「マタイ受難曲」公演を終えて、ふたつ目の朝を迎えた。
淹れたての珈琲を啜りながら、「『マタイ受難曲』って、よい曲だなぁ」という想いがジワッと広がる。奇異に聞こえるかもしれないが、演奏会当日まで、「マタイ受難曲」を「好きで好きでどういようもない」と思ったことはなかった。作品が偉大に過ぎるというばかりでなく、内容があまりに生々しく信仰に根ざしているため、非キリスト教徒である自分には親しみよりも畏れが遙かに勝っていたのである。その意味で、2年4ヶ月にわたるコーラスのレッスンは(コーラスのままならなさとは別の意味で)苦悩の連続だったと言えるのだ。
そして今、我が胸の奥に巌のように堅い塊として居座り続けた「マタイ受難曲」が、演奏を終えて2日目にしてようやく融解しはじめたのを感じているのである。なんという歓びであろうか。いまなら、素直に、声を大にして言える。「マタイ受難曲」を愛するということを。
さて、ちょうどひと月後の3月1日には、聖トーマス教会での公演となる。2つのオーケストラを要する「マタイ」に、ザクセン・バロックオーケストラだけでは人数が足りないと言うことで、ベルリン古楽アカデミーからも楽員が駆けつけてくれるというから武者震いを覚えるではないか。オーケストラだけの稽古はなし。前日の2月29日にいきなりソリスト&オーケストラとの全曲通し稽古というから、東京公演よりもタイトなスケジュールとなるが、百戦錬磨の強者たちが集うから心配は要らないだろう。言葉で説明したり議論する時間もない。的確な棒を振ることは勿論だが、我が肉体から発する「気」、魂の「声」、そして「呼吸」が公演成功への鍵となるだろう。ただ、コーラスについては、東京公演の6割ほどに人数が減ってしまうので、戦力的なダウンは避けられない。渡独メンバーの奮起に期待したい。