、書き手は、そのBはこう思った、とは書けないだろう、というのが、日本文学界最高の賞の選考委員の間で話題になる事だそうである。視点がAにあるのに、Bが思うとは神のみぞ知るはずの事で、仮にそう書くなら、それは神の視点を・・・ということだそうである。そしてヨーロッパ文学だか何だかでもその事は言われるらしく、大げさに言うと、書き手はそんなに偉いのか、驕りではないかと問われるらしいのだ。そのようなスタイルで書くことはかなり書き手にとって勇気のいることらしい。しかし、はたしてそうか。それは固定観念なのではないか。それは創作上の技法の事で、それを、神だのなんだのの視点と呼び、その視点で書くことを言わば、ためらわせることは何もないのではないかと思うのだ。Aの事を主体で書いていて、次にB主体で書き、どっちも、こう思った、こう感じた、と書いていって特に不自由することもないのではないかと思う。いやもっと、むしろそれゆえに独特の場面転換というか、もっと書き手あるいは読み手の側の視点の転換を効果的に劇的に行えるのではないかと、よくは分からないが思ったりする。それを神の視点だの何だのと変に捉え、多少の揶揄も含んだマイナスのイメージで見るからメンドウになるのではないか。

Aは痛風で足が飛び上るほど痛いと感じた。Bはそれを見て、自分は痛風ではないのだが、同じ痛みを感じ、こいつは容易ならないと思った。トカナントカ、例が実に悪いが、どんどん書けばいいのではないかと思う。

そういう小説、よく探せば、この世に既にごまんとあるのではないか。

違うかな・・・・・。 

                                                                                     
             


                                         

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旧岩崎邸庭園へでかけて・1Apr2010

2010-08-01 | エッセイ

旧岩崎邸庭園、散策

今年の春先に散歩がてら「旧岩崎庭園」を見に出かけた。近くの上野・不忍池の桜もちょうど見頃だったことを覚えている。データによると4月1日となっていて丁度、エイプリルフールの日だ。
その時の庭園のフォトを少し載せることにした。


庭園のアプローチの石垣




旧岩崎邸・このあたりのアングルはパンフレットなどにも頻繁に載っているが、やはり見栄えのする位置なので、ためらわず載せることにした。洋館外観。

この後、園内を比較的ゆっくりと時間をかけて見ることができた。その時のフォトもこのあと少しだけピックアップしようと思っている。

              
                                




                                               



洋館内観・1Fホール。2階への階段が見せ場となっている。

 
洋館内観・B1Fへ降りて行く階段の見下げ

 
古い電球の展示品。岩崎邸の屋根裏から発見されたもの。


和館外観・縁側


和館内観・お茶など立ててくれて飲むことができる。


洋館バルコニーからの撞球室(ビリヤード場)の眺め


撞球室(ビリヤード場)内観。涼しい雰囲気だった。
洋館に集った人々をここへ招いては、しばしビリヤードを楽しんだそうだ。



フォトは何枚も撮りましたが、切りが無いので、内観外観の数枚に絞りました。
建築物として見応えはありました。

フォトは始めは自由に撮ることができたのですが、時間が経つにつれ見学客が多くなり、ガードマンだけが撮影禁止と言いだしました。混雑しているからというのがその理由だったのですが内部の店などの人に訊くとそういう事にはなっていないとのことでした。気をつければ特に他の人の邪魔にはならなかったと思うし、フォトを撮りたいのはお互い様だからそこまでガードマンの方で神経質にならなくてもよいのではと感じました。
                                               

                                              
                                              
                                              

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